花月くんにとかされる

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「誘われてるのかと思ったんだけど」  気まずそうに視線を彷徨わせながら、花月はすこしだけ拗ねているようだった。教室の窓から差し込む茜色が、彼の存在を透かす。自分が中世の画家だったら、この景色をテーマに生涯絵を描き続けただろう。むかしに教科書で読んだような画家の半生を脳内でなぞって、生まれ変わる予定もないのに、古池はそんな事を考えていた。  ◆  運悪く担任教師の機嫌が悪い日に遅刻をした古池は、その日の放課後、部活に勤しむ運動部の掛け声が校庭に響くのを聞きながら、誰もいない教室で作文用紙と向き合っていた。いまからここに、反省の意と改める誠意を言葉にして記さなければならない。とはいっても文字数の指定はなく、これ一枚埋めれば良いのだから、授業中に内職でもしてさっさと終わらせればよかったのだろうけど、こういうところで適度にさぼれないのが古池だった。  正門をくぐったころには一時間目がはじまっていて、教師に怒られながら教室へ入ったあと、一連の様子をすべて見ていた花月に「夜ふかしでもしたの」と声をかけられたのは一生の思い出にするとして、まさか寝坊の原因が、昨日花月に頬を触られたことが現実であったのかどうかをずっと考えていたからだなんて、自分しか見ない日記に残しておくのすら躊躇われる。いまどき少女漫画のヒロインだって、こんなに夢見がちなことはしないんじゃないだろうか。今度買って読んでみようかな。  教室にはもう誰もいない。みんな帰るか部活へ行くかしてしまって、花月も順当に、クラスメイトに連れられて出ていくのを見た。どこかへ遊びに行くんだろうか。学校の周りはなにもないから、駅まで行くのかな。最寄り駅だって遊ぶ場所が充実しているわけではないけど、ここにいるよりは楽しいだろう。  ……いいなぁ。 「陽冬」  教室の入口から声がかかる。顔向けると、鞄を持った兵藤が立っていた。傾き始めた日がその姿を縁取っていて、後光みたいに見える。 「夢乃。まだ残ってたんだ」 「陽冬こそ」 「僕は今日ちょっと遅刻しちゃって…」 「反省文か」 「そんな感じ」  兵藤はなんの抵抗も見せず、てくてくとたやすく教室へ入ってくる。自分なら放課後誰もいないという状況であっても、他のクラスへ入るのはすこし躊躇するのになあ。自分にはないものをそこに見出しながら、古池は兵藤の行く末を見守る。
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