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6
兎斗に与えられたのは覗き窓付きの地下牢だった。文机も、手紙を書くための紙や筆もある。食事は朝夕二回与えられ、見張りに「便所に行きたい」と言えばちゃんと連れて行ってもらえる。自由はないが、タンチョウ族として捕らえられた者の処遇としては不可解なほど快適な生活……これも全て、飛燕のおかげだ。
あの日、山道を逃げていた兎斗は崖を転げ落ち、捕まった。すぐさま縛り上げられ、荷馬車に転がされたが、それから間も無く、この部屋に移された。
自分は拷問にかけられ、殺されるのだと思った。この世に未練はなかった。知布には拒絶され、この体が裕翔に支配されている間は知布との交わりを見せつけられる……そんな生活ともお別れだと、どこかホッとしている部分もあった。
けれどその日のうちに飛燕がやってきた。てっきり、黒髪の男を処刑せず、見逃したとして糾弾されているものと思っていたから、驚いた。
飛燕は言った。
話はつけてきたから、心配いらない。このまま我々の計画を実行する。俺は十日後にここを発つ。タンチョウ族との決戦だ。お前は俺が発った五日後、ここを抜け出し、呂帝とその一族を皆殺しにしろ。
一体どんな手を使ったのか。感心せずにはいられなかった。やはりこの男は有能だと、悔しいが認めざるを得なかった。
「裕翔か?」
ここに入れられてから、日に何度も知布はやってきて、覗き窓からこちらを伺う。
「僕だよ」
兎斗がそう答えると、その目はスッと覗き窓から消える。
けれど裕翔の時は歓喜し、扉を開けて入ってくる。それを何度も、兎斗は自分の体の中にいながら、第三者の立場で見ていた。
今、自分の体を支配しているのは裕翔だ。裕翔は、兎斗が書いた手紙を読んでいる。
裕翔は手紙を読み終えると、筆を取った。けれどすぐさま、「っていうか、お前は俺の行動を見てるんだよな? リアルタイムで」と思い出したように言って、筆を置いた。
「別に紙に書かなくても、言えば伝わるんだよな?」
こっちは返事ができなくてもどかしいのに、馬鹿みたいに確認してくる。
「お前にセックス見られてると思うとやり辛いんだよ」
手紙には、「なぜ僕のフリをした?」と書いた。
昨日、裕翔は知布に「兎斗だよ」と言った。知布は落胆し、去っていった。なんならさっきも、裕翔は兎斗のフリをして、佐了を追い払った。
裕翔は兎斗が聞いているものと思って、一人で話し始める。
「……お前の記憶、ちょっとずつ見てるよ。佐了と俺がしてるの見るの、耐えられないって飛燕に泣きついてたろ。あんなの見たらできないよ。哀れでさ」
裕翔はフッと笑った。
「お前ってほんとガキだよな。飛燕のこと憎んでるくせに、あいつに甘えてばっかり。ちんこ切るとかやばすぎるし、妥協みたいに飛燕を犯そうとすんのも胸糞悪い。ほんと、お前は自分勝手だよ」
カツカツと足音が聞こえてきて、裕翔は口をつぐんだ。
扉が開く。現れたのは飛燕だった。走ってきたのか、大きく胸を喘がせている。
「飛燕っ!」
裕翔が立ち上がると、飛燕はハッとしたように目を見開いた。
「飛燕……会いたかった……なんでちっとも来てくれないんだよ」
飛燕と会うのは投獄された日以来、九日振りだ。
「裕翔……」
裕翔は飛燕の腕を引き、部屋に連れ込んだ。パタン、と扉が閉まるなり、裕翔は飛燕の頬を両手で挟み、唇を重ねた。……知布とするより激しい。
「はっ……んうっ……」
「飛燕……俺、どんどん時間が減ってる。この体、もうすぐ兎斗に返すんだ……」
飛燕の両肩をグッと押し、床に二人でしゃがむ。
見られてるとやり辛いという、さっきの発言が嘘のように、裕翔は飛燕にのし掛かり、忙しなく服を脱がしていく。
「裕翔っ……」
「飛燕……ずっとあんたが来るのを待ってた。あんたが欲しくてたまらなかった……」
ズボンを脱がせ、腰を持ち上げる。足が顔の横につくほど逆さに持ち上げ、窄まりを弄りやすい格好にする。
あられもない格好に、下で飛燕が、驚愕に目を見開いた。両足をバタバタと振って抵抗するが、裕翔がちゅっとそこに口付けると、ピタリと硬直した。
「んぅっ……あっ……」
ちゅくちゅくといやらしい音を聞かせながら、たっぷりと唾液を流し込んでいく。舌先を入れ、顔を前後に動かす。飛燕の足の指がぎゅっとまるまる。力の入りすぎた体を解きほぐすように、裕翔は飛燕の足を撫でた。
窄まりから舌を抜くと、今度は長い指を突き入れた。
「ぁあっ、あっ……」
飛燕は悶えるように首を左右に振る。
裕翔は指を曲げ、陰茎の裏側、浅いところをコリコリと揉みほぐす。
「はあっ……」
