花月くんにころされる

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 初老の国語教師が時折つっかえながら読み上げる古文が眠気を誘って、黒板からそらした目がまた前の席の後頭部を捉える。お昼、何を食べたんだろう。栗色の髪は艷やかで、指通りが良さそうだ。ていうかこれ、地毛なのかな。たぶんそういう風にセットされている髪の毛の流線をたどると、白いうなじが見えた。ワイシャツと毛先の隙間に、小さなほくろが二つ並んでいる。あの位置だと自分では見えないだろうから、もしかすると花月自身もその存在に気がついていないほくろかもしれない。  え、そうしたら僕、花月くんのほくろの第一発見者? いいの? 僕なんかがそんな名誉を? そんな恐れ多い…だめだ。自分でもどうかと思うくらいにこじらせている。思うだけなら無罪だということにしたいけれど、自分の中にあるなけなしの良心がそれに耐えられない。花月くんと友だちになれたら。彼と普通に話せる仲になったら、髪の毛の流れを覚えてしまうくらいに後頭部を見つめていることへの罪悪感が、少しは薄れるだろうか。いやちがう、そんな罪滅ぼしみたいな理由で仲良くなりたいんじゃない。僕はただ、花月くんと友だちになりたいだけ。僕が花月くんの名前を読んで、花月くんが僕の名前を呼んでくれたら、それはどれだけ素敵なことなんだろうかって、そう考えると夜も眠れないだけ。  古典の後、六時間目は選択科目だった。事前に音楽書道美術の中から一つを選択することになっていて、古池は美術を選んでいる。こういう科目は普通、お昼の後の二時間に続けてやるのだけれど、今日は前の時間に古典の補修が入ったから、油彩とか本格的な美術じゃなくて、おまけみたいな授業をするらしい。  選択科目は自由な席へ座っていいことになっていたから、古池は美術室に九つ並んだ四人がけの机の、一番人が集まっていない席を選んで座った。教卓の目の前になったけれど、特に気にはしない。それよりも、前の席にあの後ろ姿がないのが少し寂しかった。  そういえば花月くんは何を選んだろう。  先週の選択科目も学年が変わった諸連絡のオリエンテーションで潰れたから、同じ科目を選んだ人たちとは今日が初対面だ。そうはいっても古池には友達らしい友達がいないから、兵藤がいないのであれば、誰がどこにいたって同じなのだけど。
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