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追跡者ごっこ
第1章
その時森田しおりのスマートフォンに着信があった。
(誰だろう?)
しかしそれは知らない番号だった。それでそれを無視することにした。すると今度はメールが届いた。
「君を見つけた」
件名にはそう書かれてあった。
(このメールって、今電話をくれた人かな?)
森田は少し怖かった。けれど知り合いかもしれないと思って、それを開いてみることにした。するとそこには森田のスマートフォンの番号が書かれてあった。そして、この番号で間違いないですね、少ししたらもう一度掛けますから、次は出てくださいねと付記されていた。
(やっぱり知り合いだ。でも誰だろう?)
森田は自分のスマートフォンの番号を知り合いだけに知らせていた。それでその番号を知っているということは彼女の知り合いに違いなかった。するとさっきの番号から再び着信があった。
「もしもし?」
森田は恐る恐るその電話に出た。
「君を見つけた」
すると相手の声がした。それは男だった。
「誰?」
しかし森田はその声に聞き覚えがなかった。
「君の知り合いだよ」
「嘘」
「どうして嘘だと思うの?」
「だって知らない声だから」
森田は早く切ろうと思った。思ったけど立て続けに発する相手の言葉にぐいぐいと引き込まれて行った。
「僕は君の住所だって知ってるんだよ」
「え!」
するとその男は森田の現住所をスラスラと語った。森田は言葉が出なかった。
「君のスマートフォンの番号と住所を知っていれば君の知り合いだろ?」
「え……」
森田の頭が高速回転を始めた。そしてこの声の主と彼女の知り合いの声が物凄い速さで突合されて行った。しかしその声は森田のデータの中には存在しなかった。
「じゃあヒントをあげるよ」
「ヒント?」
森田が無言になったので相手が言葉を発した。
「ああ、ヒントさ。君は東都大学に通ってるだろ?」
(あ!)
森田はそう言われてこの男は東都大学の学生だろうと思った。しかしその大学の学生とは一切付き合いがなかった。
「それで、ボードレールの講義に出席してるよね?」
(やっぱり)
その声の主は森田が履修している講義のことも知っていた。するとその講義に出席している学生の中にこの声の主はいるのかと思った。
「じゃあ、あなたはあの講義に出ている人ですか?」
「どうかな。それは内緒」
「内緒だなんて」
「それから君の名前は森田しおりさんだよね?」
(え!)
その男は森田のフルネームを発した後、電話を切った。森田は大きな衝撃を受けていた。それでしばらくスマートフォンを耳から離せなかった。
(どうして私の名前まで知っているんだろう?)
森田にはそれがどうしても不思議だった。あの大学で自分の名前を披露したことなどなかったからだ。それで不思議というよりも怖かった。相手は森田の何から何まで知っているような口ぶりだった。
(まさか)
するとその時彼女の頭にはある男の名前が浮かんだ。
(もしかしたら、これはあの男がやっていることかもしれない)
森田はそう思うと急に怒りが込み上げて来た。その男は秋山といった。
第2章
秋山の生活は就職をして一変した。全てが規則通り。それですぐに息が詰まった。それまでは好きな時に起き、好きな時に出掛け、好きな時に食事をとり、好きな時に寝られた。
しかしそれが7時15分に起きて、8時23分八王子発の特別快速に乗る生活に変わった。秋山はこんな生活があと40年も続くのかと思うとうんざりした。
その日秋山はいつもの電車に乗り遅れて、次の電車に乗ることになった。するとそこで目の前に立つ女性に目を奪われた。それはその人が秋山の好みのタイプだったからではない。彼女がある人と似ていたからだ。それは秋山が中学3年生の時に突然引越してしまった子に似ていたからだ。
その子が行ってしまう1週間前のことだった。その子の家でお別れ会が開かれて、そこに秋山も呼ばれた。その時その子は会に呼んだ友達一人一人に手紙を渡していた。みんなはその場でそれを開いて見せ合ったが、秋山はそれを大事に持ち帰った。そして自宅でそれを開いてみると、そこにはこう書かれてあった。
「私を捜して」
秋山はその言葉を見た瞬間、何かの魔法をかけられた気がした。そしてその子が自分を捜させる為に、わざと遠い場所へ引越しをするように思えたのだった。
今秋山の目の前にいる人は見れば見るほど、その子に似ていた。勿論瓜二つというわけではない。あれから6年も経ち、大人になっていれば、きっとこんな感じになっているだろうという意味で似ていたのだ。
秋山がその女性に見とれていると電車は新宿駅に到着した。すると車内の乗客は一斉にホームへ吐き出されて行った。
(あ)
それはまさに一瞬の出来事だった。するとその人もその大きな流れに巻き込まれて、そこから押し出されてしまったのだ。秋山は残念な気持ちになった。それはもう二度とその人に会えないような気がしたからだ。それでその人を追い掛けて声を掛ければ良かったと思った。ただどうやって声を掛ければいいのか、それが秋山にはわからなかった。
「間一髪セーフだったな」
秋山が会社に着くと先輩の青山が近づいて来て、彼の肩を叩きながらそう言った。
「夕べ飲み過ぎてしまって、今朝はなかなか起きられなかったんです」
「じゃあ寝坊か?」
「はい」
「秋山さ、寝坊して遅刻なんて情けなくないか?」
「すみません」
「そうだなあ。例えば通勤途中で綺麗な人を見掛けたとしよう。すると、ついその人の後を追い掛けたくなるだろう?」
「先輩はそうなんですか?」
「俺なんかそうだよ。まあ聞けよ。それでその人を追い掛けてさ、それで遅刻しちゃいましたというのなら褒めてやるよ」
青山はそう言って笑った。
「先輩、それじゃあストーカーですよ」
「何言ってんだよ。俺の若い頃はそれでお茶でもどうですかと声を掛けたもんだよ。時にはラブレターだって渡したしなあ」
「そうなんですか?」
「そうだよ。だって、そうでもしなきゃ恋人なんて出来ないだろ?」
秋山は青山の話を聞いて、確かにそうだと思った。中3の時にあの子が引っ越してしまってから、彼は女の子とまともに話をしたことがなかった。勿論この先もその期待は出来ないだろう。すると青山が言うようなことでもしない限り、恋愛なんて無理のような気がした。
翌日秋山は再び遅刻ぎりぎりの電車に乗った。しかしその日は寝坊をしたからではなかった。秋山にははっきりした目的があった。
第3章
秋山の乗った特別快速が国分寺駅に着くと、入口から乗り込んで来た乗客の中に昨日の女性が紛れ込んでいた。
(いた!)
