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「のんちゃん。そろそろ店を閉めようか。暖簾を下ろして来てくれる。今日は客の入りが多くて閉店時間を30分も過ぎちゃったね」
女将さんの言葉に気付いて、のぞみは時計を見た。
お客さんが入れ換わり立ち替わりして、目の回る様な忙しさだったから、夢中で働いていて時間が過ぎて行くのが分からなかった。
「はい!」
夜中の12時前だというのに、この辺りはまだまだ人通りが多く、暖簾を下ろしに通りに出たのぞみは、店を早く締めるのはもったいないと思ったほどだった。
「どう、疲れたんじゃない? 慣れない仕事で」
「いいえ、楽しかったです。本能寺の注文を受けてステーキが出てきたのでびっくりしました」
「ほら、敵は本能寺って言うだろう。それに例えてステーキは本能寺ってね。今日は売り切れてしまったけれど、今度残ったら食べよう」
「そんな、勿体ないです」
「何言ってんのよ。店の物をいろいろ食べて、味を覚えていかなくっちゃ」
「はい。有り難うございます!」
「初日から、手際良く動いてくれるからびっくりしちゃったよ!」
「こんなお仕事、出来たら良いなって思っていたんです」
「だけど、こういう仕事は初めてなんだろ? それにしても、うちを選んでよく来てくれたよ。のんちゃんとなら私も呼吸が合って仕事しやすかったもんね。今日は本当に気持ち良く働けたわ」
「有り難うございます! お母さんに褒めて頂けて嬉しいです」
「それにしても、一筋入った路地にあるこの店をよく見つけてくれたね」
「私……、去年、会社の忘年会の時に、お母さんの姿を見て、ずっと心に残っていたんです」
「忘年会?」
「はい。美しい着物を着たお母さんが、表で盛り塩をして、小さく屈んで手を合わせていらっしゃった姿を…」
「ま!」
のぞみはお母さんが嬉しそうに笑ってくれたので、心が軽くなっていろいろ聞いて貰いたくなった。
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