花月くんにころされる

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 スマートな発音ではなかった。声量だって頼りなかった。のどが渇いて、少しだけどもってしまったけれど、情けなく震えた自分の声は、今たしかに、彼の名前を呼んで。 「なに?」  呼ばれた彼が、こちらを見ている。目と目が合って向かい合って、たったそれだけなのに、なんだかいままでのすべてが許されたような心地になった。 「よ、よかったら僕とふたりぐみ、組みませんか」  大丈夫だったかな、変な声じゃなかったかな。どもるのはこのさい仕方がないとして様子はおかしくなかったかな。自分がいま言った言葉を頭の中で何度も反芻する。よかったら僕と組みませんか。よかったら僕と。よかったら。…同級生と話すのに敬語っておかしくない? しまった、間違えたか。どうしよう。変なやつって思われてたらどうしよう。ていうか名前、名前呼んじゃった。うわ。泣きそう。目頭が、というか顔全体が燃えそうなほどに熱い。  実際は数秒であったのだろうけど、古池にとっては永遠にも思えた沈黙の後、花月の形の良い唇が開いて、言葉を紡ぐ。 「いいよ」 「……えっ」 「えって何」 「お、おっけーという、ことですか」 「うん。ていうかなんで敬語なの?」 「う、な、なんとなく」 「…とりあえず、そんな緊張しなくていいんじゃない。時間三十分しかないらしいし、もう行こうか」  自分の言葉に花月が反応して、花月の言葉に自分が反応している。会話だ。これは紛うことなく会話だ。会話してる。花月と会話をしている。二週間前の自分へ。僕は今花月くんと会話をしています。  生きててよかった。声をかけてよかった。今日学校にきてよかった。この世の森羅万象の全てに感謝をしていると、花月が席を立ち、教室の出口へと向かう。いつも見つめている後頭部が遠ざかるのを見て、古池も慌てて後へ続いた。  極限まで緊張すると吐きたくなるのは万人に共通することだろうか。手元のカメラをじっと見ていた視線を隣へ送ると、辞書で美しいと引いたらまっさきに出てきてほしい横顔があって、また目を奪われる。授業中の校舎内は静まり返っていて、二人の室内履きが廊下をきゅるきゅる踏みしめる音がどこまでも反響していきそうだった。
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