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 中間管理職とは、かくも面倒なものである。下の面倒を見て育成の為に気を遣い、上司からの冷遇を避ける為に機嫌を取る。自然と会社での拘束時間は長くなり、自分の時間というものを取れなくなる。せめてもっと下の立場か上の立場であればと、何度願ったことだろう。  道成はしかし、そんな環境の中でも、会社の個人使用パソコンでSNSの確認作業を続け、先程木下のメールアドレスに宛てて、SNSアカウントのリストファイルを送信し終えた。  木下に協力を要請したその日から、家でも会社でも、可能な時間内でリストアップを続けていた。自殺という単語から確認出来る、集団自殺を計画していたと思われるアカウントは、合計で三十を超えた。  石橋少年が失踪した直前に発せられたと推定される時期に絞ってもその件数だ。そしてその死は、個人間のネット環境普及により、こうして身近に触れられるものとなってしまった。それは、道成が見ようとして目を逸らしてきた現実の数である。  ……統計によれば、日本の年間自殺者数は、昭和の終わりから昨年に至るまで、二万人を下回ることがないらしい。三万四千四百人以上の年間自殺者を出した平成十五年をピークに徐々にその総数は減少しているが、しかしこの二万人という数を割ることは無い。  その中の三十超という数字は、極少数に見える。あまりにも手掛かりは薄く、しかし出来ることは限られていた。そもそも、一般市民が力技で該当のアカウントを完全に調べ上げることは不可能だろう。メンバーの募集が終わった時点で、自殺や自殺幇助を示唆するアカウントは所有者によって削除されるか、SNSの運営からアカウントを凍結・削除されることが多い。石橋少年を勧誘、或いは彼自身が傘下に名乗りを上げたアカウントは存在しないかも知れない。  それでも、残業を終えて帰ろうかと思い腰を上げた二十一時七分に、木下からの連絡があった。道成はオフィスに誰も居ないことを確認し、慌てて電話に出た。 『石橋が接触したと思われるアカウントは、お前のくれたリストには無かった』  その言葉を聞き、落胆する。しかし、報告はそれだけではなかった。『お前の寄越した三十二のアカウントの内、三つに奇妙な関連があった』と木下は続けたのだ。 「奇妙って何ですか」 『「アイヌん」と「ぐりぐり」という二つのアカウントは、石橋が失踪する五月七日より前の、それぞれ四日と五日、同じ「天国同盟」って奴に自殺サークル参加要望のダイレクトメッセージを出していた。「天国同盟」は七日の夕方、アカウントを削除している。恐らくだが、二人と接触してこれ以上の連絡をネット経由で取る必要が無くなったから削除したんだろう──だがこの「天国同盟」って奴な、俺が調べてた自殺呼び掛けのウェブ掲示板の方で、「三途の川」って名前で二日後に書き込みしてるんだ。IPアドレスが都内のネットカフェで一致していて、自殺を呼び掛ける書き込みの文句がほぼ同じ。端末も同じで、恐らく同じブースを利用し続けている奴だったんじゃないかね』  ええと、と道成は話の意味を頭で整理する。が、理解が追いつかない。 「と言うと」 『おかしいだろ。自殺サークルの参加を募集している奴が、集団自殺を決行したと思われる日にち以降にまた書き込みしてるんだぞ。何故こいつは生きて、また募集を掛けたんだ。しかも、同じブースを利用し続けている。恐らくだが、こいつはネカフェ難民だ。ホームレスだよ。そんな奴がどうしてこんなことをする?』  言われて得心する。或いは、集団自殺に失敗して自分だけ生き延びたのだろうか。それにしては、再び誰かと自殺しよう、と思い立って行動を起こすまでの時間が、いささか早過ぎる気もする。いや、自殺志願者の心中と考えは通常ではないだろうから、それが妥当かどうかを断言することなど出来ないが…… 『それでな、お前が寄越したリストの内の三つ目──「メメントもりり」ってアカウント。やはりこいつにも、アカウント削除済みの「三途の川二号」って奴がダイレクトメッセージを送ってる形跡が確認出来た。ウェブ掲示板に書き込んだ奴と同一人物だろうが、こいつが驚きの相手でな。刑事課の暴力犯担当部署で操作線上に上がってた参考人だった』 「は?」  突然意外なところから話が飛んできて、思わず間抜けな声が出た。  以前、木下から聞かされたことがある。暴力犯担当部署──組織犯罪対策課。所謂、暴力団に対する取り締まりを担当する部署だ。 『先月逮捕した愛英会って連中の構成員が居てな。クスリを捌いたり、クスリ漬けにしてポン引きとして女子供を奴隷にしたりってしてるクズ連中なんだが、使いっぱしりにしてた半グレがコカイン百グラムをチョロまかしたって聞き出したんだよ。連中、そいつを〆ようと躍起になって探し回っているらしい。で、逮捕した構成員の持ってたスマホの履歴から、そいつのアカウントを見付けたってわけだ』  それが「メメントもりり」か。