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ポケットに夢を
「2980円、ちょうどいただきます。ありがとうございました」
僕の趣味は古着屋巡りだった。今日はジーンズを買った。
店に入った途端、目が合ったというか、一目惚れしてレジへ直行した。
試着室で「このまま履いて帰っていいですか」なんて、初めて言った。
このちょっと擦れたような感じ、穴あきほどではないが、履きこなした感じ、この色合いがたまらなく、いい。
好きな服はヘビロテしてしまうのが僕の悪い癖で、すぐに傷んでしまう。もともと古着なんだから、ほつれたりするのは当たり前。小学校の頃の家庭科は5段階評価の2だったが、古着を買い求めるようになってからは、繕うのも上手くなった。古着と古着を組み合わせてリメイクするのを友人から頼まれるほどだ。
帰宅して、部屋着のジャージに着替えた。
ジーンズをハンガーにかけてしばらく見つめていた。
「いい買い物をしたな」
満足して瑛太郎はジーンズをクローゼットにしまおうとした。
「宅急便です。嶋田さん」と呼ばれ瑛太郎はジーンズを持ったまま、あわてて玄関に向かった。
―ドン!―
瑛太郎は何かにつまずいて転んでしまった。起き上がった瑛太郎は目を疑った。
玄関前に一万円札が散らばっていた。
「何、この金?」
かき集めると、宅急便配達員に怪しまれないように、とりあえず部屋のローテーブルに置いた。
「はい、はい。お待たせしました」
宅急便の荷物を受け取り、ハンコを押して、部屋に戻った。実家からの
荷物だった。両親は一人暮らしして大学に通う瑛太郎に2ヶ月に1回食材や生活雑貨を送ってくれる。荷物をキッチンの隅に置いた。
「なんなんだよ、この大金は?」
「そうだ、クローゼットにしまおうとしてたんだっけ」
ジーンズを持ち上げると、一万円札がはらはらと舞った。
「まただよ。どこから落ちてくるんだ?」
瑛太郎は天井を見上げた。
が、無論、何もない。
「まさか」
ジーンズを両手で高く持って広げてみた。何もない。
振ってみた。何もない。
ポケットに手を突っ込んでみた。
「あ」
ポケットの中から出した手には一万円札が握られていた。ポケットの中からお金が出てきていたのだ。
「ポケットの中からお金がどんどん出てくるぞ」
(そうか、このジーンズは打ち出の小槌みたいにお金が出てくるのか。すごいものを買ったぞ。)
お札を光に透かしてみたり、手触りや細かい文字まで確認してみたり
したが、どうやら本物のようだった。
瑛太郎は使い道をしばらく考えてから、手をたたいた。
離れたところに住んでいる親戚がこの前「入院費用に困っている。」と言っていたのを思い出し、毎月10万円送ることにした。とても喜ばれた。瑛太郎はいいことをしたようでいい気分だった。
今度は自分のために使おう。
早速、瑛太郎はコンビニに行った。お菓子全種類とアイス全種類を迷いなく次々とカゴに入れていった。ブラックサンダーとうまい棒は箱買いした。
(箱買い、一度してみたかったんだよな)
帰宅して、アイスを冷凍庫にぎゅうぎゅうに押し込むと、瑛太郎はニヤニヤが止まらなかった。
(冬に暖房の効いた部屋でキンキンに冷えたアイス食べるって贅沢だな。あとでやってみよう。)
そのまま街に行くと、あの古着屋が目に入った。
(このジャケット前から欲しかったんだよな)
瑛太郎は試着もせずにレジに向かった。
「8000円、ありがとうございます。」
どっしりした店の袋を手に、また古着屋を巡っていく。
瑛太郎は大金を手にすると、日頃から叶えたかった小さな夢がたくさんあったことに気づいた。
「あ、これ、ビンテージのスニーカー」
「すみません、このエアジョーダン、見せてもらってもいいですか」
店員は瑛太郎のことをジロリとみた。頭のてっぺんからつま先まで見て、いぶかしげな表情をした。
「学生が買える値段じゃないよ」
「いくらですか」
店員はエプロンのポケットから白い木綿の手袋を出した。そして、指で3と2を表した。
「3万2千」
「違う。32万だ」
「32万⁉︎」
瑛太郎はひるみそうになったが、冷静をよそおって「大丈夫です。見せてください」と言っていた。
店員は苦虫を噛みつぶしたような顔をして、ショーケースの鍵を開け、中からスニーカーを出した。
「うわ、かっこいい」
ロイヤルブルーと白、黒の配色が瑛太郎を魅了した。手を伸ばすと、「ダ
メだ。触らせられない」店員の声がより一層とがった。
「見せてもらってありがとうございます。また来ます」
店員はほっとしたように、スニーカーを戻した。
アパレルショップでバイト経験のある瑛太郎だって知っている。「また来ます」という言葉は店を出るときの決まり文句のようで、その後来ることはほとんどない。そう思って店員はほっとしたのだろう。
