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『上空にポケットが出現しました。市民の方々は早急に避難してください』
授業中、警報と共にアナウンスが流れる。教室は騒然とし、教師が大声で何かを言い、生徒がそれに従い出て行った。
ぼくはでその様子をテレビでも観ているかのように眺めていた。みんなが逃げる中ぼく以外にも逃げようとしない人がいた。
「君は行かないの?」
彼女はぼくに向かって言った。
「行っても行かなくても変わんないさ。死ぬときは死ぬ」
「ふーん」
そう言って彼女はぼくの隣の椅子に座った。
「そっちこそ避難しないの?」
「どこに行ってもどっちみち死ぬときは死ぬさ」
「あっそう」
ぼくは彼女から目を離し、窓に向けた。グラウンドには生徒たちが走って避難していく姿が見える。ポケットが現れたからにはその魔の手からは逃げられないというのに。
ねえ、と彼女は言った。
「屋上に行ってみない? わたしポケットって間近で見たことないんだよね」
「テレビで観るのと変わんないよ」
彼女はいつの間にか近づいてきていて、ぼくの腕を掴んで言った。
「お願い」
ぼくは心の中で深いため息を吐いてから腰を上げた。
「ありがとう」
ぼくたちは静まり返った廊下を歩き、いくつかの階段を昇り屋上へ辿り着いた。
外はサイレンが亡霊みたいに鳴っているだけで、それを除けばとても落ち着いているように見えた。あるいは世界全体がやがて来る崩壊に身を固めて待つようなある種の強張りみたいなものもわずかに感じ取れた。
ポケットはちょうどぼくたちの真上にあった。まるで型で切り取ったかのようにきれいな円形で円の中には無の空間が広がっている。その黒円は気が遠くなるようなほど巨大で、圧倒的だった。ポケットが現れたエリアは一瞬にして灰燼に帰すと言われているのがわかる気がした。
「わたし行ってみたいんだ」
「あの中に?」
うん、と彼女はうなづいた。
ぼくたちは屋上の床に寝転びながらポケットを見た。屋上の床はあまり清潔とは言えなかったけど、寝る分に申し分なかった。不潔になったところでどうせぼく達の世界は崩壊するのだからといったような諦観めいたことも、たぶんお互いに考えていた。
それからもぼくたちはあてもなくポケットを眺めていた。
街の人々はもうそれぞれ大切な人の元に戻れただろうか。今際の際でなにを思いなにを伝えているんだろう。
真円ともいえるポケットの輪郭が歪み始めていた。それは残された時間はあとわずかということを表していた。
「ポケットから厄災が出てきてその一帯を更地にしたあと人間が消えるらしいの。死体とか全く見つからないんだって。不思議だと思わない?」
「あるべき場所に還っていったとも言えるかもね」
「そんなところがあるの?」
「誰にでもあるさ。その人がちょうどすっぽりと収まるような場所がね」
「それなら悪くないね」
ポケットの歪みが一際大きくなる。
彼女が笑う。
ぼくも笑った。
視界が真っ白になる。
ポケットから光が放たれたのだ。
彼女の姿はもう見えない。
思ったよりも安らかに気持ちで、ぼくは光に包まれる。
その中でぼくは幻を見た。
光の中に黒い人影の輪が踊っており、その人影のひとりがぼくのことを招いている。ぼくは嬉しい気持ちになってその人影の輪の中入り踊っている。
彼女が居ればと思う。
そうすれば伝えられるのに。
ポケットの中はそんな悪い場所じゃなさそうだと。
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