第2章 神童から落ちこぼれになった10代

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第2章 神童から落ちこぼれになった10代

 永沢は1959年7月14日、宮城県仙台市で生まれた。光雄という名を付けたのは父親で、「男らしく、強くて、光り輝く子になってほしい」という願いが込められている。父親は郵政局に勤務し、母親は編み物教室を経営。3つ年下の弟がいる。この親にしてこの子ありというが、父親はとにかく大酒飲みで、毎日のように泥酔して帰宅していた。酔っぱらって自転車でトラックに突っ込み、血まみれで帰ってきたこともあったという。  さすがに幼少期の永沢は、父親にならって飲酒をすることは無かった。むしろ、神童として大人たちを驚かせていた。まず、生まれついての読書好きだった。生後数ヶ月でありながら、ぐずっていても母親が絵本を読み聞かせると泣き止み、母が眠そうにすると、「おたあちゃん、ねんねだめ!」と続きをねだったそうだ。  小学生5年生のときには、児童図書館にある本をすべて読んだほどの、圧倒的な読書量だった。中学生になって、一般の図書館でも本を借りられるようになり、ゲーテやトルストイの本を受け付けに持っていくと、「君が読むの?」と何度も聞かれたという。中学1年生のときに書いた作文には、旧ソ連のノーベル賞作家ソルジャニーツインの名が、さも当たり前のように登場しているほどだった。  文章力も並外れていた。読書感想文では、いつも学年代表に選ばれていた。先生たちから、親に手伝ってもらって書いているのでは、と疑われたこともあった。中学に入り、「中学生になって」というテーマで作文を執筆したときは、45分の制限時間で、ほかの生徒は400字詰め原稿用紙1~2枚書くのが精いっぱいだったが、永沢は38枚も書いた。  音楽にも造詣が深い。ロックやジャズやクラシックやアイドルなど幅広いジャンルを聴き、特にクラシックの演奏会には中学生ながらよく足を運んでいた。部屋にはカラヤンのポスターを貼っていたほどファンで、アルベルト・シュバイツァーなど同級生がほとんど知らない音楽家にも詳しかった。学校の音楽コンクールでは指揮者を務め、全クラスの24人の指揮者のなかで1位に選ばれたこともあった。  永沢は弁も立った。中学の学年代表のあいさつでは「校長先生よりも上手」と言われ、高校生に混じって出場した討論会では「中学生と思えない」と称賛された。当然のように生徒会長や学級委員長も務め、成績も学年トップ。教室に高校生がいるようだ、と先生たちの間で話題になるほどだった。女子からも人気があり、休み時間には下級生の女の子たちが、ぞろぞろと永沢を見に来ていたほどだったという。  中学から大学にかけて、永沢は演劇活動に力を入れるのだが、その片鱗も幼少期から表れていた。自らの誕生日会ではくす玉をつくり、演出を務めて、司会もこなしたという。小学6年生のときには、初めて自作の劇を上演。以来、中学や高校の文化祭で、永沢は監督・脚本・役者を務めて、毎年のように彼の劇が上演された。  永沢が神童と呼ばれていた幼少期~中学時代を駆け足で紹介したが、このエピソードの多くは、母親の故・昌子さんが彼との思い出をつづった文章が収録されている書籍『神様のプレゼント 永沢光雄・生きた 書いた 飲んだ』からの抜粋だ。後に詳しく書くが、昌子さんは生きがいとも言えるほど、永沢を溺愛していた。我が子が可愛いあまり、何割か盛られている可能性がなくもないが、同級生や教師に取材したところ、永沢がいかに秀でていたか、全員が口を揃えたことからも、ほぼ事実だと思われる。  中学卒業後、永沢は仙台の私立高校・東北学院榴ケ岡高等学校に進んだ。同校は、自主性を重んじる自由な校風の男子校で、個性的な生徒が多かった。当時は3クラスで、生徒数は135人。そのなかでも、永沢は入学早々、一目置かれるようになったのだと、当時27歳の国語教師だった渡辺光昭氏が振り返る。 「授業で3分間スピーチをやったんです。どんな内容でもいいから、頭にあるものを3分間で話してみなさい、というものです。光雄君は確か、授業をさぼって映画を見に行った話をしたと思います。その映画がどんな話か、イメージが浮かんで、自分も観たくなるような説得力と面白さがありましたね」  永沢少年は結局30分近くもしゃべり続け、さすがに渡辺氏が止めたほどだった。勉強もできて、部活は軟式テニス部に入り、夏は上半身裸で練習をするなど、文武両道を地でいくような高校生だった。  渡辺氏は読書好きで、小説も執筆していた。永沢はそのことを知ると、休日によく渡辺氏の自宅を訪ね、文学論や作家論を交わした。高校1年生と国語教師では、さすがに永沢も分が悪いかと思いきや、先生も圧倒されるほどの知識や批評眼を持ち合わせていたという。  あるとき、『旅芸人の記録』という、難解で知られる映画を一緒に観に行った。渡辺氏はあまり理解できなかったが、永沢は興奮して感想を語り、その鑑賞眼に驚かされたこともあった。
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