透明人間

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透明人間

 少女は花吹雪の中におりました。  幾片もの花弁に濡れながら、少女は一点を見つめております。 「そこにいるのは、どなたかしら」  少女は虚空に向かって尋ねました。  正確には、景色の中の少しばかり歪んだ辺りです。花弁が何枚か少女にくっついて離れないように、虚空のある所で花弁が留まり、とある形を象っているのです。それは、人間でした。少女より少しばかり背の高い、青年のようでした。 「これは驚いた」  人間の形をした虚空はそう言いました。 「ごきげんよう、お嬢さん。僕が見えるのかい」 「ごきげんよう、透明人間さん。いいえ、花びらのおかげよ」 「なるほどね」  少女はそれから、その花畑に通うようになりました。    透明人間は、いるときといないときがあります。彼には影も形もないけれど、いるときは案外、少女は楽に透明人間を見つけることができました。  雨の日は花弁と同じように象られ。あるいは草原の不自然な凹みで。はたまた宙を浮く小枝の動きで。  少女は時々、透明人間にお菓子をあげました。透明人間がクッキーを齧ると、不思議なことにすぅっと見えなくなるのです。 「クッキーが消えたわ」 「僕が何か食べると、それも透明になるみたいだね」 「そうなのね」 「服も同じで、身につけると透明になって見えなくなるようだ」 「そういえば、そうね。でもこの間、小枝を持っていた時は消えていなかったわ」 「あれはすぐ捨ててしまうものだったし、僕のものじゃなかったからかな」  少女はそれを聞きながら、とあることを考えていましたが、ついぞ透明人間には言いませんでした。    少女はそれから何年も透明人間の元へ通い続けました。  大人になっても通い続けました。  透明人間が透明人間になったわけを聞いても通い続けました。  もうここに来るのは止した方がいいと言われても通い続けました。  透明人間の好きなお菓子を携えて、通い続けました。  晴れの日も、雨の日も、花の季節も、枯れ葉の季節も。  あいにいき続けました。  そうしてまた幾年経つ頃、彼女の姿は誰にも見えなくなりました。  おしまい。
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