情報過多だな、と疲弊して、道成は上げていた腰を再び椅子に下ろす。 「暴力団が絡んでる可能性があるってことですか?」 『いや、それは無いだろう。金にならない一般人の自殺幇助に、連中が手を貸すわけがない。問題なのは、自殺しようとこいつと一緒に集まった人間が薬物を無理矢理投与されて、それを切っ掛けに違う犯罪へ手を伸ばしていないかってことだ。それと──こいつが「三途の川」と接触していた場合、「三途の川」が自殺幇助以外の犯罪を犯している可能性がある』 「共謀して何かしていると?」 『実はな、もうこいつが書き込みをしていたらしいネットカフェに夕方、聞き込みに行ってきたんだ』  そこまで言って、木下は大きく溜息をついた。『偽名らしい名前で連泊していたみたいでな。売春をして生活費を稼いでいた十九歳の無職女が、「三途の川」の隣のブースに居た。五月十日にそいつの「相手」をしていたらしいんだが、突然激昂して酷い暴力を振るったらしい。その後、トンズラしている。更にその一週間前、あいつの向かいのブースに宿泊していたホームレス。こいつが奇妙な死に方をした。両替機で崩した大量の硬貨を、自分の目玉にひたすら自分で挿入し続けたらしい。警察と救急が来る前に意識不明になって死んじまったが……こいつも何か怪しい気はしてるから、一応別部署のやつに調べてもらってるよ』  そこまで聞いて、話の陰鬱さに気分を沈めていた道成の心に、僅かな光が差す。 「え、じゃあ監視カメラとかに」 『映像は確認した。鮮明なものは無いが、これで調査をすることは出来るだろう。お前からの個人的な依頼じゃなくて、警察組織として正式にな──でもな、期待するなよ』  意外な言葉が出て、木下は困惑する。 「どういうことですか」 『俺の見立てだけどな、多分こいつ、死んでるよ』 「……そんな」 『間違いねえよ。だってこいつな──真鈴ちゃんの描いた十人の内の一人なんだよ。顔がソックリだ』  家に帰りたくない、という理由から、仕事を言い訳にして最近は終電で帰宅することも多かった。一方で、瑞希はいつも通りに帰宅をしている。昨日それについて彼女から文句を言われたばかりだが、やはり道成は真っ直ぐに帰宅するということが、どうしても出来なかった。  また今日も、幻聴に精神を擦り減らす夜が始まる。最近では、電車の中で眠るのが一番の睡眠時間だった。首の辺りに感じる強い圧迫感が、家に近付くにつれて強くなる。その圧迫感が、首吊りのロープが掛けられる際に生まれるものだということには、薄々勘づいていた。  身も心も休まらない。疲弊が続く毎日に、道成はうんざりしていた。  心が、蝕まれていく。駅から自宅への道が、嫌になるくらいに遠い。  ようやく掴んだと思った手掛かりは、再び消えてしまった。  結局、自分の行動に意味があるのか。全ては無駄なのか。何もかも分からないままだった。木下はもう少し調べてまた連絡すると言ってくれたが、果たして。  零時二十七分。道成は自宅玄関の前に帰ってきた。今日もドアは鍵が掛けられている。『道成』が帰ってきたのか、それとも皆眠ってしまったのか。前者であったとしても、もう最近は「またか」となってしまった。  恐怖が薄れたわけではない。だが、無力感が押し寄せてきている。自分の居場所が奪われているようで、頭がどうにかなってしまいそうだった。  今ではもう、瑞希や真鈴、千春とさえもまともに話をしていない。皆が疑心暗鬼なのだ。誰も彼も、本当の家族ではないのではないか、と。  同じ家に居ても、同じ部屋に居ても、隣に立っている家族が本物だと、思えなくて。  鍵を回す手が重い。ドアノブが酷く重い。  それでも、家族をどうにかして守りたいというか細い願いだけが道成を支えていて。  かちゃん、という音をさせてドアが開く。家の前の街灯が、明かりを廊下へ真っ直ぐ侵入させる。  ──光の先に、真鈴が居た。  寝巻き代わりに着ている短パンとピンクのTシャツ。スラリとした細い脚。長い黒髪。いつも見ている、愛する妻の愛しい連れ子。  けれど、目付きはいつもと違うそれになっていた。口元ははっきりと笑顔を浮かべているのに、目だけはギラギラと奇妙に輝き、一切の表情を見せない冷たい視線を道成に投げていた。  土間で靴を脱ごうとしていた道成は、そんな彼女の顔を見て体を硬直させる。視線がかち合ったその刹那、体を貫かれるような冷気を覚えた。  きい、と音を立ててドアが閉まり、背後で閉じる。再び、薄闇が廊下を支配する。  ひた ひた  真鈴が一歩、二歩と道成に近付いた。道成は動けない。首周りがどんどんと苦しくなり、呼吸が苦しくなる。それでも、道成は娘から目を離せない。  すぐ目の前までやってきた真鈴が、両手に持っていた何かをスイ、と差し出した。 「ほら──やろうぜ」  真鈴の声で、真鈴じゃない誰かが言う。  その手には、太いロープがあった。
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