ふるえる卵

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 絶望に打ちひしがれていたキースの頭上、一つの光が小さく収束する。青空に溶け込み浮いているのは年端も行かぬ子供で、その腕には玉子が抱かれていた。崖の縁に降り立つ二人に、キースはフラフラ歩み寄る。玉子はきょとんとキースと子供を見ていた。  子供は髪も肌も真っ白で、つるりとした裸体は少年でも少女でもない。一体何者なのか。玉子は「あれ、卵が無いっ」と空っぽの腕に気付く。 「いっぱいになったから、生まれたよ。僕が」  子供の底知れぬ白い瞳に、キースが警戒を露にする。一瞬だけ彼女を救ってくれた神かと思ってしまった自分が情けない。 「まさか貴様が、闇の帝王だとでも言うのか? 帝王は人間とかけ離れた姿だったと聞いているが」 「親は子に似る者だから。ね、母さん」 「え? 私のこと?」 「うん。あんなに甘くて美味しい恐怖は初めてだったよ。父さんのも中々」  父さん、と呼ばれたキースがあまりに意表を突かれた顔をしたため、玉子は思わず吹き出した。二人の目が合い、見つめ合う。  ――恐怖にも種類がある。人が誰かを失いたくない、守りたいと思う恐怖。愛と言う恐怖が生んだのが、この子供であった。子供は美味な恐怖をもっと教えてくれと玉子にじゃれ付く。その見た目はただの子供にしか見えず、玉子は愛らしさと……罪悪感を思い出した。  その時、太陽が隠れる。雷が落ちる。まるで世界の終わりのようなそれは、恐怖の帝王の復活を告げていた。卵から飛び出したもう一つの光……闇が、山の如き怪物となり、東の空に聳え立っている。――卵が吸ったもう一方の純然たる恐怖の姿だ。帝王は異なる恐怖で二つに分かたれたのである。 「遂に復活してしまったのか」 「私の所為です、ごめんなさい」 「いや、お前の所為じゃない。生きていてくれて……ありがとう。過去に一度は倒せた帝王だ。きっと今回もどうにかなる」  キースは帝王に、剣を構える。玉子は彼の言葉に心が震えるのを感じた。白い子供は玉子に抱き着いて「この震えは恐怖?」と尋ねる。玉子は「これは……喜びだよ」と小さな声で教えた。 「ふーん。じゃあ父さんの震えは?」 「父さんと呼ぶな。これは……武者震いだ」 「えー、なんかそれカッケー! 僕も手伝ってあげる」  白い子供はキースの横に並び立つと、その小さな腕を空に掲げた。強大な魔力がそこに満ちていく。二人の帝王の対峙に大地が震えた。 「これからもよろしくね、母さん、父さん」  優しい恐怖が、無邪気に笑った。
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