簾の向こう

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着ていた服を脱ぎ捨てる。下着も脱ぎ捨て、一糸纏わぬ姿で正座し、目を閉じ、神に祈りを捧げる。少し時間が経ち、目を開け、前に畳んである着物の袖に腕を通す。白く輝くその着物は、何か神聖さを感じさせるように静かで、単調な色を彩る朱色は景色に映えて見るもの全てを魅了させる。 扉を開ける。簾の向こうから若男女大勢の人が固唾を飲んでいるような雰囲気が伝わってくる。 そっと目を閉じる。 「風伯よ。禍害を鎮めたまえ。」 ぼそっとつぶやくそのセリフは誰に聞こえるでもなく風にかき消された。 タイミングよく太鼓が鳴る。神への祈りの始まりだ。そして手を上に掲げ、太鼓の音に合わせて舞い始めた。 「ふぅ、疲れたー」 「はいはい、お疲れさん。」 「リンゴ飴は?」 「まだ売ってるよ。これ着替え・・・ってまたその服?ダサいジャージなんか着て。こっちのが可愛く見えるんだから、こっちの方がいいのに。」 「いいでしょ!行ってくる!」 「はーい。」 後ろからまだ何かぶつぶつ言ってるような気がする。俺は早々にそれを気にしないことにして、持ってたゴムで髪を束ね、キャップ棒を被った。 「はぁ、だるいなぁ。いい運動になるけど、いちいちあの格好するのも疲れんだよなあ。やっぱ一人が一番だな。」 いつも一人の時はつい独りごちてしまう。もはや癖になっている。 「お、きたっリンゴ飴、残り一個!あぶなー」 そう呟き、小銭を握りしめて屋台に近づく。 「おっちゃん!」 「おお、小僧!毎度毎度あんたは残り一個ん時に来るなぁ。」 「しょうがねぇだろ?家族と来てんだから。それよりはい。」 「おう、しっかり金はもらったぜ。はいよ。」 「これだよこれ!やっぱ運動の後はリンゴ飴だなぁ。」 「運動?」 「ん?ああ、ここまで走ってきたんだよ。」 「それを運動というか?普通。祭りはまだまだあるし、毎回言ってると思うけど母ちゃんと離れず楽しめよ。」 「わかってるよ。じゃ、またな。」 「おうよ。」 屋台を離れる。手にもつ飴は赤く輝いている。飴を口に咥えながら、俺はいつものように自分の部屋に戻った。 肩を叩かれた気がした。 「莉子!起きなさい!遅刻するよ!」 「えっ!もうそんな時間?やばいよぉ!」 「髪梳かしてあげるから早く着替えちゃいなさい。」 「はーい」 口ではそういいながら、学校は少し嫌だった。しかしもうそれもあと1年もない。最近は逆に楽しくもなってきた。 「あら、莉子。また髪こんなぐちゃぐちゃにして。あんたはね、神様に祈りを捧げなきゃいけないんだから、もっと大事にしなさいよ。この前言ったでしょ?勝手に髪切ってきたりなんかしないでよ。」 母の小言に複雑な面持ちで答える。 「聞いてるの?」 「あ、ごめん、寝てた。」 「もう!あっあと何分?送っていってあげるから、ほら、早く!」 「わかってるよ」 カバンの中に帽子と着替えの服を入れていることを確認してから、カバンを持ってリビングへ行く。母親は既に下で待っていた。 「弁当持った?朝ご飯は車の中で食べなさい。」 「はーい。」 ふと神棚の横の棚にある写真が視界に入った。巫女の装束を着て家族と共に、満面の笑みで扇子を構えている少女の姿があった。 「あの頃はあんなになりたかった巫女も、今はそれが本当に嫌で。受験を理由に当分やりたくなかったけど、この前の反応じゃ受験もたぶん無理か。」 「莉子!早くしなさい!何やってるの?」 「あ、はいはーい今行くよ!」 声音を切り替えて母の元へ向かう。そんな自分に嫌気が刺し、ため息が漏れた。 「なぁ、大阪ってすごいんやで。」 「すごいってどうすごいんだ?」 授業中、先週のことを思い出していた。 放課後に男友達といつものように公園で話していた。彼は大阪から転校してきたらしい。この公園で初めて会った別の高校の人だ。  「やっぱめっちゃ遊ぶとこあるし、あ、なあ、今から大阪行かん?近くはないしむしろ遠いけど、俺案内できるとこめっちゃあるで。」 