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「お仕事はされてるんですか?」
何個目かの問いかけだった。それまでは決まりきった返答ばかりしていたのに、この質問の後、女は淡々と身の上話を語り始めた。
二年間の社内恋愛の末に結婚し、妊娠を期に退職。それなのに直ぐに流産してしまったのだそうだ。それから夫とはすれ違いばかりだと…
急に饒舌になった女を不気味に思ったのと同時に、内容も重たいもので、俺は何と返答してよいのかわからなかった。だから、ただ黙って話を聞いた。
「夫は浮気していたんです…」
「え?」
「夫には愛人がいたの…」
小さいながらも、怒りのこもった震える声だった。
俺は、自分が浮気を疑われた時のことを思い出した。
あの時、俺を問いつめる椿の声も震えていた。『信じてたのに…浮気なんて…二股なんて最低!』怒りと悲しみのこもった声。
「思い違いだよ…」
無意識に俺はそう口にしていた。あの時の椿の声と女の声が重なって聞こえたのだ。この世の終わりを告げる様な、思いつめた声。
すると女は「何が違うの?」と、急に俺の方へぐりんと顔を向けた。
あり得ない角度で回転した首に、背筋が凍り付き、俺はひゅっと息をのんだ。
そして女は勢いよく俺に顔を近づけて、血走った目で睨みつけた。俺の太ももを爪が食い込むほどに強く掴んだ。
女の姿はみるみるうちに、この世のものとは思えないほど醜く歪んでいく。ミイラのようにやせ細り、肌の色は青白く、落窪んだ眼窩からは眼球が飛び出して、今にも落ちてしまいそうだ。
「ひぃっ」
太ももの痛みと、目の前の化け物に慄いて声が漏れた。
「あなた……あなたも…あの人と同じなの?じゃあ……フフフ…フフフフ…」
全身から血の気が引く。
俺は化け物と化した女から体を離し、車のドアハンドルに手をかけた。
ドクドクドクドク
心臓が激しく波打つ。
ガチャガチャガチャ…
開かない!?
開けよ…
俺は必死にハンドルを引き、ドアに体当たりする。
背後から女が俺の首を絞める。ごつごつと骨ばった凍るように冷たい手が、首筋に食い込んでくる。
「うぐっ…ぐ…」
俺は咄嗟に女の手首を掴み、足をジタバタと動かして抵抗した。
女の薄気味悪い笑い声と、ガツン…何かが足に当たった音を耳に残して、視界は徐々に闇に覆われて、意識が遠のいていった。
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