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僕はすぐに彼の両肩に手を置くと、ゆっくりと体を起こすのを手伝った。原田さんは苦笑いしながら「すみませんね」と言う。70代の原田さんは、去年奥さんを亡くしたばかりの老人だ。穏やかな人で、いつもニコニコしている。でも歳のせいか、最近はよくつまづいてしまうと言っていた。
「いやぁ、もう歳ですかね」
「気を付けてくださいね」
「すみません、足がどうも言うことを聞いてくれなくて」
あはは、と髪の少ない頭をポリポリと掻いた。
僕はニコッと笑うと、体にぐっと力を入れて原田さんを立たせた。原田さんは誇らしそうに笑って「そうですか、ありがとう」と言った。
「じゃあ、また」
「はい、お気をつけて」
原田さんはペコリとお辞儀をすると、またおぼつかない足取りで歩き始めた。「どうもー」と伸びやかな声ですれ違った人に挨拶をしていた。僕はそんな背中を見つめてから、また自転車にまたがった。すると地面に何かが落ちているのを見つけて、僕はまた自転車から降りた。
何やら黒いスイッチのようなものだ。
「何だこれ」
僕はそれに手を伸ばそうとすると、「まって!」と言って険しい顔つきをした原田さんがそれを奪った。いつにもいない険相に僕は思わず尻もちをついてしまった。原田さんはそれをポケットの中に仕舞うと、いつものようににこやかな笑みを浮かべてまた歩いて行ってしまった。
「原田さん!」
僕は彼を呼び止める。彼は僕のことを見て「何でしょう」と先程のことなどまるでなかったかのように言った。
「それは……一体」
僕は原田さんのポケットを指さした。彼は大事そうに先程の何かをポケットの中にしまった。あの原田さんが険しい顔になって、怒鳴るくらいに。
「何でもありませんよ、本当に何でも」
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