駅が見える理容室

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 翌日、父さんは県立病院を退院した。  主治医から民間の患者搬送車を手配するように勧められたが、父さんはかたくなに断った。そうなれば、典和の車で盛岡まで移動するしかない。  病室を出るとき、父さんは病院が用意してくれた車いすに乗った。 「昨日、女房とふたりで吉里吉里海岸さ行った夢見だんだ。久々に女房の水着姿見で興奮したぞ。ガハハハ!」  父さんはエンジン全開だった。付き添ってくれた女性看護師がニヤニヤと笑っていた。  冷たい海風が吹く病院の中央口で車いすを降り、典和のワンボックスカーに乗りかえる。僕は車いすをたたんで、乗用車の荷台に押しこんだ。車いすの金属部分が氷のように冷たい。手がかじかんで、指先が痛くなる。  盛岡の病院までは三時間かかる。長旅で体調を崩さないだろうか。そんな僕の心配とは裏腹に、後部座席に座った父さんは、ひとりごとの合間に大声で笑ったり楽しそうに鼻歌を歌ったりと元気いっぱいだった。本当にガン患者なのかと疑ってしまう。助手席に座った僕は苦笑いしながら、父さんのひとりごとを聞いていた。 「典和。吉里吉里駅さ寄ってぐれ。雅之と例の話をするんだ」  車が動き出したところで、父さんは急にそう言った。  駅で? まったく予想していなかった。 「何で駅なんだよ。車の中で話してくれればいいよ。無理に、外には出ない方がいい」  僕が後部座席の方を向いて注意した。病人が、駅舎のない真冬の駅で立ち話をするのは体に良くない。  しかし父さんは首を横に振った。 「駅がいいんだ」  こうなると、話に応じる父さんではない。 「しょうがないな。親父、長居は無用だぞ」  典和は呆れたように息をつき、ハンドルを左に切った。車は国道を離れ、駅へ通じる狭い道に入っていく。  自分の注意を簡単に無視されて納得がいかない部分もあるけれど、父さんの話が聞けると思うと胸が高まってくるのを感じた。  駅前広場は人影がなく、空気の流れる音が聞こえそうなくらい静かだった。小さな紙袋を持って車を降りた父さんは、歩く足がおぼつかない。入院中に体力が落ちたのだろう。ホームまでは長い階段があるから車いすが使えない。都会の駅ではないのでエレベーターはない。僕と典和のふたりで父さんの両肩を支え、三人で階段をゆっくりと上った。  人影のないホームに足を踏み入れたとき、カタタンカタタンと、線路を走る列車の音が遠くから聞こえてきた。しばらくして、白い車体に赤いラインが入った二両編成の列車が駅に滑りこんできた。ディーゼルエンジンのカラカラという音が響き、油のにおいが鼻をつく。ふたりの客を降ろしたあと、列車は宮古駅方面に向かって走っていった。  典和は「何かあったら俺を呼んでくれ」と言い残して車に戻った。ホームに僕と父さんだけが残った。  ホームの上に設けられた待合室の中に、木製のベンチがある。そこに座って話をしようと提案したものの、父さんは「ホームの上で話す。立ったままがいい」と聞く耳を持たなかった。無理やり座らせるわけにもいかない。僕はホーム上で父さんの真横に立ち、倒れそうになったときに支えられるような態勢をとった。  ホームに立っていると、厚手のジャンバーを着ているのに冷気で体が凍りつきそうな感覚に襲われる。体がブルブルと震えてきた。気温は氷点下かもしれない。典和が言っていたとおり、こんなところに長居はできない。  父さんは寒そうな素振りをいっさい見せていない。東京に出ていった僕と違って、三陸の寒さに慣れているのだろう。 「雅之。やっぱり列車はいいものだな」  父さんは直立不動の姿勢で、走り去った列車の方に目を向けた。 「吉里吉里駅は廃止になるど思っていたのに、こうして、客を乗せだ列車が戻ってぎだんだぞ」  父さんは目を輝かせながら身を乗りだした。  余談はいいから早く本題を話せよと思いながらも、僕は「そうだね」とうなずいた。僕と同じで、父さんも高校への通学の際にこの駅を使っていたから、営業再開には感慨深いものがあるのだろう。 「利美もあの世で喜んでるど思う。あいつ、この駅に特別な思いがあっだらしいがらな」  母さんにとって特別な?   もしかして―― 「おめえにとっても、だべ?」  十年前の、あのときのことだと悟った。 「その話、母さんから聞いたの?」 「ああ。あいつは『吉里吉里駅は私と雅之にとって、とても大切な場所なの』と事あるごどに俺に自慢してらった」  母さんの心に強く残っていたのか。  ――記憶の底にあった冬の経験が今、じわじわと頭の中によみがえってきた。他人が聞いたらたわいもない話かもしれないけれど、僕にとって、その後の進路を決める大きなできごとだったのだ。  幼少の頃から両親の仕事ぶりを間近に見ていた僕は、いずれは長男の自分が理容室を継ぐものだと思っていた。  ところが高校三年生になって考えが変わった。釜石の高校に通うようになって、釜石市内における中心市街地の衰退を目の当たりにした。僕の手で街を復活させたい――そのために大学の工学部に進んで都市計画学を勉強しようと。  父さんも母さんもきっと、大学進学を許してくれるはずがない。それなら親に頼らず自分の力で大学に通ってやる。生まれて初めて両親に逆らうことにしたのだ。  両親に内緒で受験勉強した。受験のための費用や学費を捻出するために、学校の帰りにコンビニエンスストアでアルバイトもした。  東日本大震災が起こる約一年前の一月――。大学の入学試験を受けるため、家出同然に自宅を飛びだした。両親の仕事中にこっそりと家を出たつもりだったが、たまたま常連客を見送るために店先から出てきた母さんに姿を見られてしまった。僕は走って逃げた。幸い、母さんは追ってくる気配はない。  安心して吉里吉里駅で列車を待っていたとき、母がホームにひょっこりと現れたのだ。自分の愛車で追いかけてきたらしい。 「そんな大きな荷物を持ってどこに行くの?」  ホームの上で、二メートルの間隔を空けて向きあった。母さんは怪訝そうに眉を寄せた。 「別にどこだっていいだろ」  僕は母さんをにらみながら怒鳴った。 「東京でしょ」 「ち、違うよ」  母さんは笑いながら、僕の頭をこぶしでペコッとたたいた。 「うそをおっしゃい。東京の大学の受験票がおまえ宛てに届いているのを私、見たんだからね」 「……」  うそがバレて顔がひきつる。僕は声が出せなくなった。 「母親をなめないでちょうだい。陰でこそこそやろうとしても、おまえの行動はすべてお見通しなんだから」  ああ……。親にバレないようにやっていたつもりなのに。母さんの方が一枚も二枚も上手だったか。いや、自分の行動に甘さがあったのだろう。 「なぜ私たちに相談せずに東京へ行こうとしたの?」  母さんはしつこく僕を責めたてる。 「だって――父さんも母さんも、僕に後を継いでほしいんだろ? 大学に進みたいと相談しても、絶対に反対されると思ったから」 「何を言っているの。私たちはそんなこと、まったく考えてないわよ」 「え?」  意外な答えに、僕の口はポカンと開いたままだ。 「最近はね、安くカットができる大手の理容室が地方にも進出してきて、昔から営業している町の床屋さんはみんな経営が苦境なの」  そういう話は聞いたことがある。僕が通っていた釜石市内にも、安さが売りのヘアカット専門店が都会から出店していた。 「ウチも例外ではないの。苦しい思いをさせてまで息子たちに継いでもらうのは気が引ける。だったら、私たちの代で店をたたんで、息子たちには自分が希望する職業に就いてもらった方がいいんじゃないかな、なんてお父さんと話していたのよ」 「そうなの?」  「だからね、ウチの店のことは気にせずに、おまえは自分のやりたいことをやればいいの」  母さんの話に肩の力が抜けた。まさか、という感じだけど。 「私たちは、おまえがやると決めたことは真剣に応援するから。受験、がんばってきなさい」 「ありがとう、母さん」  僕は素直にぺこりと頭を下げた。  列車の汽笛が鳴り響き、車体を緑色に塗った三両編成の列車がホームに入ってきた。 「もし、後を継ぎたいという気持ちが少しでもあるなら、大学に籍を置きながら夜間部の理容師学校に通うという選択肢もあるからね」  母さんの話を聞いた数日後にサイトで調べると、そういうのをダブルスクールというらしい。確かに、大学に通いながら理容師の資格を取ることも可能だ。当然、お金がかかる。ウチは金持ちではないから、実際に母さんが学費を出してくれる保証はない。  だけど、母さんが自らそういう可能性を伝えてくれたおかげで安心したし、やる気も勇気も出てきた。  列車が目の前で止まる。 「これ、お小遣い」  母さんは、白い封筒を僕に差し出した。 「いいの?」 「おまえがアルバイトしているのは、近所の人から聞いて知っていたの」  母さんは本当に僕のことを何でもお見通しだったんだ。 「旅費や学費を作るためにがんばっていたんでしょ?」 