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花月は近くの壁に貼ってある「本日のおすすめ:ハンバーグ」と大きな文字で書かれたオムライスのポスターを見ながら首をかしげている。たぶん、彼は慣れているのだろう。慣れているから、もう意識の範疇にも及ばない。鳥が鳴いていても鳥だなあとしか思わないように、人に見られていても見てるなあとしか思わない。きっとたぶん、そんな感じだ。でも耐性のない古池は、なんだかちょっと落ち着かなくて。
「……ああ、そうか。気が付かなくてごめん、古池」
「えっ」
「もっと人が少なそうなとこ、選んだらよかった」
それでも花月は、自分と過ごす人の気持ちを察することができる。きっと今までに何度もこういう事があって、そのたびに交わしてきた会話なのだろう。人の視線を集めすぎてごめん、なんて、はたから見ればずいぶんと枠の大きな悩みかもしれない。それでも確かに、彼を無遠慮に襲ってきた事象でもある。
「俺、少し席を外して」
「花月くん」
「うん」
「実は今日の僕、すごくおしゃれなんだ」
「…そうなんだ?」
「うん。いつもは着ないような服で、一番新しい靴で、寝癖を治すのにも三倍くらい時間かけた。だから」
言う前から恥ずかしすぎて、顔に熱があつまってくる。古池は決して、自己評価が高いタイプではない。むしろ標準より低い気さえしている。だからこうやって、本心ではなくとも自分の一部分を……よりにもよってその化身みたいな花月の前で主張するのは、めちゃくちゃに勇気のいることだ。けれど、やる。やらねば。それが花月の平穏に、ここへ後ろめたくなく座ってもらえる起因になるのであれば。
「もしかしたら僕がかっこよすぎて、お店中の視線を集めちゃってるのかもしれない」
「……」
「だから花月くんは、何も気にしなくていいよ」
花月はぽかん、としている。狐につままれたよう、というのはたぶん、これのことだ。この場合、つまんだのは狐ではなくて古池だけど。
身体の熱を冷やすため、傍らにあった水をごくごくのんだ。いまだ言葉を発さない花月の手の内で、ゆるい顔の猫がころころ転がり、机に落ちる。
「…ふ、」
しばらくして、花月が小さく笑った。
「ありがとう、古池」
「えっ」
「うん。古池はすごくかっこいいよ」
追加の水が必要になる。そう思ったけれど、先程ほとんど飲み干してしまったグラスの中には、もう何も入っていない。
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