笑顔のおまえは見たくない

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翌日から岡野に避けられるようになった。とにかく逃げられる。仕事中はデスクにいるけど、少し時間ができると即いなくなる。どこに行ってるんだろう。 終業後に声をかけようと思ってもすぐいなくなるし、帰ったわけではなさそうだと思って待ってみても、全然戻ってこない。 「なんつーか…」 腹立つな。やり逃げか。ふつふつとやる気が湧いてきた。絶対捕まえてやる。 だが。 向こうも本気のようで、徹底的に俺を避ける。諦めるか…いや、そこまでされたら、なにがなんでも捕まえたくなる。毎日、社の出入り口で岡野を待ち伏せて執念の十日目、自動ドアを出る岡野を捕まえた。慌てる岡野の手首を掴む俺。 「ようやく捕まえた。今日こそ話を……おい!」 「失礼します!」 俺の手を力いっぱい振り解いて、岡野は夜の街へ消えて行く。 でもここで引き下がったら自分に腹が立つ。その背中を追いかけた。 お互い革靴だからそう走りやすくない。しかも人を避けながらなので、足が速そうに見える岡野もスムーズに進めない。 どこか目的があって走っているのかと思いながら追いかける。もし駅に向かわれて電車に乗られたり、タクシーに乗られたりしたらアウトだなと思ったけれど、岡野も混乱しているのか縦横無尽に走るばかりでそういったことはなかった。視界の中心は岡野の背中。 「……捕まえた!」 「…っ」 路地の奥にあるホテルの前で岡野の手首を掴んだ。苦しい。まだ逃げようとする岡野。でも、俺も離すつもりはない。 「話がしたい」 「………」 深呼吸をしてから口を開く。 「岡野、あの日の…」 「待ってください!」 いきなり遮られて、ちょっとむっとする。 「…なんだよ」 「……こんなところじゃ」 「………」 確かにそうか。 ホテルの前で、真剣な表情をした男がふたり、片方の男がもう片方の男の手を掴んで…って、ちょっとまずいな。 「…わかった」 岡野の手を引っ張ってホテルの入り口に向かう。ぽかんとしている岡野をそのままホテルに連れ込んだ。 部屋の選び方なんてわからないから、全部適当。初心者でも、なるようになった。とにかく話をしないといけないということしか考えていなかった。 部屋に入ったはいいけど、急にどきどきし始めた。なんか…すごく大胆なことをしたのかもしれない。いや、岡野と俺はそういう関係じゃないんだから、別にどきどきなんてしなくていいんだ。自分に言い聞かせる。 「……藤川さん、こういうとこ慣れてるんですか」 そう聞いてくる岡野が冷静でカチンとくる。 「はあ!? 慣れてるわけないだろ! 初めてだよ!」 そんな俺を無視して、なぜかベッドに正座する岡野。なんだ、なんなんだ。 「どうぞ」 「…あ、ああ」 勧められるままに、俺も岡野の向かいに正座する。なに? なにが始まるんだ。 「…すみませんでした」 深々と頭を下げる岡野。 「逃げたこと?」 「それも、ですが……その」 岡野が俯いて、それから顔を上げる。 「ずっと、藤川さんが好きでした。というか、好きです」 「!?」 「……あの日、藤川さんとふたりきりになって、…藤川さんがあまりに無防備で、我慢できなくてキスしてしまいました」 「………」 無防備って、俺、別になにもしてないけど。いや、なにもしてないのが悪かったのか…? わからん。 「勢いでキスしてしまって、それから藤川さんのほうを見ると目が合うから、どうしたらいいかわからないし」 俺だって、どうしたらいいかわからなかったよ。 「しかも、デスクで俺を待っていたときの藤川さんが、すごく、その…か、可愛くて……」 ………。 「キスしたときの唇の感触が蘇ってしまって、逃げてしまいました……すみません」 「……それから俺を避け続けたのは?」 「顔を見ると、藤川さんのキス顔が浮かんで…」 「………」 キス顔。 「一度思い出しちゃったらもう………だめで」 「いや、忘れろよ」 「無理ですよ! 好きな人のあんな可愛い顔……忘れられるはずありません!」 そうか…あの逃げた日から十日間、俺のキス顔をずっと頭に浮かべていたのか。なんて奴だ。 「…すみませんでした」 「本当だ。俺、初めてだったのに」 「えっ」 今日は無愛想が崩れているな、と関係ないことを考えてしまった。こんなに表情豊かな岡野を見るのは初めてだ。岡野は驚いた様子で俺をまじまじと見る。 「藤川さん、大学のときに彼女がいたって、前にどなたかと話してませんでしたか?」 「よく知ってるな」 「すでに好きでしたから」 「………」 そんなはっきりと…。 「彼女がいたのにキスしたことなかったんですか?」 「悪かったな!」 傷を抉られた。 「……キスもしてくれない、って奥手すぎて振られたんだよ」 溜め息とともに吐き出すと、岡野が「奥手、奥手…」と呟く。嫌な奴だ。 「藤川さん、初キスだったんですか…」 「だからそう言ってんだろ」 「藤川さんの初キスの相手が俺…」 「そうだよ!」 「俺が藤川さんの初キスを………」 噛み締めるように呟く岡野。それからがばっと頭を下げて土下座の姿勢。 「ありがとうございます!!」 「いや……は?」 「本っ当に嬉しいです!!」 「喜んでんじゃねーよ!」 土下座をしながら喜ぶ岡野。わけがわからない。はぁ…、と俺が息を吐くと、岡野は顔を上げてちょっと微笑んだ。 「藤川さん、好きです」 「……なんで俺?」 好かれる理由がない。ほとんど話したりもしなかったんだから。 「俺がお客様からのクレームの電話対応をしていたときに助けてくれたの、覚えてませんか」 「? いつだっけ」 岡野が少し寂しそうに笑う。 「藤川さんにはなんでもないことでも、俺には特別なんです」
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