月夜のキス

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「行ってきまーす」 翌朝、マンションを出ると隣に建っている家から元気な声が聞こえた。 そういえば実千はマンションの隣の家だと言っていたなと思いながら歩いていると。 「星治さん!」 「っ!?」 どんっと背後から抱きつかれた。 何事かと振り返ると実千が俺をすっぽり包んでいる。 見上げると実千の整った顔。 「おはよう!」 「……おはよう」 「星治さん、ほんとに隣のマンションに住んでるんだね! 会えて嬉しい!」 元気だな。 昨夜の実千からは想像がつかないくらいなんというか…落ち着きのない喋り方。 「…とりあえず、離して」 「えっ? 寂しいよ!」 「寂しくても離して」 「しょうがないなぁ…」 なにがしょうがないのかわからないけど、渋々といった感じで実千は俺を解放する。 するとすぐに俺の前に回り、顔を覗き込んできた。 「星治さん、今夜も星見る?」 「…その予定はないけど」 「じゃあ予定入れて! “夜は実千と星を見る”って」 なんていうか…。 「本当に昨夜会った実千と同一人物?」 「そうだよ! この辺に他に黒澤実千はいないよ?」 「そうか…」 別人のようだ。 柔らかく穏やかな口調で俺を呼び、色気の孕んだ瞳で俺を見つめた実千が霞んでいく。 でも元気なほうが高校生らしくていいかもしれない。 実千が着ているのは三つ先の駅にあるA高の制服。 「やっぱり星治さんも、夜の俺のほうがいい?」 「いや、どっちも同じ実千だろ」 「!」 歩きながら実千が手を握ってくる。 その感覚は昨夜と同じ。 やっぱり同一人物だ。 「夜はちょっと静かにしてるんだ」 「まあ、夜に騒がしいのはよくないから」 「うん。あんまり大きい声出すと、月や星が逃げちゃいそうでしょ?」 「…逃げる?」 不思議な感性だな。 「そう。だから夜は静かにしてる」 「そのままでもいいだろ。近所迷惑にならなければ」 「そう言ってくれるの、星治さんだけ」 握った手をぶんぶん振って、微笑みかける実千。 整った顔でそんな風に微笑まれると、男同士でも破壊力がすごい。 「友達とかと星見たりすると『別人だな』って笑われるし、同好会のみんなにも『夜のほうがいい』って言われる。だからひとりで見るようになっちゃった」 「そうか…」 それは寂しいな。 高校生くらいの頃って多感だからちょっとしたことでも傷付くだろう。 「俺ね、星を見るだけの同好会に入ってるんだ。“星降る会”って言うんだけど、なんか素敵じゃない?」 「活動内容は?」 「だから星を見るだけ」 「実千にぴったり」 星の降る中にいる実千は想像できる。 俺の答えにきょとんとした後、実千は笑い出す。 「星治さんって変な人」 「えっ!?」 「ほーんと変な人!」 嬉しそうに笑う実千が手を引っ張るので俺も引き返す。 でも更に強く引っ張られて抱き締められた。 「そんなに変だと食べちゃうよ?」 「!!」 なんで変なものを食べようとするんだ。 離して欲しくてもがくと、更に腕の力が強くなった。 「ち、遅刻するから…!」 「そっか…そうだよね」 しゅんとして手を広げる実千の顔が見られない。 ぽんぽんと頭を撫でられて、髪を軽く引っ張られる。 思わず顔を上げてしまった。 「なにする」 「だって下ばっかり向いてるから」 朝の陽射しがきらきらしていて、実千の黒髪を照らす。 綺麗だな、と目を細める。 「手は繋いでいい?」 「だめ」 「けち」 並んで歩きながら、色々な話をする…というか実千が話を振ってくる。 今朝食べたものとか、学校での話、授業中に眠くなる理由がわからないとか。 「俺は今、十七だけど星治さんはいくつ?」 「二十五。十七ってことは高三?」 「ううん。もう誕生日きてる高二」 高二…若いな。 実千は次から次へと話題を出す。 聞いたり答えたりしているうちに駅に着いた。 「星治さんの会社ってどっち?」 「実千とは逆方向」 「えー…」 寂しそうに俺を見る実千。 その髪を撫でてやると、さらにしゅんとしてしまった。 「子ども扱い…」 「違う。可愛いなと思っただけ」 更にむっとしてしまった…難しいな。 電車が来るので実千と別れてホームに向かう。 実千も反対側のホームに行った。 電車がホームに入ってくる直前、向かいのホームの実千と目が合って手を振られた。 恥ずかしくて俺は手を振り返せなかったけれど、実千は嬉しそうに微笑んでいた。
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