秋山はそれを見逃さなかった。電車が駅に止まる度に身を乗り出してホームに並ぶ乗客を確認した甲斐があった。
その人はとてもカジュアルな服装をしていた。そしてそのセンスの良さに、きっとアパレル関係の仕事をしているのだろうと思った。その人は秋山に背中を向けて彼の右斜め前に立った。しかし次の停車駅の三鷹に着くと、車内は一杯になり、彼女の姿が見えなくなった。すると秋山はその人のことが余計気になった。
(どうしようかな。新宿で降りてみようかな)
すると突然そんなひらめきが秋山を襲った。しかし彼女と一緒に新宿で降りてどうしようというのだ。青山が言うように、お茶にでも誘えということかと秋山は思った。
(いや、いや、いや、そんなことが出来るはずがない。そんなことをしたら本当に遅刻する)
その考えは即時に否定された。すると今度は青山の声がした。
「綺麗な人を追い掛けて遅刻したんだったら褒めてやるよ」
(青山先輩はそう言ってたけど、そんなわけがない)
秋山は湧き上がる雑念に必死になって抵抗した。しかし電車が新宿駅に近づくと、いつの間にか声を掛ける前提で思考を巡らせるようになっていた。
(この機会を逃したら次があるかわからない。でもどうやって声を掛けたらいいのだろうか)
秋山に最後の決心を踏み止まらせていたのはそこだった。下手なアプローチをして相手に不信感を持たれたら全てが終わってしまうからだ。
そこで秋山は彼の幼馴染として声を掛けようと思った。かつての同級生ですかと尋ねれば、例えそれが間違っても不審者に思われることはないと思ったからだ。
(懐かしい同級生に似ていたので声を掛けました)
それに遠くに引っ越してしまった同級生に会ったと言えば、青山にも言い訳が立つだろうと思った。
(よし、それじゃあ新宿で降りよう!)
秋山はそう決心するとその場で立ち上がった。
第4章
しかしいざ新宿で降りると、秋山はどのタイミングで声を掛けるか迷った。するとその人はホームから上りのエスカレーターに乗った。そこで秋山は彼女の位置から少し離れた段に乗った。
秋山の視線は彼女の後姿に釘付けになっていた。彼女を見失ってはいけないという思いは、まさにストーカーそのものだった。すると急に緊張して来た。特に悪いことをしているわけではないのに心臓の鼓動が速まった。
(どうしよう)
するとその緊張から逃れたいという心の働きだろうか。その人に声を掛けようという気持ちが急速に萎えて行った。秋山は迷った。ここで尾行を止めるべきかと思った。しかし今からでは会社には間に合わない。そしてこんな中途半端な結末では青山に笑われると思った。
(あ)
その時突然秋山にあるアイデアが浮かんだ。それはこのままその人を尾行すれば自然と彼女の勤務先がわかるということだった。そして次からはその店に行けば、いくらでも彼女と話をするチャンスがあると思ったのだ。
(彼女はどんなお店で働いてるんだろう?)
秋山がそう思った直後だった。彼女は新宿駅の改札に向かうのではなく、いきなり右に折れたかと思うと、その先の階段から山手線のホームへ降りて行った。
(え?)
秋山は予期せぬ事態にあわてた。すると眼下のホームには電車が到着していて、大勢の人で溢れていた。それで彼女は階段を降りるスピードを上げた。彼女はその電車に乗ろうとしていたのだ。秋山はその人を見失うまいと急いで後を追ったが、人ごみの中に彼女を見失ってしまった。
(どこに消えたんだ?)
秋山は焦った。しかしここまで来て諦めるわけにはいかなかった。それでとりあえず近くのドアからその電車に飛び乗った。
「やっぱり向かう先は原宿か渋谷かな」
その人を見失ったのは大失敗だったが、この電車に彼女が乗っていることは間違いなかった。秋山は騒ぐ気持ちを静める為に独り言を言った。
原宿でドアが開くと秋山は一旦ホームに降りることにした。そして降りて来る人をくまなくチェックした。しかしそこに彼女の姿はなかった。それで渋谷でも同じことをしたが、やはり彼女を見つけることは出来なかった。
(この電車に乗ったように思ったんだけどなあ)
秋山は電車から降りる人が途絶えると、そこできっぱり諦めることにした。そして彼女がその電車には乗らなかったのだと結論し、それから会社に向かった。
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