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   ダメもとで「トイレに行きたい」と見張りに伝えると、「こっちだ」と案内された。  屋敷を出て、今朝、処刑されかけた庭へ行く。夜に沈んだ暗い庭は、石灯籠の灯りに照らされている。 「え?」  大柄な見張りの男は、顎で草むらを指し示した。ちょうど灯りの届かない暗闇だ。 「トイレに連れて行ってくれるんじゃないのか?」 「粗暴な遊牧民なら、草むらで十分だろ」  男は切長の目をスッと細め、嘲るように唇を歪ませた。 「それとも砂漠でないとできないか?」  嫌なやつ。 「ああ、だから砂漠持ってきてくれよ」  裕翔が挑発すると、男はムッと唇を突き出した。 「禍罪の黒髪が、俺に指図してんじゃねえぞ」  男がドスを効かせた声で言い、裕翔に迫った。190センチはあろうか。分厚い胸板に目がいった。 「なんだよ。先に嫌味言ったのはお前だろ」  勇ましい顔立ちが年齢をあやふやにさせるが、よく見たら頬に幼い張りがある。下手したら十代かもしれない。 「ぐだぐだ言わずに、さっさとしろっ」 「クソガキ」  男が目尻を吊り上げた。やっぱり若い。クソガキに反応するなら十代で間違いないだろう。褐色の肌は滑らかで、赤茶の短髪は艶やかだ。 「なっ! 生意気なっ! 貴様もたいして変わらんだろうっ!」  裕翔は目を丸くした。自分は二十五歳だ。でもまあ、この世界で五歳は大した差ではないのかもしれない。 「俺とお前じゃ経験値が違うんだよ。お前、さては童貞だろ。佐了の喘ぎ声聞いて、おったててんだろ」 「っ……」  男が顔を朱に染めた。 「図星か。男の声に興奮して、シコってるんだ。恥ずかしー奴」  男はフイっと顔を背けた。 「さ、佐了殿の声はっ……外まで聞こえんっ! あの部屋の壁は厚いからなっ!」  裕翔はキョトンとした。図体のわりにかわいい奴だ。  しかし、乳だけでなく、喘ぎ声も独り占めしているのか、あの男は。  殺せ。  温度のない飛燕の声を思い出し、フツフツと怒りが込み上げた。あの時は恐怖しか感じなかったが、飛燕が自分を殺そうとした理由が「乳を飲まれたから」と知った今では、飛燕の心の狭さに腹が立つ。 「ふうん。じゃあ、佐了がどんな酷い目に遭ってるか知らないわけだ」  男がふん、と鼻を鳴らす。 「たった一晩だけで分かった気になるな。飛燕殿は優しいお方だ。お忙しいのに、色狂いの佐了殿のお相手をなさっている」 「色狂いって……佐了は好きで抱かれてるわけじゃ」 「はっ、五日と空けずに飛燕殿に会いに来るんだぞ。勘違いしているようだが、飛燕殿を必要としているのは佐了殿だ。あの見目だからな。佐了殿に好意を寄せる者は少なくない。だが佐了殿は飛燕殿が良いと言って、誰も相手にしないのだ。飛燕殿は情の深いお方だから、そこまで自分に思いを寄せる佐了殿を突き放すことができないのだ」 「じゃあお前、佐了と飛燕がやってるの、見たことあるのか?」 「無礼なっ! 飛燕殿は一万の麾下を従える将軍だぞ! それも騎兵隊だっ! 禍罪の黒髪風情が呼び捨てするなっ!」 「で、どうなんだよ。見たことあるのかよ」  男はフイっと顔を背けた。猥談に耐性がないのがバレバレだ。 「……そんな、恐れ多い。あるわけないだろ」 「俺はガッツリ見たぞ」  裕翔はニヤリと笑った。 「ふん。貴様はじきに死ぬ運命だから、構わないと判断したんだろう」  そうだった。今朝はなんとか免れたが、自分の命が危うい状況なのは変わらない。今頃飛燕は、帝に裕翔の処刑を説得していることだろう。 「あーくそっ……執着野郎め……乳首吸ったくらいで処刑とか頭おかしいだろ」 「なっ!」  男は両目をひん剥き、唇を戦慄かせた。 「貴様っ……佐了殿のっ……な、なんてことをっ……」 「ふっふ、いいだろう。あいつの母乳、しっかり味わったんだぜ」  もっと驚愕するかと思ったのに、男はスッと目を細めた。 「貴様、やはりタンチョウ族だな」  低い声で言う。 「はあ? なんでそうなるんだよ。確かに俺は黒髪だけど、そんな野蛮な民族とは無関係だ」 「ふん。失言に気づかないとは、やはり黒髪は下等動物だな」 「失言?」 「失言とも思ってないか。まあ、近親者でまぐわうような狂った民族だ。男が皆、乳を出すものだと、本気で信じていてもおかしくない」 「え?」 「佐了殿は乳など出さん。乳を出す男など、我が国には存在しない。それはお前たちタンチョウ族の疾患だ」  胸騒ぎがした。佐了は乳を出した……それをどう解釈すればいい?  裕翔は無意識に髪に触れていた。自分に似ている、兎斗という男の髪は何色だ?  いや、でも佐了の髪は栗色だ。 (脱色……?)  元いた世界では、染色は気軽に行われている。この世界にも同じような手段があるとしたら?  十日も経てば、こいつは本来の姿に戻る。  飛燕のあの言葉は、根本の髪が伸びるという意味だったんじゃないか…… 「普通の男は……乳を出さないのか?」 「ふん、出すわけないだろう。乳を出すのはタンチョウ族だけだ」 「まじ、か……」  殺せという飛燕の声が、いっそう生々しく蘇った。あれは嫉妬ではなく、口止めだったのだ。
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