飛燕と目が合う。自分には見せない蕩けた表情に、なぜか焦燥感が込み上げた。
裕翔はいとも簡単にこの表情を引き出す。
でも自分は? こんなふうに気持ちよくすることはできないし、触れれば恐怖を与えてしまう。それで構わないと思っていたはずなのに、なぜか今は空恐ろしい。
「入れるね」
飛燕の身体を楽にすると、裕翔は猛った陰茎を窄まりに当てた。
その瞬間、肉体が現実のものとなった。裕翔から体を奪い返したのだ。
なんて罪深い状況だろう。冷や汗が出た。どうしようと飛燕を見れば、彼は息も絶え絶えに、ぼんやりとしている。見ると股間が濡れていた。すでに達したのだ。
兎斗はゴクリと唾をのんだ。
もしかしたら、裕翔のフリができるかもしれない。このまま、裕翔を演じることができれば……
兎斗は苦笑した。焦燥感と、空恐ろしい原因がわかったからだ。
自分の中から裕翔が消えてしまうのが怖いのだ。きっと知布は傷つく。「返してくれ」と責められるかもしれない。どうしようもないことを責められ、頼まれる未来が怖い。
でも裕翔を演じることができたら……
兎斗は、慎重に、飛燕の中へと腰を進めた。
「んっ……」
飛燕の頬がひくつく。そんな些細な表情にも不安になった。一旦腰を止める。飛燕は片目だけを開け、こちらを見た。
もしやバレたのだろうかと、脈がはやった。
「ゆう、と……早く」
「あ、う、うん……」
大丈夫、バレてない。
兎斗はゆっくりと奥へと入っていく。飛燕の太ももがビクビクと震え、兎斗は見様見真似で太ももを撫でた。
飛燕の強張った体が、少しだけ弛緩する。今まで、触ればビクビク緊張していたのに、不思議だった。撫で方の問題だろうか。優しくするほど、飛燕の体は蕩けるように弛緩していく。
「飛燕……」
裕翔がいつもするように、名前を呼んだ。
「んっ……んあっ……」
「痛いっ?」
飛燕は必死に首を横に振る。痛いわけではないのだとホッとする。兎斗はじっと男を観察しながら、慎重に慎重に腰を揺すった。
「はあっ……」
飛燕が喉を突き出し、喘いだ瞬間、それまで見ていた絵の中に別の絵が出現したような、奇妙な感覚に囚われた。
冷たい印象でしかなかった男の顔が、美しく見えたのだ。同じ光景を裕翔の目を通して見てきたはずなのに、今初めて、飛燕の美しさに気づいた。
飛燕を美しい、綺麗と思ったことは一度もない。自分はいつも見下され、冷たい目で睨まれていた。詳しい顔の造形を覚える必要はなかった。砂漠で飛燕を認識するには、髪色だけで十分だった。
「ぁあっ、あ、ん……あっ……」
艶っぽい声で喘ぐ唇に引き寄せられ、吸い付いた。高い鼻先が擦れ合う。そんなことにも興奮し、勝手に腰が揺れる。
でもなんとか理性を手繰り寄せ、乱暴にならないよう気をつけた。生まれて初めて気をつけた。こんなやり方を砂漠ですれば、「なにをモタモタしてる!」と罵声を浴びせられることだろう。
相手の顔色を伺いながらの行為は、苦ではなかった。怯えられるよりずっといい。もっと自分で感じて欲しい。今は裕翔としてだから、優しくしても不審に思われることはない。むしろ自分とバレないように、裕翔のように優しくしなければ。
「裕翔っ……」
奥まで埋め込み、ピタリと密着すると、飛燕が背中に両手を回した。
「あっ……ゆう、とっ……」
「飛燕っ……」
もっと、とせがむように腰を擦り付けてくる。
裕翔はもう少し激しかったかなと考えて、兎斗は動きを速めた。
「ああっ……は、あっ……」
温かい中が急にうねり、埋め込んだものがキツく締め上げられた。
「うっ」
その刺激に快感が弾けた。我慢できずに男の中に欲望をぶちまける。ぶるっと体を震わせながら、兎斗は汗にまみれた美貌を目に焼き付けた。
「飛燕……」
「裕翔……裕翔っ……」
よかった、バレてない。でもこれ以上「裕翔」と呼ばれたくない。
体を離そうとすると、飛燕は両手両足を使って、兎斗をグッと引き寄せた。
「裕翔……これが最後だ」
飛燕は兎斗の頭を抱き込み、唇を重ねた。しつこいくらい舌を絡ませ、角度を変えて唇を貪る。
「裕翔……頼む。俺からの最後の願いだ」
水っぽい目に見つめられ、急に居心地が悪くなった。でも今更「裕翔じゃない」なんて言えるわけがない。
頼みってなんだろう。裕翔は体を支配していない間の状況は夢でみると言っていた。兎斗のように、その間も同じ景色を見ているわけではないのだ。
紙に書いて伝えるしかない。伝えたくなければ、書かなければいい。
「……なに?」
「もう、佐了としないでくれ……」
「っ……」
息が詰まった。相手は飛燕、嫌いな相手だ。なのに、そんなに裕翔が好きかと、独り占めしたいくらい好きなのかと、虚しさが込み上げた。
