ふるえる卵

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「キースさんって髪サラサラですね」 「それは今言うことか?」  森の中、キースは玉子を抱え、眷属達の猛攻を避ける。「じゃあいつ言えば?」「黙ってろ、舌噛むぞ」キースは振り下ろされた鋭い爪を、魔力を込めた剣で弾いた。玉子は獰猛な獣の姿をした眷属には見向きもせず、青い光を帯びた剣を見つめて「魔術も綺麗」とうっとりする。キースは相変わらず呑気な玉子に、呆れを通り越して感服した。  二人が行動を共にするようになってから十日が経っていた。次元の狭間を目指して旅する道中、度々眷属の妨害に遭い、卵がおびき寄せる災禍……肉食獣や盗賊に襲われたが、玉子はいつもこの調子である。まるで恐れを知らない。少女としては不気味だが、預り人としてはこの上なかった。恐怖を吸い取ると震えを見せる卵は、微動だにしていない。  キースは呪文を唱え、魔剣で眷属を切り裂く。どろりとした黒い血が二人に飛び散った時、玉子は初めて僅かに顔を歪め「洗いたい」と言った。  森の奥の泉で、玉子は服の汚れを洗う。それから自身も水に浸かった。水温は低く凍えそうだったが、まあ死にはしないだろう。卵を抱えながらスイスイ泳いでみた。実のところ、玉子はそれ程この卵が嫌いではない。ちょっとざらついて手に馴染む感じも、丸っとしたフォルムも、今のこの状況も。……卵が原因で仲間を失ったキースの前では、決して口にしないけれど。 「あれ?」  玉子は水面の一部に違和感を抱き、泳ぎを止める。まるでそこの水だけ凍ったように揺れていなかった。水は玉子に気付かれるとボコボコ盛り上がり、たちまち大きな蛇の形となる。 (おお~本当に色々な眷属が居るんだな……あっ)  玉子は何かあった時はすぐキースを呼べと言われていたのを思い出し、木陰で見張りをしている彼を呼ぼうとした。が、開けた口から水蛇が侵入してくる。 「ぐっ、おえ」  声にならない。玉子の濁ったえずきにキースが駆け付けると、泉の中で玉子が液状の眷属に襲われていた。口から入り込んだ水蛇が、少女の薄い腹の下で蠢いている。キースは急いで水に飛び込み……玉子の鳩尾を殴った。「げえっ」と彼女が吐き出した蛇を魔術で蒸発させ、彼女を連れて泉から上がる。 「おい、大丈夫か」  静かな卵は彼女の心の平穏を物語っているが、生理的な現象は別なのか、玉子は青い顔で口元を押さえ、胃の中のものを全て戻した。……すっきりしたみたいな、ちょっと恥ずかしそうな顔で視線を逸らす玉子。キースは血で汚れたままの黒衣を、躊躇いつつ彼女に被せ、水筒の水を差し出す。口を注ぎ終えて水筒を返した玉子は、引き換えに何か小さなものを握らされた。 「飴?」 「口直しに、舐めると良い」 「……キースさんって優しいですね」 「優しい男が容赦なく女の鳩尾を殴るか?」 「容赦なく優しい人ですね」  玉子は飴の可愛い包み紙を開き、口に含んだ。すっぱ苦い不快感の残る口を、甘い味が塗り替えていく。「美味しい」と笑うのほほんとした玉子にキースは安堵の息を吐いた。  目の裏には、苦しみに悶えていた細い体が焼き付いている。白い肌の上には無数の古傷……恐らくは暴行の後。それが何であるか。彼女が何の準備も無しに旅に付いて来れた理由を、聞いてはいけない。感情の芽を育ててはいけない。  キースの懐をまさぐり「もう一個欲しいです」と飴を探す玉子を、キースはやれやれと押し戻した。
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