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道がわからないといったのに、いつまでも動き出そうとしない古池を、花月は怪訝そうに見る。
そしてそこにあった表情を見て、さらにその色を強くした。
「……なに」
「…え?」
「なんでそんな顔してるの」
指摘されて、古池は慌てて自分の顔を触る。そこでようやく自分がどんな表情をしていたのかを自覚した。指先から伝わる温度は、いまにも弾けそうなほどに熱い。赤面しすぎるとしぬ、なんて仕組みがこの体にあったら、自分の寿命はいま、まちがいなくここだ。
「ご、ごめん。花月くんが僕の名前を呼んでくれたのがすごく、うれしくて」
今日発した言葉の中で、一番。なんだか純度の高い音で、その声は自分の心境を相手に伝える。
「それがつい、顔にでちゃった」
表情が緩み、ふやけそうになるのを頑張って抑え込もうとする。クラスメイトに名前を呼ばれただけでこんな顔をするのはおかしい。わかっている。わかっているけれど止められない。理性より感情が先行して、どうしよう。これから先何があっても、今日この日のことは忘れたくない。やっぱり帰ったらカレンダーに書き込む。自分の名前は、こんなにも特別な響きを持っていたのか。
知っていてくれた。呼んでくれた。花月くんが、僕の名前を。
「……お前」
「あ、ご、ごめん。美術室、だよね。こっちだよ」
あまり長い間こうしていると、さすがに怒られてしまいそうだ。頬を軽く叩いて気合を入れると、古池は花月の前を歩いて帰り道を案内する。
古池。古池。先程の花月の声を、頭の中で何回でも再生する。いっそこの体が機械でできていたらよかった。そうしたらたぶんレコーダーとかも搭載できるし、さっきの花月の声をいつでも好きなときに聞き返せる。たぶんそれだけで七年は寿命が伸びる命だ。誰かにこのことを自慢したい。同時に、秘密にしておきたい気もする。花月くん、花月くん。
やっぱり僕は、きみのことが。
歩き出した古池の後ろ姿を、花月はじっと見ている。彼が思い返すのは、さきほど名前を呼んだ自分の声ではなくて、呼んだ後に古池がみせた表情だった。
写真に残すならあの顔が良かった。そうしたら、また見ることができる。
……なんでまた、見たいんだろう。
首を傾げたが、いまはそれについて深く考える時間ではない。答えがあるのなら、これから先ゆっくり探していけばいい。時間は多分、十分すぎるくらいにある。カメラをしまうと、花月は自分の後ろの席に座っている、古池というクラスメイトの後へ続いた。
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