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あの後、すぐに帰宅したブラン公爵一家だったが、その晩にリーゼロッテは高熱を出して寝込んでしまった。濡れた身体が冷えてしまい、風邪を引いたらしい。
医師の往診を終えて処方された薬のおかげでやっと眠りについたリーゼロッテだったが、ふと彼女が目を覚ますと真夜中だった。
身体が上手く動かせず、意識が朦朧とする。月明かりのおかげで暗い自室が照らされて…そこにミシェルの姿が見えた。こんな時間になぜ姉の寝室で佇んでいるのか…。
「……ミシェル…?」
今の彼女に恐怖心を感じる余裕はなく、むしろこれは夢なのではと感じていた。リーゼロッテがミシェルの名を呼ぶと、ピクリと肩を反応させたミシェルがゆっくりとリーゼロッテへ近付いた。
「姉さん…大丈夫…?」
ちょうど暗がりでミシェルの顔が見えない。ぼやける視界の中、リーゼロッテは夢の中でも自分を心配する弟の姿に、少しだけ元気が出る。
ミシェルの手が伸びてきて、そっとリーゼロッテの頬に添えられた。弟の手は冷たくて火照る顔に心地良い、リーゼロッテはついその手に頬擦りした。
「…ふふ」
「どうして笑ってるの?」
頬擦りするとミシェルの手がビクリと強張った気がした。夢なのに冷たいだなんて不思議だ。
「冷たくて気持ち良いの…」
リーゼロッテがそう答えると、ミシェルはもう片方の手も添えて、リーゼロッテの顔を両手で包んでくれた。
「こうしたら、もっと冷たいよ」
(本当だ…)
リーゼロッテは心地良さにウトウトしてくる。ミシェルはリーゼロッテをよく観察するようにぐっと顔を近付けてきた。
彼の冷たい指が彼女の柔らかな頬を撫で、耳たぶを軽く摘み、そして口端から唇の形をなぞるように動く。次第にミシェルの親指がリーゼロッテの口の中に遠慮がちに差し込まれてきた。
(何をしてるんだろう…?)
頭の働かないリーゼロッテは意識を手放す前にもう一度ミシェルを見上げる。やはり弟の顔だけが暗がりで見えなかったが、月の光を受けた青い目はギラギラと輝いているのが見えた。
そんな夢の中のミシェルへ、リーゼロッテは初めて素直に心の内にある不安な気持ちを打ち明ける。
「ミシェル…私は貴方を虐めないから…家族として大切にするから、だから私を……殺さないでね…」
すると僅かに差し込まれていた親指が動き、リーゼロッテの小さな歯を掻き分けてさらに深いところまで侵入してきた。彼女の熱くなった舌にミシェルの親指が触れた。
(殺す? 僕がリーゼロッテを…?)
指先を動かせば、伝わってくるリーゼロッテの舌の熱と感覚にゾクゾクと高揚感を感じながら、ミシェルは目を逸らすことなく義理の姉を見つめた。
今日の日中からずっと、ミシェルが選んだデザートを美味しそうに舌で転がすリーゼロッテの姿が頭にこびり付いて離れなかったのだ。あの真っ赤に熟れた小さな舌が…。
「はなひにくいよぉ…」
高熱で朦朧とするからか、普段より幼くなった表情を見せるリーゼロッテ。
(可愛い…)
ミシェルはいつまでもリーゼロッテを眺めていたいと思った。ミシェルが親指を抜くと、安心したのかリーゼロッテはあどけない笑顔をミシェルに向けた。
「…ずっと一緒に…家族、仲良く…暮らそうね…」
最後に夢の中のミシェルへ自身の願いを伝えて、そして彼女はついに意識を手放し深い眠りに入る。
ミシェルは寝息を立てはじめたリーゼロッテの寝顔のすぐ横に両手をついて、覆い被さるように覗き込んだ。
「…『ずっと一緒に』……なんだ。姉さんも僕と同じ気持ちだったんだね」
その時、月明かりがミシェルの顔を照らす。彼の顔は恍惚とした表情で、澄んでいた筈の瞳は濁っていた。
「約束だよ、姉さん。これからも僕がずっと側で姉さんを守ってあげるからね。僕以外に目を向けないでね」
ミシェルは初めてリーゼロッテと出会った日、強く願ったのだ。『この女の子が欲しい』。
「僕が姉さんを殺したりするわけがないよ…」
路地で出会った二人の思い出を、リーゼロッテの額を優しく撫でながらミシェルは思い出していた。どうやら彼女は忘れているようだけれど、自分さえ覚えていればそれでいい。
「熱、辛いよね。移せば早く治るらしいんだ。だから僕に移して…」
ミシェルは熱で浅い呼吸をする半開きの唇にそっと口付けた。先ほど指で感じたリーゼロッテの熱い舌を、今度は自身の舌で味わう。
「はぁ…姉さん…リゼの唇は柔らかくて可愛いね」
満たされた表情で笑うミシェル。
「早くリゼを僕のものにしたいよ。…でもその前に、やる事があるからやらなくちゃ」
ミシェルはリーゼロッテから顔を離すと、思い出したように独りごちた。
「可哀想なリゼ。高熱でこんなに熱くなって……同じ目に遭わせてやらなきゃだよね…」
天使のように愛らしいミシェルのその時の笑顔は、ゾッとする程に冷たい凶悪な笑顔だった。
後日、エリオット・ナザイルが事故に遭ったという話が南部の社交界で広がりリーゼロッテの耳に届いた。事故の詳細はナザイル侯爵家が開示せず不明とのことだが、どうやらエリオットは何らかの事故に巻き込まれて全身に大火傷を負ったらしい。
命に関わるほどの重症だったが、なんとか助かったそうだ。しかし、全身焼き爛れ醜く成り果てたその少年はもう二度と、社交界に現れることは無いだろうと貴族の皆が口々に噂した。
—壱 公爵家の天使・終—
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