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「あら、千隼もまだ居残り?」
次々降っては沸いてくる雑務を捌いている間に気付けば時刻は定時を大幅に過ぎていた。例の如く煙草を吸ってコーヒーのカフェインで眠気を誤魔化していれば、ラウンジのほうへと咲綾が優雅な所作で歩いてくる。
「まあな、そっちもまだ帰れねえの?」
「ここからもう二山ぐらい越えないとダメね」
「就職してからまともに休みもなくて嫌になるよな、休みに一度も携帯もパソコンも開かなかった日の記憶がねえわ」
アポイントの予定さえなければ出勤せずとも仕事は回る。そのおかげなのか、それとも勤務時間がフレックスだとバレているからなのか、顧客は時間も曜日も関係なしに連絡をしてくるので俺たちに安息の時間などないに等しい。
ほんと最近肩がバキバキで辛いわ、なんて文句を言いながらミルクティーベージュの明るい巻き髪を後ろに払った咲綾は、エスプレッソメーカーを起動させてマグにコーヒーを注ぐ。ふわりと弾んだ咲綾の髪からは、杏樹とは違う華やかで艶美な香りがした。
「昨日、杏樹のこと連れて帰ったでしょ?」
「あれ?もしかしてバレてた?」
「その前まで帰れないだなんだ散々文句言ってたのに、急にいそいそと荷物まとめて帰ってくのが見えたからなんとなくね」
「お前も怖い女だな、油断も隙もねえ」
「だって人間観察が趣味なの」
「まじで悪趣味だな」
ふふん、と楽しげに鼻を鳴らす咲綾がマグに口を付けながら上目遣いに俺を見上げた。不慣れな男なら一発で勘違いしてしまいそうに甘ったるい仕草はこの女の十八番だ。
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