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あの日もいつものように、人気のない駅舎で駅員に泊まれそうな宿はないかと尋ねた。
「お客さん、そりゃあ降りる駅を間違えなすったな。ここは小さな町で、直ぐそこは山だ。日用品を扱う店がたったひとつあるきり、せめて隣の駅でおりなきゃ」
話ながら改札鋏をカチカチと鳴らす。私の他に降りた客が居ないことを確認すると、駅員は改札ブースから出て「二時間後の電車で移動しなよ、お客さん」と言いながら、待合室の隣にある事務所へと入っていってしまった。
取り残され、ともかく私は駅舎を出てみることにした。ふと傍らに目をやれば、誰かが踏み込んだ雪だまり、ゆうに膝上を越えている。
知らない町を歩くと、抱えきれないほど得るものがある。町によって匂いが違う、温度が違う、言葉も違う。醤油作りの盛んな町に降り立った時は、芳ばしい香りが漂っていたものだった。
宿屋がないなら散策した後、電車に乗って宿がある駅まで行けば良い。
駅舎から眺めた駅前はロータリーなどというものはなく、ただの直線道路のどん詰まりであった。辺り一面見事に染め上げられた白銀で、音もなく降り続ける雪。
私はサラサラの粉雪の中を歩き出した。この町の雪はべたついたところがなく、まるでベビーパウダーのように粒子が細かい。夏の間、ラーメン屋のバイトであくせく稼いだ金で購入した、値の張るダウンジャケットに雪が落ちると、定着することなくパラパラと落ちていくので、濡れることがなくて助かった。
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