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珍しく、遠方からの出張依頼。片道車で五時間の田舎町だ。
社内には、誰が行く?という空気が流れたのだが、それは部長の一声ですぐに決まった。申し訳なさ程度に残る毛髪、その隙間から頭皮をテカらせた加藤部長の権限は強かった。
「ほら、江口くんはメンテナンスもできるし、もしもの時に二人分の能力があるだろう?頼むね」
薄ら笑いを浮かべながら、加藤部長は俺を見上げて腕をポンポンと叩いた。
おおよそ、メンテナンスもできる営業だからというのは建前に過ぎない。半年ほど前の飲み会の席で、俺が「チビハゲ」呼ばわりしたことを、加藤部長は根に持っているに違いなかった。
その飲み会の時、他部署から異動で来たばかりの児玉 美宏に対する「顔は可愛いけど、大柄なんだよね。もったいないね」だの「もうちょっと背が低ければなぁ」だのという部長のセクハラ発言に、俺はイライラしっぱなしだった。
言われた当の本人は「栄養が良くて~…」と笑ってはいたが、気づけば俺は「こんなチビハゲの言うことなんて気にすんな」と、口をついて出てしまっていた。その声は思いのほか大きかったらしい。加藤部長はみるみる茹でダコのように赤くなり、ぷるぷると肩を震わせていた。
その時の凍りついた空気、思い返すだけで身震いしてしまう。
児玉とは、この事がきっかけでよく話すようになった。
映画や音楽の好みが似ていて、気が利いて、痒いところに手が届くやつだ。一緒にいても気は楽だから、誘われれば映画くらいには行くが、それ以上の関係にはなる気はなかった。
先方との約束は明日だ、急ぐことはない。俺は早めに昼食をとって、十二時前には出発した。あてがわれた車は白のハッチバックだった。
速度規制のかかった冬道を、緊張しながら運転する。少しでも落ち着くように、お気に入りのロックバンドのアルバム曲を流した。
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