知りたくて

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なにをしても虚しい日々で、なにもしたくないし、なにもできない。なにもない心に過るのは央音との日々で、思い出す央音の笑顔だけが唯一の光のように明るい。無気力に仕事をこなすのが精いっぱいで、帰宅後や休日に外に出る気にもなれない。 「空っぽの央音でもいいから、そばにいたかった」 本音はそうだけど、そんな寂しいことは嫌だと言うのも本当。俺の呟きは天井に吸い込まれていき、それを追いかけるように天井を見上げて、そこに浮かんで見えるのも央音の笑顔。 日が経つごとに苦しくなっていく。身体に巻きつく鎖が日々きつくなっていくように感じて、このまま首が絞まって息絶えるのかもしれないと考える。それもいいかもと笑う俺は、立ち上がる気力さえない。 そばにいたかった、好きだった。今でも忘れられないくらい好きで、会いたい。 でも、そばにいるのにそばにいないなんて、そんな寂しいのは耐えられない。涙を流す俺に触れてくれる央音はいない。 「央音は独りでいたいのかな……」 だったら俺も独りでいようと、部屋のすみで膝を抱える。フローリングの床がひんやりしていて、その冷たさがじわじわと俺を責めるようで切ない。俺は間違っていたのだろうか。あのとき、あの言葉以外になにが言えただろう。心を閉ざした央音に寄り添い続けることは俺にはできなかった。だからせめて、俺も独りでいよう。 でも、できたらまた央音にめぐり会いたい。独りきり同士で慰め合えるかもしれない。 声を押し殺して泣いているとインターホンが鳴り、一瞬顔を上げて、すぐに膝に顔をつける。誰かが来る予定はないから出たくないと無視しようとすると、続いてドアをノックする音がしてびくりとする。 「……?」 誰だろうと立ち上がり、モニターを見ると央音が映っていて慌ててドアを開ける。考えるより先に身体が動いていた。俺の顔を見た央音は切なげに表情を歪めた。 「泣いてたの?」 あ、と思って顔を隠し、なんの用、と聞こうとして、聞けないくらい強い力で抱きしめられた。 「ねえ、俺はやっぱりだめ?」 央音の問いかけがわからなくて、とりあえず部屋に上がってもらった。こんなところで抱きしめられていたら人に見られてしまう。 床に並べたクッションに央音と隣り合って座ると、央音は俺の手を握って息をついた。 「ごめんね」 謝罪にびくりとしてしまう。それはなんの意味を持つものだろうか。 「俺、昔付き合った人に『顔しかいいとこないね』って言われたことがある」 「え……」 「それ以来、人への好意がわからなくなった。その人を好きな気持ちが一気に冷めて、自分の感情の急激な変化って言うのかな、それに戸惑ったからだと思うけど」 思案しながら話す、初めて見る表情の央音に心臓が高鳴る。こんなときなのに、知らない央音を知れるのが嬉しい俺はおかしい。央音は俺の右手を両手で包むように握って、はあ、ともう一回息をつく。 「貴暁のそばにいたいと思った。でも、貴暁をどこかで怖がっていたのかもしれない。また拒絶されたら……って」 「そんな……」 「だけど付き合いたいと思った気持ちは本当なんだ。貴暁が俺を知りたいって思ってくれたように、俺も貴暁をもっと知りたかった。その気持ちをきちんと表せていなかったのかな、って後から思った」 「……」 なにも言えなくて俯いて唇を噛む。俺は無神経で自分のことばかりで、央音の気持ちを考えていなかった。 「貴暁のこと、ちゃんと大切だよ」 「央音……」 欲しかった言葉にどきどきと脈が速くなり、頬が火照ってくる。真剣な表情で俺を見る央音は、やっぱり俺が知らない央音で、そんな表情を見せてくれるのかと胸がいっぱいになっていく。 「さよなら、やだよ」 寂しそうな瞳に俺が映っていて心が温かくなる。央音が俺を見てくれている……やっぱり俺は自分のことばかりだ。 「ごめん……俺、自分のことしか考えてなくて」 「ねえ、キスしていい?」 俺の謝罪を遮る央音の言葉に一瞬固まって、すぐに頬がかあっと熱くなった。にじり寄ってくる央音から距離を取ろうと後ずさる。 「も、もう別れたんだからだめ!」 「じゃあ勝手にする」 「え、んっ……!」 央音がわからない……自分自身もわからない。突き飛ばして部屋から追い出せばいいのに、何回も唇を重ねてくる央音の背中に腕を回してしまう。 「……好きだよ、貴暁」 囁きに涙が零れて心が溶けていく。ずっと待っていた。 「『好き』が怖くないこと、貴暁が教えてくれた。貴暁と会えなくなって、好きって言いたくて苦しかった」 やっぱり俺は自分のことしか考えてなかったんだ。央音はちゃんと俺を好きでいてくれたのに、あんな突き放すようなことをしてしまった。 「好きだよ、貴暁……大好き。きちんと話してなくて、待たせてごめんね」 「……うん。遅い、よ……」 俺の言葉を遮るようにまたキスが降ってきて、唇が離れたと同時に央音を睨む。 「遅すぎる」 涙で滲む視界で央音が微笑んでいる。優しい笑顔が渇ききっていた心を潤し、ほぐしてくれる。 「ごめん……ごめんね」 謝りながら央音はキスを繰り返す。 わからないからわかりたい。きっとこれからは央音を知れる気がする……近づける気がする。心を向ければこちらを見てくれるとわかるくらい、央音に向けた感情が返ってきている。 「……遅すぎるから、待ってたよ」 頬を伝う涙を、央音の綺麗な指で拭われた。 END
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