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 昼飯後の授業はどうしてこんなに眠いのか。  クリーム色のカーテンに遮られた西日が、教室中に柔らかなあたたかさをもたらす。角刈りのおっさんの授業じゃ、ここ江振(えぶり)工業高校機械科のオレらの眠気は止められそうもない。これが英語の明里ちゃんの授業なら、嬉々として聞くんだけどなぁ。  あっちも男、こっちも男。「女子」という清さがこれっぽっちもないこの教室内は、野郎特有のむさ苦しさで埋め尽くされている。開け放たれた窓から、何人かの野郎を通過した生ぬるい風が、オレの首筋を這っていった。 「この場合、ポケコンに入力するC言語は……」  黒センの野太い声を聞いているふうで教科書に目を落として、うつらうつらしていたとき。  ピロリロリン。  オレの真ん前の席にいる与田の右ポケットから、メッセージの受信音が鳴った。オレがとっさに咳払いすると、教室のあちこちから同じような咳や、教科書の落ちる音、椅子を引く音が混ざって途端に騒がしくなる。オレらの学校では、スマホは持ち込み禁止。見つかったら二週間没収されてしまう。教科書を読んでいた黒センの声がピタリと止まった。  どうか、気付かないでくれ──。  オレ含めクラス中が願っているに違いない。今、与田のスマホを没収されるわけにはいかない。与田のポケットの中には、薔薇色の青春が詰まっているのだから。  そんな願いもむなしく、黒センは黙ったまま鋭い目つきで教室内をギョロリとなめまわし、与田に狙いを定めて手を出した。 「与田。ポケットの中のもん出せ」  与田じゃない、と言いたいところだが、与田の席は黒センの真ん前。つまり一番前だ。万事休す!  なんでよりにもよって今なんだ! マナーモードにしとけよな……!  オレは与田の頭をすぐ目の前に見ながら、こめかみに手をやる。何か、何か言い逃れできる方法はないのか──。 「先生、そりゃあんまりっすよ」 「そーだそーだ!」 「なんとか見逃してやってくれよ、今回だけでも」 「おねしゃーす!」  オレが悩んでいる間にも、クラスメイトたちが応戦する。 「うるせぇ! 持ってくるお前らが悪いんだろうが! さっさと出せ!」  もちろん黒センはびくともしない。 「鬼ー!」 「ヒゲー!」 「ゴルゴ13ー!」  どんな野次にもどこ吹く風だ。こうなったら。 「先生!」  俺は勢いよく椅子から立ち上がって、演説を始めた。 「与田は今、初めての彼女ができるかどうかの瀬戸際なんです! この男だらけの江振工業高校で、彼女ひとり作るのがどんだけ大変なことか……。与田は、アプリで礼明女子の子と出会って、今いい感じなんです! 礼明女子ですよ、礼明女子! オレらが礼明女子と知り合うなんて奇跡に近い! いっつも『あのバカ高校』って門前払いくらうオレらなのに、ですよ! これは与田の並々ならぬ努力の結果です! ちょうどデートに誘って、今! 今が一番大事な局面ってときに、この二週間は命取りになりかねない! 与田に彼女ができれば、オレらにも出会いが広がるでしょう.......。先生。与田の、オレらの青春がかかってるんです。この通りですから、見逃してください」  オレは頭を下げた。教室中が静まり返ったと思いきや。一人、また一人。 「おねしゃーす!」 「俺からもお願いします」  立ち上がって頭を下げるのがわかる。みんなの思いは一つ。与田のポケットの中にある恋を守ること。その先にある青春を守り抜くこと。  静まり返った教室の中で、黒センの胸ポケットが緑色に点滅した。黒センが軽く咳払いをして、スマホを取り出し画面を見る。  クラスの情報屋ブンちゃんの情報によると、黒センは今婚活アプリで婚活中らしい。なんでも入会金十五万くらいの、ちゃんとした結婚相談所経由のアプリらしいからその本気度が伺える。婚活中の黒センなら、オレらの困窮をわかってくれるに違いない……! オレらは黒センの動向を、固唾をのんで見守った。  三秒ほどして黒センが無表情で自分のスマホをポケットに収め、教卓に両手をついて下を向いた。  どっち。どっちだ……!  教室中が緊迫した空気に包まれる。たっぷりの沈黙のあと、黒センが顔をあげ、引き結んでいた口を開いた。 「与田! スマホ没収!」  とうとう与田が観念して、しぶしぶスマホを差し出した。それを黒センがひったくる。  あぁ、無情。守り切れなかった。さようなら礼明女子。さようならオレらの青春──。  教室内のむさ苦しさに、落胆と悲哀の空気が追加された。 「自分はスマホ持ってるくせにー」 「しょっけんらんよーだろぉ!」  クラス中の野次に「うるせぇ! 何とでも言え!」一蹴して、黒センが畳みかける。 「だいたいなぁ、こんなちまちました機械に頼ってんじゃねぇ! こんなモンで相手の人柄なんかわかるわけねぇだろ! 人ってもんは、会ってみねぇとなんもわかんねぇだろうが! 違うか!? 写真や年収で判断してんじゃねぇよ!」  妙に鬼気迫る怒声に全員が何かを察して、それ以上誰も何も言えないまま。黒センはタイミングよく鳴ったチャイムと同時に教室から消えた。没収したスマホをしっかり持って。
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