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◇◆◇◆◇
屋上前の踊り場。静川はいない。
唇に触れて溜め息。あのキスはなんだったんだ…。
あれから静川は俺を追いかけてこない。俺はひとりで静川をぼんやりと思い出す。
もう終業式になってしまった。明日から夏休みだ。
『慶太先輩、見つけた!』
俺を見つけるととても嬉しそうにして、まとわりついて。なにがそんなに嬉しいんだっていつも思っていた。鬱陶しいな、が、しょうがないな、になっていった。
「…静川…」
「なんですか?」
「!?」
顔を上げると、静川がしゃがんで俺の顔を覗き込んでいる。いつの間に。
「先輩、ここはだめって言ったじゃないですか。行きましょう」
「いや…え? 静川?」
「はい。静川です」
なんでもない顔をしている静川に、疑問符で頭の中がいっぱいになる。
「……なんであれから追いかけてこなかったんだよ」
「思うところがあって。今日もお昼に登校したんですよ」
「昼って…終業式じゃん。昼じゃホームルームも終わってんだろ」
「そうです。慶太先輩に会うためだけに登校しました。さあ行きましょう」
ぐいぐいと手を引かれて階段を降りていく。見ると静川が持っているのは俺の通学バッグと静川の通学バッグ。保健室の前を素通りして昇降口に連れて行かれる。
「ゆっくり話したいのでうちに来てください」
「……」
俺も話がしたかったから、珍しく嫌がらずに静川について行った。
静かにふたりで並んで歩く。こんなになにも会話をしないで静川と歩くのは初めてだ。いつも、逃げようとする俺を追いかけてきた静川がずっとなにか話しかけていた。
「あのときはすみませんでした」
「なにが」
「……キス、したこと」
悪いことだと思っているんだ…。ほっとしたような寂しいような。静川にはいつでも強引でめちゃくちゃなことを言っていて欲しい俺がどこかにいる。
「先輩が、もう俺から離れたいって思ってるんじゃないかって…そんな感じがして」
「いや、別に俺達付き合ってないし」
「………」
また黙ってしまった。言葉を間違えただろうか…でもそれが真実だし。静川と俺は付き合っていない。
無言で歩いて電車に乗る。静川の自宅は俺の家の隣の駅だった。ふたり無言で降りて静川について行く。五階建てのマンションの一室。両親は仕事でいないと俺を自室に案内してくれた。
「静川って、見た目は真面目そうなのにな」
「え?」
「終業式もホームルームもサボって、みんなが帰る頃に登校だろ?」
「俺は慶太先輩だけに用事があったので」
コトン、と俺の前に麦茶の入ったグラスが置かれる。
「……俺、どうしたらいいかな」
麦茶を一口飲んで言うと、静川が顔を上げる。
「静川が俺に求めるのは、なに?」
静川の目を見て聞く。静川はじっと俺を見ている。口を開いて閉じて、なにか言おうとしたけれど呑み込んだように見える。
「なに? 言えよ」
「………怒りませんか」
「内容による、けど…静川はそういうの気にするタイプじゃないだろ」
「はい」
「じゃあなんで聞いてんだよ」
「一応、念のため」
わけがわからない。
ちょっと睨むように静川を見ると、とても嬉しそうに見つめ返された。
「“愛生”って、呼んでください」
「…そう呼ぶなって言ったの静川だろ」
「だって、これで最後だ、みたいな思い詰めた顔してたんですよ、先輩」
「………」
そんな顔をしていたのか。まあ心情は間違っていないけれど。一度受け入れてやれば、くらいの気持ちだった。
「思い詰めた顔してたのは静川だろ」
「…そうですけど、でも先輩だって…!」
「愛生」
静川の手に触れると、指先がぴくんと震えた。
「愛生」
「…先輩……」
「愛生が好きかどうかはわからないけど、追いかけられないのは寂しかった、かな」
「っ…」
愛生が俺の手を両手で握る。ぎゅっと握って、頬に寄せる。
「好きです。先輩」
「うん」
「大好きなんです…」
「ありがと」
あの日の、一回受け入れてやれば、の気持ちが少し変化した。もしかしたらこのまま愛生を丸ごと受け入れるのかもしれない。でもまだ、今は…。
「……勝手にキスすんなよ」
これは言っておかないと。
「えっ!? じゃあ断ればしていいんですか!?」
「………一週間に一回な」
「先輩っ!!」
抱きつかれた…まあいいか。嫌じゃないし。
そう、嫌じゃないと思っている。これってなんなんだろう。
「でも明日から夏休みだから、夏休み明けからだな」
「なに言ってるんですか! 毎日会いに行きます!」
「来なくていい」
「本当は来て欲しいって顔に書いてありますよ?」
こいつ…もう本調子だ。もうちょっと引っ張ればよかったか。
俺がちょっと呆れているのを嬉しそうに見ている。でも悲しそうにしていたり辛そうにしていたりするより、ずっといい。
「…否定はしない」
「先輩……!! いいですか、今いいですか!? あれから三週間経ってますから三回いいですよね!?」
「なん…、…んっ」
俺が答える前にキスされた。続けてもう一回。唇が離れて、もう一回。そのあと、愛生は頬にもキスをした。
「……一回多い」
「唇以外はノーカンです」
「勝手に決めるな」
「嬉しいくせに」
頬をつんつんされて、ちょっと恥ずかしい。また俺の顔に書いてあるのか。
「慶太先輩は素直で可愛い…。きちんとお付き合いしてるんですよね、俺達」
「……愛生が恋人以外ともキスする奴だったら知らない」
「慶太先輩以外となんてしません!」
聞こえないくらいの声で言ったのに、しっかり聞き取った愛生は瞳を潤ませて答える。嬉しそうな顔。…しょうがない奴。
「まあ、なんだ……それでいいんじゃない?」
「それってなんですか?」
「そのままの愛生でってこと」
愛生の頬にキスをすると、真っ赤になった愛生に抱き締められた。
「俺から三回したから先輩も三回してくれますよね!?」
「しない」
「まだカウントはゼロですよ! 頑張って!」
そういや唇以外はノーカンとか勝手に決めていたな、こいつ。仕方ない。頬をつねってやる。
「これで我慢しろ」
「照れてるんですね、可愛い」
「………」
絶好調だな。まあ、いいか。
不思議だけど、愛生が笑っていると心が温かい。俺はお姫様じゃないし、まだ丸ごと全部は受け入れられないけど、いつかは、もしかしたら……。
だから。
「そのままでいいよ、愛生」
俺からも、そっと唇を重ねた。
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