「うん」 「自分で稼いだ分じゃ足りないかもしれないから、遠慮なく持っていきなさい」  母さんの手から封筒を受け取った。  ガラガラと音を立てて列車の扉が開く。  乗ろうとした瞬間、母さんが正面から僕に抱きついてきた。声をあげて泣いていた。突然の行動だったので、拒否できなかった。背の低い母さんの顔が僕の胸に密着して、厚着しているのに温かいものが服を通して伝わってくる。こんなに激しく涙する母さんを見たのは初めてだった。  なぜ抱きしめるのだろう。なせ、泣くのだろう。自分のやりたいことに対して努力した僕の成長を喜んでくれているのか? その答えは、母さんがこの世にいない今となっては永遠にわからない。確実に言えるのは、僕を真剣に愛してくれていることだ。母さんの突然の行動で今、それを初めて実感した。 「車内のお客さんが見てるよ。恥ずかしいよ」  母さんはゆっくりと僕の体から離れた。そのぬくもりは、まるで使い捨てカイロをあてているように僕の体に残った。  僕が乗ると、ドアが閉まり、列車が走りだす。母さんはホームから、手を振り続けてくれた。  やがて母さんの姿が見えなくなる。僕は封筒を握りしめながら、涙がとめどなく流れてきた。  母さん、約束するよ。大学、必ず合格する。理容師の資格も取って、必ずふるさとに戻ってくるから。  歯を食いしばりながら強く誓った――。  吉里吉里駅での僕と母さんとのできごとは、今、思うと、一瞬の幻影のようだった。  あのときの母さんの涙を生涯、忘れないだろう。その母さんがわずか一年後に天国へ旅立ってしまうとは。  大好きだった母さんの面影がなにも残っていないふるさとを顧みると、病的に全身に震えが起こったり、涙が止まらなくなったりする。生きていくのがつらくなって自殺を図ろうとしたこともあった。だから僕はあえて自分のために――ふるさとを捨てて、東京で骨をうずめる道を選んだんだ。  僕のほほにひとすじの涙が伝う。なんでこんなに泣き虫なんだろう。自分自身がいやになる。 「雅之、見でみろ。俺の城が見えるぞ!」  父さんの大声で、十年前の思い出から現実の世界に戻る。父さんは駅の奥に広がる丘を指でさしていた。僕は涙を拭きながら、指の先へ視線を向けた。 「城?」 「ガハハハ。駅が見える理容室のごどだ」  父さんは白い歯を見せて笑う。  ホームから、父が建てた理容室が間近にはっきりと見えた。三角屋根が小さな城のようだ。決して誇張表現ではない。 「俺がなぜ、駅の近くに店を建でだか――おめえにはわがるか?」  僕は無言で首を横に振った。それは、昨日からいくら考えても解けなかった謎のひとつだ。 「これを見でぐれ」  持っていた紙袋から一枚の額縁のようなものを取りだし、僕に手渡す。受け取った瞬間、僕の視線は額縁に納まった絵にくぎづけになった。  父さんが建てた三角屋根の理容室と同じものがA4版画用紙に描かれていたのだ。驚くほど、実物とそっくりに。赤、青、黄色、緑などのさまざまな色鉛筆を使った繊細な絵柄で、絵というよりも写真のようだ。理容室の左横に、吉里吉里駅のホームと四角い駅名案内板が小さく表現されている。絵の真下に白い紙片が貼ってあり、その中に活字で『駅が見える理容室』と表題らしきものが書いてあった。  建物の外観を立体的に描いた完成予想図のようなこの絵に、父が僕に伝えたいことのヒントが隠されているにちがいない。絵を見つめているうちに、さらに「謎」が浮かんできた。  ――誰が描いたのか。  ――父さんはなぜ、この絵を吉里吉里駅で僕に見せるのか。 「これ、父さんが描いたの?」  ひとつ目の謎を解明すべく、単刀直入に質問を投げかける。 「違う」 「じゃあ、いったい誰が」  問う内容を見透かしていたのか、父さんはニヤッと不敵な笑みを浮かべた。 「利美だ」 「母さんが?」  信じられない。母さんがこんな上手に絵を描ける人だと思っていなかったから。 「絵の右下を見でみろ。女房のサインが入っているだろ」 『2010,10 TOSHIMI OIKAWA』と青の色鉛筆でつづられたサインがあった。この丸まった文字は、まぎれもなく母さんのものだ。  2010年10月といえば、東日本大震災が起こる約半年前にあたる。そのとき、新しい理容室はまだ建っていなかった。理容室が完成したのは、母さんが亡くなった三年後のことだ。ということは――。 「母さんが遺した絵の世界をそのまま、三次元というか、実物の建物にしたのか」 「そうだ。