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#2
「…おはよう、岡野」
「……おはようございます」
いつもどおりだ。
昨日もあの後、なにもなかったように資料を探し出して戻った。そして今日、やっぱり何事もなかったように挨拶を返された。
顔に出していないだけで心の内ではなにかを思っていたりするんだろうか、と顔をじっと見てみても、無愛想な上に人と関わらない岡野は眉一つ動かさず、ふいっと顔を背けてしまった。失礼な奴だ。
なんでキスされたんだ。岡野の言葉どおりなら、風邪ならうつすと早く治るから? まさか、そんなばかな話はない。それで岡野が風邪をひいたりしたら大変だ。
……ちょっと苦い思い出が蘇る。
大学時代に付き合った、最初で最後の彼女。仲良くやっていたけれど、振られた。理由は俺が奥手すぎたから。彼女に「キスもしてくれない」と言われたときはショックだった。俺なりに頑張って少しずつ少しずつ距離を縮めていたつもりだったけれど、彼女は待ちきれなかったらしい。
「………はぁ」
つまり、岡野が初キスだ。理由を聞かずになんていられない。でもこんなこと、どう聞いたらいいかわからない。うしろの席の岡野を見るけれど、こちらを振り返りもしない。悔しい。
…まあ、振り返られても、どうしたらいいのかわからないんだけど。
それから岡野を観察することにした。そうしたら、少しでも心の内側が透けて見えてくるかもしれない、と考えたから。結果、本当に無愛想なことははっきりした。そして、なぜか時々目が合う。つまり、岡野も俺を見ている…?
しかも岡野は、目が合うと微かに頬を染める。あの無愛想な岡野が、頬を染めるのだ。可愛い、と思ってしまうのはおかしいことではない…はず。
でも、肝心のキスのことはどう聞いたらいいかわからず、話しかけることのできないまま一日一日と過ぎていってしまう。このままじゃいつまで経っても状況が変わらない。
「……仕方ない」
勇気を出すか。
というわけで、終業後に岡野と話をしようと岡野のデスクで待つ。本人は資料室に資料を戻しに行っている。あのキスから二週間が経っていた。あの日以降に俺も資料室に行くことがあったけれど、資料室に近付くだけで緊張するし、頬が熱くなる。でも、戻ってきた岡野はいつもの無愛想で、デスクで待つ俺を見て、少し眉を上げただけだった。
「なにか」
「岡野に話があるんだ。この後…」
「失礼します!」
「…え?」
岡野は逃げた。
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