泥被り姫

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泥被り姫

金曜日の夕方、遠野明弘が、仕事を終え、家に帰る途中の事だった。 三台前を走っていた車が、信号が黄色になったからか、急にスピードを上げ 道路の端に溜まっていた、泥水を跳ね上げながら、交差点に滑り込み そのまま走って行った。 その道路の歩道を歩いていた男の子は、その泥水を頭から被った。 「酷でぇな」赤信号で止まった、明弘は、気の毒そうに男の子を見た。 その子は、ハンカチで顔を拭きながら、交差点を左に曲がって行った。 信号が変わり、明弘も左に曲がって、自分のアパートに着き 車を置いて、二階の自分の部屋に行こうとすると さっきの、男の子が、その前を歩いていた。 ジーンズも上着も、泥だらけと言う、悲惨な姿だった。 ここのアパートの住人か?こんな子、居たっけ?と、思いながら 後を付ける形で、二階へ上がる。 驚いた事に、その子は、明弘の部屋のチャイムを押した。 「うちに、何か用?」明弘が、声を掛けると、その子は、吃驚した顔で 「あ、あの、、隣に住む事になった者ですが、、」と、か細い声で言う。 「え?お隣に?」「はい、明日引っ越しますので、騒がしいと、、、」 と、言った子は、持っていた紙袋から、菓子と思われる包みを差し出し 「よろしく、お願いします」と、言った。 「えっ、こんな気を使わなくても、良かったのに」と、明弘が言うと 「でも、不動屋さんが、そうしろって、、」と、また細い声で言う。 「どこから来たの?」「神宮町です」「また、そこへ帰るの?」 「はい、明日引っ越して来ますから」男の子は、顔を上げずに言う。 「神宮町なら、電車でしょ」「はい」 「そんな恰好じゃ、電車には乗れないよ、来なさい」「えっ」 明弘は、男の子の手を掴んで、家の中に引き込み、洗面所のドアを開け 「浴室はここだ、シャワーをすると良い」と、言う。 「え?で、で、も、あ、の、」「デモも、へちまも無いよ、こんな格好じゃ 電車には乗れない、第一、風邪を引く、さぁ、汚れた服は、洗濯機に入れて」 明弘は強引に、困惑している男の子を、洗面所へ押し込んで、ドアを閉めた。 男の子は、観念したのか、泥だらけの服を脱いで、洗濯機に入れ 浴室に入って、シャワーを、使い始めた。 明弘は、自分のパジャマと、バスタオルを、籠に入れて入り口に置き 洗濯機のスィッチを押して、台所に戻り、手早く、すき焼きを作り始めた。 程よく煮えたすき焼きを、食卓のカセットコンロに乗せた時 明弘のパジャマが大きすぎて、手も足も、まったく出ない男の子が ダイニングの入り口で、ぼーっと立っていた。 「パジャマ、大きすぎだけど、服が乾くまで、それで我慢してね」 「はい」「夕飯、まだだろ、一緒に食べないか?」「え?」 男の子は、吃驚した目を上げた。 「良いだろ、俺も一人より、二人の方が嬉しいんだ」 「奥さんは?」「居ないよ」「何で?」「一緒に住みたいと思う人と まだ出会ってないからな」「、、、そうなんだ」 「さぁ、座って」明弘は、取り皿に、大きな肉を取ってやる。 「すき焼き、嫌いじゃ無いよね?」「はい、好きです」 「良かった~じゃ、どんどん食べてね」明弘は、ご飯も、よそってやる。 「頂きます」と、両手を合わせてから、その子は、美味しそうに食べて行く。 「名前、なんて言うんだい?」明弘も、食べながら聞く。 「藤坂月緒です」「月男?変わった名前だな」「よく言われます」 「俺は、遠野明弘だ」「不動産屋さんに、聞きました」「そうか、宜しくな」 「はい」そう言った月緒は「ご飯、お代わりしな」と言う言葉に ブンブンと首を振り「もう、お腹一杯です」と、言った。
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