ふるえる卵

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 ――東の果て、ミカデ山の頂上。三月の旅を経て、遂に二人は辿り着いた。  見通せない深い崖の下には、次元の狭間があるとされている。そこは何もない永遠の無で、一度入ると二度と出てくることは出来ないという。  待ち伏せしていた最後の眷属との、熾烈な戦いを終えたキース。これまでにない程の怪我を負った彼を手当てする玉子。キースは暗い気持ちで彼女を見下ろした。今までの人生で一番色濃く、長いようで一瞬だった彼女との旅が、ここで終わろうとしている。 「お前さん、どうして怖くないんだ?」  死にかけの眷属が、どこで覚えたのか人間の言葉を吐いた。玉子が振り返る。 「預り人の契約は、死ぬまで解けないんだろ? お前さんはここで死ぬか、卵様と一緒に次元の狭間に落ちなくちゃあならない。永遠に、孤独に彷徨うんだぜ?」  キースの心臓がどくりと脈打つ。放っておいてもいずれ死ぬその醜悪な怪物に、その喉に、衝動的に剣を突き刺していた。  怪物が言ったことは真実である。キースが玉子に伝えられずにいた、真実である。当初は黙って狭間に突き落としてしまおうと考えていたが、今はそうではない。ただ言えなかったのだ。彼女に、この世界の為に犠牲になってくれと。  今、後ろで玉子はどんな顔をしているだろうか。その顔を見るのが――怖い。いつも通りの顔をしていても、怒りや悲しみを浮かべていても、耐え難かった。キースの剣を握る手が震える。 (俺は、玉子を失いたくない) 「キースさん……」  キースの中に芽生えてしまった恐怖。玉子は手元の卵を介してそれに気付くと、慌てて彼に駆け寄り、その頬に触れた。 「大丈夫です、大丈夫。何となく予想してましたし。私は何も怖くないから。気にしないで。全て任せて」 「玉子……」  キースはその手に触れようとしたが、玉子はするりと離れて行ってしまう。そして軽やかに走り、崖の縁に立つ。キースはぎょっとして手を伸ばすが間に合わない。 「さよなら、キースさん」  少女の体が傾き、抱いた卵と共に崖下に落ちる。「玉子、待て、行くな」と乾いた声で紡いだどれもが、もう彼女には届かない。  いつも呑気で楽しそうな、子供っぽい玉子。予想できない行動に目が離せなかった。彼女の作る料理は、過酷な旅の中での楽しみになった。彼女の笑顔が、心の安らぎに……自分の帰る場所になっていた。 「玉子……玉子!」  ずっと封じていた感情が堰を切って彼の体を支配する。いつから彼女がこんなに大切になってしまったのか。彼女を失うということが、こんなにも恐ろしい。  ――キースは空に向かい、咆哮した。
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