「そん……」
思わず聞いてしまいそうになり、慌てて唇をつぐんだ。
「本当は……この場所を佐了には隠していた。……知られていないと思っていた」
後悔の滲んだ声。独り占めできなかったことがよほど悔しいらしい。
「裕翔……すまない。本当に……身勝手な頼みであることはわかっている。わかってはいるのだが……」
興奮が嘘のように冷めていく。裕翔、裕翔、裕翔……こいつはそのうち消えるのに。僕が残って悪かったね……卑屈な感情に支配される。
「兎斗に、お前と佐了の情事を見せないでやってくれ……」
「えっ……」
ドキッと胸が跳ねる。
「裕翔……どうか佐了としないでくれ……断ってくれ……俺は、想像するしかできないが……兎斗の立場はきっと辛い」
「…………でもあいつ、飛燕に酷いことしたじゃないか」
「酷いことをしたのは俺だ。佐了に嫉妬し、体格と年齢を利用して幼いあいつをいたぶった。その胸の傷は、俺がつけたものだ」
「嫉妬?」
「ああ、俺の好きな人に愛され、乳の出る体を持つ佐了が羨ましくて憎かった……それで、あいつが可愛がっていた兎斗をいためつけた。そうすれば佐了が悲しむとわかっていたからな。……呆れるだろう? 俺はお前が思っているような人間ではない。嫉妬深く、意地汚い男だ」
「なんで……乳の出る体に嫉妬するの? ……大変じゃないか」
言った後、裕翔はいつも乳首を同時に責めていたことを思い出した。
兎斗は、乳の出ない乳首を弄ったことがない。もちろん、吸ったこともない。そこはどんな味がするんだろうと、無性に興味が湧いた。
「それは……んぁっ」
片方に吸い付き、もう片方を指の腹でこねた。
「んっ……ははっ、どうした、裕翔……あっ……んうっ……」
甘美な乳の味はしない。けれどツンと尖った小さな粒の舌触りと、汗の匂い、吸い上げれば泣き出しそうな声で応える飛燕の姿は、どんな乳の味よりも魅力的だった。
「はっ……う、んっ……裕翔っ……」
ぎゅうっと抱きしめられた。やりすぎただろうかと、兎斗は口を離す。
「裕翔……お前が、そうして俺の胸……何も出ないそこを吸ってくれたことに……俺はどれほど、救われただろう……」
感極まったような掠れた声で、飛燕は言った。
「そこを吸われ……俺は後ろめたさから解放されたのだ。裕翔……俺は生涯お前を忘れない。お前が俺にしてくれたこと……俺のために泣いてくれたこと……ふふ、裕翔、また泣いてくれるのか?」
「飛燕……喋りすぎだよ……永遠に別れるわけでもないのに……」
自分に言われても、困る。そういう大事なことは本人に直接言ってくれ。
「明日、俺はここを発つ。もうお前と会うことはない」
「そんなっ……」
自分が出てきてしまったせいで、裕翔との別れの時間を奪ってしまった。
自分の体なのに、兎斗は奇妙な罪悪感に苛まれた。「いやだよ」と首を振る。
「また来れば良いだろ……会うことはないって……な、なんだよそれ……」
なんだよそれ。口に出すと違和感が増した。
まさか……ゴクリと唾液をのむ。
「……もしかして、兎斗に命を狙われるから?」
甲斐連の命令を飛燕は知っている。自分と距離を置こうと考えるのは当然かもしれない。
「ころ……さないと思う」
目を閉じ、飛燕にされたことを思い出す。胸を斬り付けられ、踏みつけられた。犯される知布を見せられた。蹴られた。殴られた。その憎しみを甲斐連は殺害に利用できると考え、飛燕殺害を自分に任せた。
「殺せるわけない……こうやって俺が出ている間も、あいつは見てるんだ。……ずっと見てるんだよ……もう、飛燕のしたことは怒ってないよ」
本心だった。殺せるわけがない。殺したくない。もういい。自分が受けた仕打ちは全て許す。これ以上根に持つ理由はどこにもない。
何がおかしいのか、飛燕はクスクスと笑った。
「……ふふ、お前はいい……お前の育った環境はいかなるところだろう……きっと、武力や陰謀のない平和な場所なのだろう……お前の無知は愛しいな」
そろそろと頭を撫でられる。
「兎斗は、命令に背くことはできない。だから俺はもう、お前に会わない」
断言され、兎斗は必死に首を横に振った。いっそ名乗れたらどんなに楽になれるだろう。
でもそんなことをすれば、飛燕は傷つく。せっかくの好きな相手との交わりが台無しになる。
「飛燕……俺のこと、好きなんだろ?」
だったら兎斗の命令なんか忘れてさ、会いにくればいいじゃん……そう続けるつもりが、飛燕の悲痛な表情に言葉が詰まった。
「愛している」
申し訳なさそうな、切なげな眼差しで、飛燕は言った。
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