彼はやたらと誘ってくる。普段は聞き流しているが、明日は土曜日で休みだし舞もある。少し憂鬱だった。 「うーん、どうしよ」 「お?やっと行く気か。ほな、行こか。兄貴ん家に泊まればええし。」 「じゃあ、行こうかな。」 面倒なあれこれについて考えるのを放棄して、とりあえず大阪に向かったのだ。 大阪は確かに楽しかった。大変だったのは帰ってからだった。 「莉子!やっと帰ってきた!急に泊まるなんて言って。早くお風呂入って着替えなさい。お祭り始まってるわよ!ほら、早く早く!」 「ああ」 「何その声!」 言われて慌てて言い繕う。 「なんか変な声出ただけ。わかってるよ。」 変な声と自分でいいながら、傷ついていた。重い足取りでお風呂へ向かった。 風呂から出て素服に着替え、社へ向かう。 「あっつ」 髪を整えられながら、俺は微妙な蒸し暑さを感じていた。昨日雨が降っていたのか。少しじめっとしていた。 バタンッ。唐突に部屋の扉が開いた。見えたのは父だった。 「莉子、出番だ。ん?おい!なんだ、その座り方は!いつも言っているだろう!女の子は姿勢正しく、お淑やかでなくちゃダメなんだぞ!神様の面前に赴くんだ。足は閉じるのが当たり前だろう!」 「・・・はい。」 その返事を聞くと少し腹の虫が治まったのか、早々に部屋から出ていった。 「何しに来たんだよ、本当に、はぁ。」 舞うのは好き。でも服と儀式は嫌い。大阪の大学に行ってダンスをするのに今憧れている。 ため息を漏らしながら、俺も舞台裏の部屋に入った。 学校から帰るとめずらしく両親が揃っていた。 「知美から聞いたぞ。」 扉を開け、父の姿が目に入った途端、開口一番そう言った。知美とは母のことだ。 嫌な予感しかしなかった。 「莉子。最近のお前の行動は本当に目に余る。先週の土曜も大阪に旅行に行っていたそうだな。しかも舞の直前まで。」 諭すように語りかけて来るのが逆に怖かった。 「本番、着付けが乱れていたぞ。髪も少し傷んでいるようだった。旅行なんかに行っているからだ。」 お茶を一口、父が飲む。その間に横にいた母が少し詳細を聞いてきた。 「誰と行ったの?」 「友達。」 「女の子?」 「いや、男の子だけど。」 「どこに泊まったの?」 「その男の子のお兄さんの家。すごくよくしてくれたよ。」 「それはお前が女だからだろう。危ないのがわからないのか!男なんて何するかわかったもんじゃない。わかってるのか?お前は、お前は巫女の家系に生まれたんだ。受験なんてやってる暇ないし、清い女性として磨かなければならない。それをお前、髪を切るだの足を開くだの、俺はそんな奴に育てた覚えはない!!」 家に雷が落ちた音がした気がした。 「お前は巫女で女じゃなきゃダメなんだ!2度と男のような荒いことをするな!巫女として上品に過ごしなさい!」 何かが爆発した。  「俺は」 「だからその俺っていうのをやめろって言ってるんだ!言ってわからな」 「うるせぇ!俺は、俺は、男なんだよ!なんでお前に俺の形を決められなきゃダメなんだよ!俺はお前に育てられた覚えはねぇ!」 言い切ったところで、改めて親の方を見た。 親はポカンとしていた。 「お前、親にお前ってお前……」 言ってしまったという思いが先に出た。気づいたら俺は家を飛び出し、行く当てもなく走っていた。気づけばあの公園にいた。 ブランコの上に座ると、なぜかふと涙が流れてきた。閑散としたこの公園で一人鼻を啜る音だけが響き渡る。 「俺は何をしてるんだろう。てか、これからどうすれば」 親との喧嘩は別にこれが初めてではない。でもあの親の顔が目に焼き付いて離れない。家には帰りづらいし、何より今はこの公園が温かい。 オレンジ色の空を見てまた涙が出てきた。そばの街灯がチカチカッと灯りを灯した。 少し大きいこの公園を1人で頑張って照らそうとしている灯りに俺は何かを思い、1人街灯の下で舞い出した。そばにあった砂場にはスコップが置き去りにされていた。
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