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「そんなんだから咲綾に遊ばれるのよ」
「…咲綾に遊ばれてんの、俺」
「傍から見てる分には弄ばれてるように見えるけど、実際はどうなの?」
この件に関してはあの口達者な女も固く口を閉ざすので、私も詳しくは知らない。そういう雰囲気を常に纏ったふたりだったから嫌でも関係があることには気付いてしまうけど、だからと言ってそれが直線的な恋愛に結び付くほど短絡的な風には見えない。
「今は俺と咲綾じゃなくてお前と千隼の話だろ」
「何それ、勝手に話を差し替えないでくれる?」
「杏樹こそ千隼の話になるとすぐ逃げるよな?」
「別にそんなつもりはないけど…」
──嘘だ。
意識的にこの手の話題を避けている自覚はある。
所詮色恋に関してなんて真っ当で予定調和なもの以外、他人からは認められないのだ。少しでも関係に歪みや綻びがあれば無遠慮に糾弾され、そんな男は良くないとか、自分を削る恋愛はすべきでないとか、誰も彼も手前勝手なポジショントークに余念がない。
だが実際の恋愛に歪みがないことなんてあり得るだろうか?それぞれの感覚と常識が普遍的で汎用的な感性にそぐわないことなど往々にしてあるはずなのに、それが他人事になると途端に気持ちの悪いものだと排斥したがる。
寛容なふりをして多様性だなんだと口にする割りに、自分が持っている感覚に当てはまらなければすぐマナーやモラルを振りかざして攻撃する。自分の選んだ幸福が最も正しくて、そうでない幸福は認めたくない。でもその鋭敏すぎる意識の裏にあるのは、己の選択に対する不安と疑心ではないのだろうか。
「杏樹こそすぐそうやって論旨のすり替えばっかして煙に巻くなよ?」
「…なら何を言えって言うの」
「お前が話したくない理由当ててやろうか」
涼しげな奥二重の瞳が意味ありげに私の元まで視線を流した。口下手で不器用だが誠実な男は、詭弁を弄して他人を翻弄する代わりに、真っ当な言葉で良心をくすぐる。
「千隼のことが好きだからだよ」
──これだから、正直者は嫌いなのよ。
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