三月と紫煙(さんがつとしえん)

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 屋敷に来て二日目の朝。  部屋に差し込む朝日で、三月(みつき)は自然に目覚めた。  眠い目をこすりながら教わった場所で顔を洗い、タオルを洗濯機に入れてから居間へ行く。  彼女が掃除をした居間は静謐(せいひつ)で、テレビでアナウンサーが淡々と原稿を読みあげている声がよく通った。  意外にも彼は起きていた。  それは朝の習慣なのだろうか。  庭にある大きな石の上に腰を掛け、足を組んでタバコをふかしながら、桜の木を見上げていた。  朝日できらめく整った横顔と後ろに束ねた美しい銀髪に、三月が思わず見惚(みと)れてしまったほどだ。 「おはよー」 「ん? おはよう三月」  タバコの火を石に押し付けてから、ヨシローが顔を向ける。  縁側からサンダルを引っ掛けて庭へ出た三月は、ヨシローの隣で同じように木を見上げた。  五分咲きの桜。  3月は春だというグーグルの答えは、あながち嘘じゃないかもしれない、悔しいけれど。 「眠れたかい」 「うん」  どこかぼんやりとした生返事だったが、ヨシローは別段気にする様子もなく、 「まあ、自分の家だと思ってゆっくり過ごせばいい。どうせ出資者はおまえのとーちゃんだ」 「……」 「そのジト目やめて? なんか言って!? あとほら、風邪ひくから羽織っとけ」  ヨシローは着ていたカーディガンを、三月の薄いパジャマの肩にかけた。  一瞬驚いた三月だったが、ニットについた大人のにおいはどこか安心する気がした。 「おにーちゃんは今日、何するの?」  緊張が解けたのか、今度は三月の方から声をかけていた。 「俺はやることねーから、おまえに合わせるぜ」 「あたしは掃除の続きをしようかな」 「あの、俺に気を使わなくていいからな?」 「違う」  三月の目に強い光が宿った。  小学生のころは一方的にお世話をしてもらっていた。  けれどもう違う。家事もできるし、ヨシローには大人として扱ってもらいたい。  そんな14歳少女の、複雑な乙女心が燃え上がる。 「普通に汚屋敷すぎて無理」 「はい、すみません」  掃除が苦手なヨシローは素直にハンズアップした。 「まあいいか、好きにしろ」 「で、おにーちゃんは?」  タバコに火をつけて、再びふかすヨシローの横顔に三月はもう一度尋ねる。 「家にいても暇だし、パチ(金策)かな」 「おにーちゃんって、みんなに怠け者って言われてるよ」  まあな。と、ヨシローは目を細めて笑った。 「(すね)をかじれるうちは全力でかじってやんよ。これが俺の生き様だ! おまえは真似すんなよ?」 「しないし、あたしもおにーちゃんのこと普通に最低と思ってる」 「そうなの!?」 「預金はあるの?」 「ふ。宵越しの金は持たないと決めているっ」  それは大層キリッと。  決め台詞のごとくドヤッと。  そんなクズ発言、普通ここまで堂々と宣言するだろうか。 「もしかして、何もしてないのは、具合が悪いとか?」  だからこそ、ノリの軽い銀髪だが、もしかしたら事情があるのかもしれない。  そんな三月の気遣いに、ヨシローは純粋な瞳で首を傾げた。 「は? そしたらヤニカスなわーけw」 「そうだよね、うん。じゃああたしがこの家にいる間は、なるべくおにーちゃんがまともに過ごせるように見張るね?」 「三月? そんな怖い顔で笑わないで?」  尋ねるまでもなかった。  体調が悪い人が、タバコ吸ったりパチンコに出かけたりするはずがない。  三月はやりとりがおかしくて、思わず笑みをこぼす。  寒い春の朝。  けれどとても晴れた朝。  紫煙が立ちのぼる先から太陽が差し込み、冷えた二人の肌をゆっくりと温めた。
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