その絵は女房が遺した、世界でただひとづの遺言だがらな」 「母さんの遺言――」  そんな言葉が父の口から飛びだすとは。 「俺は誓ったんだ。俺の趣味や稼ぎは関係ねえ。建物のデザインがら立地さ至るまで、女房の遺志をかたちにするのが俺の務めだどな」  誇らしげに言った。  メルヘンチックな外観の理容室を吉里吉里駅前に建てたことへの疑問が解けた気がした。  父さんは、自分の好みに反し、商売上の採算を度外視してまで、母さんの絵を忠実に再現することに徹したんだ。 「見事だよ、父さん」  父さんの決断力とバイタリティーを褒めるしかなかった。 「ガハハハ、そうだべ? 俺の最高傑作だ。駅の近ぐの土地がなかなか見づがらなぐで苦労したげどな」  喜ぶ父さんをよそに、僕は再び絵を見つめた。  母さんは生前、絵を描く趣味はなかったと思う。その母さんがなぜ絵を描いたのか。理由は想像できる。大学進学を許してくれた裏で、母さんには、本当は僕に店を継いでほしいという強い気持ちがあったんだ。もし僕が後を継いだ場合、新しい店舗を設けることを考えていたのかもしれない。その将来設計を「絵」というかたちで残しておきたかったんだ。駅で交わした僕との会話を忘れないためにも。だから絵の中に吉里吉里駅を入れた――。  それよりも僕にとって気になることがあった。母さんが生前に残した品々はすべて津波に流されてしまったはずなのに、この絵、どこに保管してあったのか。  尋ねると、父はホームの下にある駅前広場を指でさした。 「解体した駅舎の中だ」 「えっ?」  駅舎に?  「なんでそんなところにあったんだ?」  ――意味がわからなかった。 「大槌町役場が、町内にある三つの駅をテーマにした絵を町民がら募集しだんだ」  父さんは声をはずませながら説明してくれた。  絵の募集は母さんが亡くなる半年前に始まったそうだ。母さんは、父さんに伝えることもなく密かに描き、応募したらしい。それは、絵に残された日付から判断できる。絵は見事に入選し、三つの駅のひとつにあたる吉里吉里駅の駅舎内待合室に額縁入りで展示された。 「駅舎を取り壊すという話になったときに、町は、壁に展示していた絵をはがして応募者さ返したんだ。遺族である俺の手元さ戻ってぎだときに初めで、俺は女房が描いだ絵の存在を知っだんだな」  もし、駅舎が津波で流されていたら。町役場が母さんの絵を返してくれなかったら――駅が見える理容室は永遠に建つことがなかったかもしれない。 「利美はな、理容室の中で生きている。今も俺たち家族ど一緒なんだ」  母さんの遺志は、父さんの手でかたちになり、引き継がれた。確かに父さんの言うとおりだ。 「んだがら、悲しむなど、おめえにどうしでも伝えだぐでな。おめえにとって思い出の吉里吉里駅で」 「だから父さんは、この駅で僕に絵を見せた――」 「そうだ」  ガハハハと豪快に笑った。  粋な演出だ。励ます立場の自分が逆に父に励まされるなんて。胸がズキンとなって、右手で心臓のあたりをおさえた。  父さんが伝えたかったことがわかって、一安心だ。一緒に豪快に笑いたくなってきた。  ふと、丘の上に建つ理容室を再び見上げると――母さんが窓から顔を出して、僕と父さんに笑顔で手を振ってくれている気がした。父さんの話が空想ではなく、本当のことのように思えてきた。幻でもいい。母さんの面影が少しでもふるさとに残っていれば、遺された家族にとってそれが心強い存在なのだ。 「父さん、ありがとう」  悲しいわけでもないのに、また、とめどなく涙があふれてきた。 「そろそろ車に戻ろうか。これ以上冷たい風にあたっていると体に悪いぞ」  やせ細った父の体を支えながら、ホームから駅前広場に伸びる階段を一緒に下りた。 「雅之。俺はな、駅が見える理容室を永遠さ残してえんだ。女房のためにも、吉里吉里に住む皆さんのためにも。おめえにはこの気持ち、わかるだろ?」 「痛いほどわかるよ」  失いたくないに決まっているよな。どんなことがあっても。 「父さんの期待に応えられるように僕もがんばるから。母さんのためにもね。だから安心して治療に専念してくれ」  本当の励ましの言葉を、ふるさとに帰ってきてから初めて言えたような気がした。 「そうか。――ありがとうよ」  父さんの目に涙が浮かんでいた。  僕は父さんを支える右手にそっと力を加えた。                                (了)
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