笑顔のおまえは見たくない

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あれから二か月、岡野と付き合うようになって一か月。俺はもやもやしていた。 理由は、岡野が無愛想じゃなくなってきていること。最近話しやすいとか、表情が穏やかになってきたとか噂されている。会社で笑顔を見せることもたまにあり、岡野の人気が高まっていて、俺はもやもやもやもや。 俺のもやもやに気付いている岡野も気に食わない。でも、自分の恋人がみんなに好かれるのは、正直嬉しい。だから、ものすごく複雑だったりする。 金曜日の会社帰りに岡野の部屋に行くために、ふたりで社ビルを出る。 「岡野さん、お疲れさまでした」 「お疲れさまでした。お先に失礼します」 「…複雑すぎる」 今、ちょっと笑顔を見せていた。声をかけた女性もぽーっとなっている。欲目じゃない。本当にかっこいい。 「藤川さん? なにずっとぶつぶつ言ってるんですか?」 「………」 「? 藤川さん?」 「…だって複雑なんだよ…」 少し拗ねて言うと、岡野が笑う。また笑った。無愛想はどこに行った。 電車に揺られて、岡野の自宅最寄り駅の近くにあるスーパーで買い物をして岡野の部屋へ。手洗いうがいを済ませて、まだ拗ねている俺を岡野が背中からすっぽり抱き締める。 「どうしたんですか?」 「……おまえ最近、表情豊かだな」 「そうですか?」 無意識なんだろうか。それはそれで不安だ。まだむっとする俺の顔をうしろから覗き込み、岡野がくくくっと笑う。笑ってるし。 「……わざとですよ?」 「帰る」 腕の中から出て玄関に向かおうとするけれど、そう簡単にはいかない。 「そういうところが、可愛くてしょうがない」 なんなんだよ、もう。これ、本当に岡野か? こんな甘い言葉を言う奴だったんだ…。別人じゃん。 「藤川さんを落としたいんです」 「…もう落ちてる」 自分で言って恥ずかしい。頬が熱くなってくる。 「もっと落としたい」 「……勘弁してくれ」 唇が重なる。あれからもう何度もキスをしているけれど、まだ慣れない。そもそも、キスに慣れるとかあるんだろうか。 キスが解かれて目を覗き込まれる瞬間は、いつもぞくっとする。岡野の瞳の奥に熱が灯っていて、それがとても色っぽいから。思わず視線を逸らした俺の頬に、岡野がキスをするところまでがセット。 「ねえ、藤川さん」 「ん、なに…」 いつもと違って、耳や額にキスが落ちてくる。岡野の吐息が触れてくすぐったい。 「食べてもいいですか?」 「な、にを? …あっ」 シャツ越しに脇腹を撫でられて、ぴくんと身体が跳ねる。岡野の瞳がゆらりと妖しい色を帯びて俺を誘惑する。 「…わかってるくせに」 「わかんな…っ」 「ほんとに?」 首にキスをされて、シャツのボタンを外される。ぞくぞくとなにかが背筋を駆け上がっていく。ここまできたら、確かにわかる。 でも。 「……は、恥ずかしい、し…」 岡野から離れようとするけれど、喉仏を舐められて力が抜けた。じわじわと熱が沸き上がってきて、身体の中心で燻る。思わずしがみ付くように岡野の腕を掴むと、岡野は目を細めた。 「…ベッド行きましょう」 小さく頷くと、もう一度唇が重なった。 肌が暴かれていく。丁寧に丁寧に細部まで拓かれて、自分自身でもびっくりするくらいに身体が岡野を求める。知らない刺激に跳ねる身体が恥ずかしい。 「挿れますよ」 「ん…」 後孔を押し開いて熱く昂ったものが内へと滑り込む。圧迫感に息が詰まると、岡野が動きを止めた。 「大丈夫ですか?」 「…うん」 ゆっくりゆっくり、昂りが奥へと進む。岡野と繋がったら、もやもやがすーっと消えていった。岡野が好きなのは俺、俺が好きなのは岡野。それだけでいいんじゃないの?って思えてきたから。 「藤川さん、可愛い」 ちゅ、ちゅ、と何度もキスをくれる岡野の髪を撫でる。 「動きますね」 「…うん……あっ」 声が恥ずかしくて思わず手で口を覆うと、岡野が笑う。口を覆う手に何度もキスをするので、仕方なくその手を外すと、やっぱり恥ずかしい声が出る。 「大丈夫ですよ」 「や、んっ……あっ」 自分の声が恥ずかしい。ふるふると首を横に振る。 「じゃあ、こうしてましょうか」 唇が重なり、舌が絡む。甘いキスに溶かされながら揺さぶられると、心が蕩ける。岡野が微笑みかける相手が俺だけじゃないのが腹立つとか、そういう感情が薄れて消えて、ただ岡野を感じたいとしか思えなくなる。俺って結構面倒で重い奴かも、と初めて知った自分自身に驚いてしまう。 「あっ…ああっ!」 岡野の肌が熱い。離れた唇が寂しくて、キスをねだるように岡野の唇に触れると、その口角が少し上がる。優しいキスが落ちてきて、岡野の背にしがみ付いた―――。 肌の汗が落ち着いてくるまで抱き締め合って、何度もキスをする。岡野は骨が溶けてしまうような甘い笑みを見せるので、俺は本当に参った。 一枚のタオルケットにふたりでくるまって、飽きることなくキスを繰り返す。 「寒くないですか?」 「大丈夫」 「喉は? 痛かったりしませんか?」 「…たぶん大丈夫」 でも、念のため後でもう一回うがいをしておいたほうがいいかもしれない。 微笑む岡野をちら、と見て目を逸らし、背中を向けると、包み込むように抱き締められる。 「おまえ、無愛想に戻れ」 「ひどいなぁ。どうしてですか?」 「笑顔のおまえは見たくない」 難しい。 さっきまでもやもやが消えていたのに、また復活した。いや、俺に笑顔を見せるのはいいんだ。でも他の人には見せないでほしい。 「……俺の笑顔を独占したいんですか?」 「!!」 独占……。 …そうだ、独占したい。岡野の笑顔は俺だけのものであってほしい。 けど。 「…悪い。そんなつもりなくて」 「どうして謝るんですか? 俺は藤川さんに『独占したい』って思ってもらえたら嬉しいですよ?」 「……本当に?」 岡野のほうに向き直り、顔を見上げると、唇が重なった。 「本当です」 すごい笑顔だな。悔しいくらい眩しい。 「……俺だけに見せてくれるなら、いい」 岡野の首に頬をすり寄せると、髪を撫でられた。 「藤川さん、どのへんが奥手なんですか」 困ったような声。その言葉の意味がよくわからなくて、少し首を傾げた。 翌週から会社ではまた無愛想に戻った岡野。 それでいい。 END
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