第2章 神童から落ちこぼれになった10代

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 永沢の性格がよく表れているエピソードも、渡辺氏は教えてくれた。まず、自分が間違っていないと思ったことに対しては、絶対に折れない頑固さが表われている事件。  高校2年生のとき、文化祭で上演する劇の脚本を、永沢が執筆した。そのなかで、キリストが十字架に貼り付けにされ、リヤカーで運ばれるシーンがあった。榴ケ岡高校はミッションスクールであり、渡辺氏は「まずいのでは?」と忠告したが、永沢は本番でそのシーンを決行。案の定、校長は激怒し、永沢と渡辺氏は校長室に呼ばれた。そこで厳重注意を受け、行動を改めないとこの学校には置けない、と通告されたが、永沢は最後まで謝らなかったのだ。  3年生のときも、似たようなことが起きた。思うことがあったのだろう、日本史の試験で答案用紙を白紙で提出すると、先生が「お前には絶対単位をやらない!」と激怒した。渡辺氏が間に入り、ことを収めようとしたのだが、永沢はやはり謝罪しなかったという。  形だけでも頭を下げる、お詫びの言葉を口にする、ということをするつもりは毛頭ない。単位がもらえなくても、卒業できなくても自分の信念を貫きたい、という芯の強さがうかがえるエピソードだ。ちなみに結局、最後の最後で単位はもらえたのだそう。  永沢は優しい性格で、人の悪口を言うことも一切なかった。そんな人柄が表れているのは、高校時代の合コンのときだったという。永沢と友人ら3人と、ほかの高校の女性3人で、大きな池のある公園に遊びに行った。ボートに乗ることになり、3組のペアになって漕ぎ始めた。すると、永沢の乗ったボートは、一緒になった女子の体系がふくよかだったため、深く水面に沈んでいた。女子たちと別れた後、そのことを友人たちがはやし立てたところ、「女性を笑いものにするのは許せない」と永沢は怒ったという。「女性への接し方や女性観は、後の『AV女優』のインビューに通じているのかな」と渡辺氏は振り返った。  だが高校1年生の途中から、永沢は少しずつ不真面目になってしまう。授業中は本を読んだり、寝たりしていることが増え、成績も見る見るうちに下降。1年生の終わりには学年最下位にまで落ちた。  付き合う友人も、不良ではないものの、いわゆる優等生とは反対の人たちを選ぶようになった。カツアゲやケンカなどはしないが、学校をさぼったり、夜遊びをしたりするように。つるんでいた仲間たちとは、文学や芸術の話題はあまりできなかったが、それでも永沢はそのコミュニティを選び続けた。「自分にないものを持っていた人たちだからじゃないでしょうか」と渡辺氏は推察する。  永沢が中学1年生のときに執筆した「老人」という短編小説がある。おそらくは永沢の分身である、厳しい家庭で育った中学生もしくは高校生が、公園でひとりの老人に出会う。老人は彼に、いわゆるエリートの道を進むことの空しさを諭すのだ。  おれは今まで六十年生きてきたがその中で一体どんなことをしたろう。そうだ学生時代は一生けんめい勉強して志望していた大学に入れた。いや、大学にはいってもなにも得はしなかった。ただ勉強ばかりして結局得たものは何もなかった。だが一流会社に入ったじゃないか。しかしそこもたいくつしてすぐやめた。(『神様のプレゼント 永沢光雄・生きた 書いた 飲んだ(『老人』)』永沢光雄/永沢昌子)  永沢のなかで、勉強をして良い大学や良い会社に入って良い人生を送るべき、という世間の風潮に、疑問を感じるような何かがあったのかもしれない。  高校2年生のころからよく遊んでいたという、同級生の原田康博氏は、永沢とどのような時間を過ごしたかを話してくれた。 「土曜日の夜中とか、俺んちに来るんだよね。あいつは4~5キロ離れたところに住んでたんだけど、23時か24時に自転車こいで現れて、仲間たちと酒飲んで、深夜3時くらいまでいて帰っていくってことをしてた。真冬でも、半纏みたいなのを着こんで来るんだぜ」  会話の内容は高校生らしく、授業がつまらないということ、将来のこと、女の子のことなど。永沢は同級生たちとの時間を楽しみ続けていた。  余談だが、高校時代の同級生には、『ジョジョの奇妙な冒険』の作者・荒木飛呂彦氏がいる。後年、永沢は飲み屋で、「荒木がいじめられているのを俺が助けてあげたから、あいつはスタンドを思いついた。だから、俺がいなかったらジョジョはない」と、本気か冗談か言いふらしていたのだそう。  優等生だった永沢が変わったのは、勉強をして真面目に高校生活を続けていく先に、自分の望む将来がないと気づいたんじゃないかな、と原田氏は続ける。永沢が志していたのは、小説家だった。 「物書きになりたいとずっと言っていた。高校のとき、あいつが書いた小説を読ませてもらったこともあって。それは、デパートのエレベーターガールを後ろから見たら、ストッキングに黒い線が入っていて、足の線のことをずっと書いてある文章で。僕にはそれがいいとか悪いとかわからなかったけど、渡辺先生はすごく評価してくれたと光雄は喜んでいて、こいつ本気なんだと思った記憶がある」  実は幼稚園のころから、永沢は「お話を作る人になりたい」と言い続けてきた。王貞治選手が800号ホームランを打ったとき、永沢は母親と一緒にテレビ中継を見ていた。画面に王選手の両親が映り、「王選手は親孝行したね」といった母に対し、永沢は「僕、芥川賞取ってお母さんに親孝行するね」と言ったという。
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