第3章 酒浸りの大学生活と母の寵愛

1/5
12人が本棚に入れています
本棚に追加
/35ページ

第3章 酒浸りの大学生活と母の寵愛

 永沢は大阪芸術大学の文芸学科に入学した。文学好きの彼だけに、「現代詩研究会」というサークルに所属する。そこで出会ったのが、後に一緒に劇団を立ち上げることになる、舞台芸術学科の三枝希望氏だ。  サークルに入ったのは良いものの、どうも面白くない。詩の公募で佳作を取っただけで、鬼の首を取ったかのように周囲に自慢をしている先輩を、永沢は憐れむような眼差しで見ており、三枝氏が同調したことですぐに意気投合した。永沢の最初の印象を、「読書量と知識量に圧倒された」と三枝氏は話す。 「ロラン・バルトがどうとかロダンがどうとか、バカにもわかるように話してくれたので、こっちも興味を持つことができましたね。(演劇の)『熱海殺人事件』では、(俳優の)平田満がこういう風に演技していた、っていう話も聞きました」  当時、永沢が住んでいた下宿は、大阪府羽曳野市にある安アパート。絵に描いたような汚部屋で、腐りかけの畳には万年布団が敷かれ、ゴミが散乱していた。部屋にはそもそもゴミ箱が無かったので、まずゴミ箱を用意してそこに捨てる習慣をつけたほうがいいと三枝氏がアドバイスし、最初はその通りにしていたが、すぐ元通りになってしまったという。 「泊まりに行ったとき、布団で寝ろって言われたんです。横になったらウジ虫がうにゃうにゃ這っていて、ぎゃーって叫びましたね。ほかにも、電子ジャーを開けたら黄色と青と緑の煙が出たとか、冷蔵庫にあったレタスをつついたら一瞬で水になったとか、そんな部屋でした」  部屋には永沢らしく、小説や漫画など大量の本が積み上げられていた。机には原稿用紙があり、永沢が小説を書いていた痕跡もあった。  服装はいつも、洗濯していないであろう茶色系のもので、冬でもサンダル履き。ひげを生やして眼鏡をかけ、風来坊かホームレスかといういで立ちだったが、無頼派のような雰囲気が魅力に映ったのか、芸大の女子たちにはモテていたという。 画像  同級生にはよしこちゃんという長身で肉感的な美人がおり、男たちに思わせぶりに近づいてもてあそぶタイプだったが、その子も永沢には引かれ、付き合い始めていたという。  永沢と三枝氏は、とにかくよく飲んだ。行きつけの焼き鳥屋・鳥仙で飲み、永沢の家に場所を移して飲み、酒もつまみもなくなると、朝まで営業している近所の中華料理屋に移動して飲んだ。買い出しをして再び永沢の家で飲み、午前11時になると餃子の王将へ。夕方まで居座り、鳥仙の開店時間になったら移動してまた飲む。三枝氏もかなり飲める口だが、まるでお茶のように延々と酒をすすり続ける永沢の酒量はけた外れだった。 「当時からアル中で、肝臓が肥大しているんだ、フォアグラなんだってよく言ってましたね。そうなってもおかしいくらいの酒量でした」  永沢の執念深さがうかがえるエピソードも、三枝氏は披露してくれた。いつものように酔っぱらった後、三枝氏が犬の糞を永沢にぶつけたことがあった。すると永沢は、犬の糞を棒に刺し、延々と三枝氏を追いかけ回し、復讐に成功したという。トランプのセブンブリッジをすると、永沢は自分が勝つまで決して止めようとしなかった。三枝氏は、こいつとは絶対にケンカしたくない、と思ったのだそう。  時系列が前後するが、この話を聞きながら、なるほどと僕は納得した。永沢がフリーライターとして活動していたとき、ある編集者が仕事を依頼した。内容は、都内の屋台の飲み屋を取材するというもの。だが、目をつけていた渋谷の屋台で取材交渉したところ、頑固そうな大将に断られてしまった。そこで永沢がとった行動は、OKをもらえるまで居座って飲み続けることだったというのだ。結局12時間ほどいて、折れた大将に取材許可をもらったのだそう。  AV女優たちへの取材で、永沢は何時間でも待つことができると紹介したが、望む結果のためなら我慢比べをいとわず、しかもその過程すら楽しめるメンタルがあったのだろう。  劇団を結成したのは、三枝氏といつものように飲んでいるとき。永沢からの「芝居しようか」という誘いで、ふたりは劇団を立ち上げた。劇団名は「愛の冷やしパンツ」という、前衛的なのかふざけているのかよくわからないもので、命名したのは永沢だった。名前に特別な意味はなかったという。  当時は劇団新幹線や、南河内万歳一座など、大阪芸大出身者による劇団が注目され始めていた時代。映像では、庵野秀明が評判になりつつあった。そんななかで、自分たちも一旗揚げたいという野望と、若さゆえのノリで劇団を立ち上げたのだった。メンバーには、永沢の恋人であったよしこちゃんと、同じく芸大生の安藤基博氏も加わって、4人で劇団活動は始まった。  永沢は主宰でありながら脚本、演出、出演もこなした。「蜻蛉日記」「私が月を捨てた晩」という男女のシリアスな人間ドラマと、三枝氏も安藤氏も覚えていないというもう1本の合計3本を上演した。観客の入りや評価はいずれも悪くなかったが、アングラ演劇を意識した作風だったこともあってか、客先からヤジが飛ぶこともあったと三枝氏は苦笑する。 「(初の南極点到達を競った)アムンゼンとスコットはどうしたこうした、っていうシーンがあるんです。私が歌舞伎の隈取をして、『先にスコットが着いちゃったからアムンゼンが遭難した』としゃべっているときに、客から『ナンセンス!』ってやじられました。あれは辛かったな」  永沢自身も役者として、夏休みにラジオ体操の出欠を管理するおじさん役を演じた。ヌレゾーというそのおじさんは、出席した人に押すためのハンコを持っているため、絶対的な権力者として君臨している。太陽がまぶしかったという理由で、彼は出席した人を殺してしまう、というシュールな設定だったという。ちなみにヌレゾーとは、カミュ『異邦人』の主人公であり、太陽がまぶしかったという理由で殺人を犯すムルソーのもじりである。
/35ページ

最初のコメントを投稿しよう!