まさかその30分後に瑛太郎が戻ってくるとは予想していなかっただろう。
「こんにちは、さっきの男の店員さんいますか?」
「ああ、ちょっと待っててね」
「ゴンさん、お客さん」
「今、行く」
「staff only」と書かれたドアが開いた。ゴンさんと呼ばれた店員は瑛太郎を見て目を丸くした。
「さっきのエアジョーダン、買います」
瑛太郎が金を出すと、店員の顔が一層険しくなった。
「学生だろ? この金、どうしたんだ?」
「コンビニの夜勤と、あとガソリンスタンド、それに、月2回イベントのスタッフのバイトで貯めました」
「そっか。嘘じゃないよな」
店員は瑛太郎の顔を覗き込んできた。瑛太郎がうなずくと、店員は優しい声で「よく貯めたな」と言って、スニーカーを箱詰めしてくれた。
こんな高い買い物をするのは初めてだった。
瑛太郎は店を出ると心臓がバクバクしていることに気づいた。
バイトをして貯金が35万あることも事実だ。貯金から出したと思えば買えないこともない。そうやって自分を正当化した。悪いことをしたわけではない、そう自分に言い聞かせた。
それに、あの店で買ったジーンズから出てきた金だった。使って何が悪い、とさえ思うようになっていた。
冬の日の入りは早い。一気に気温が下がったように感じた。瑛太郎は、家に急いだ。
夕食はいつものようにコンビニ弁当で済ませた。食事にあまり興味がないせいか、豪華なディナーを食べたいとは思わなかった。
翌週、瑛太郎のマンションに大きすぎるくらいのテレビが届いた。エレベータには乗らないので外階段から登り、冬なのに額に汗を浮かべて運んでくれた。
「搬入ありがとうございます。よかったら、これ飲んでお仕事頑張ってください」
瑛太郎は搬入してくれた2人にコーヒーを渡した。
「気がきくね。ありがとう。でも、こいつコーヒー飲めないから1本だけもらっておくね」
その夜、テレビの設定をしてもらうために、大学の同じゼミの友人を呼んだ。
「テレビの設定くらい自分でしろよ。ってか、このテレビ大きすぎるだろ」
「70インチ」
「こんなん買ってどうすんだよ。宝くじでも当たったとか?」
「いや」
瑛太郎は全部話してしまおうかと思って、やめた。自分のためだけに使いたいと思ったので、誰にもいうまいと決心した。
友人が帰ってから、大型テレビを1人で見ていると、ふと寂しくなった。
(金、けっこう使いすぎちゃったかな。)
4人兄弟で年も近い子どもたちが別々の場所に住み、それぞれに仕送りしている両親のことを考えると、もうむやみに使うのはやめようと思った。
瑛太郎は勉強に専念するために、コンビニのバイトとガソリンスタンド
のバイトを辞めた。家賃と生活費は心ばかりの仕送りと、ジーンズから出した金でまかなった。
罪滅ぼしのように食費だけは預金を切り崩していた。
そのような暮らしで半年ほどたったある日、瑛太郎はいつものように、ジーンズのポケットに手を突っ込んだ。今日は家賃の支払い日だった。
「あ」布が裂ける音がした。
ポケットに穴が空いてしまった。
「金は、金が出てこない」
瑛太郎は慌てた。ジーンズを逆さにして振っても出てこない。
ポケットをひっくり返すと穴の空いた白い布が出てきただけだった。
「嘘だろ」
仕方なくコンビニ銀行に行った。預金を下ろすと残額が3桁だった。
「どうすりゃいいんだよ。そうだ、いいこと考えた」
瑛太郎はエアジョーダンを売ることにした。
けれども、帰宅するとエアジョーダンもテレビもなくなっていた。確かに今朝まであったのに。
もう一度、ジーンズのポケットをまさぐった。反対側のポケットに1枚の紙切れが入っていた。
そこには、こう書かれていた。
「私たちは、つかのまの夢を売るお店です。古着屋店長」
瑛太郎はその紙切れを持ったまま座り込んだ。
「確かに夢を見させてもらったよ。もう大金なんていらない。自分でコツコツ稼ぐよ」
ジーンズを売りに行くことにした。このジーンズを買った古着屋はシャッターが閉まり、閉店したと張り紙がしてあった。瑛太郎は仕方なく、他の古着屋に行くことにした。
「これ、売りたいんです」
「ちょっと待っててね。」
店員はジーンズをチラッと見て、ポケットに手を入れて紙に何か記入した。
「2980円。この値段でいい?」
瑛太郎はうなずいた。
次の日、瑛太郎は半年前まで働いていたコンビニに行き、面談を申し込んだ。
「いらっしゃいませ」
その年、瑛太郎はその店舗のおもてなし店員ナンバーワンに選ばれた。
「ありがとう、ジーンズ」
・・・おわり・・・
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