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第12章
森田は秋山に電話をしたり、実は手紙を書いたことを桑山には黙っていた。それは自分がそんなことをしたからこそ、今の状況に陥ったのだと彼から責められると思ったからだ。
「でも森田さん、ここに飛び込んで来た時よりもずっと顔色が良くなりましたよ」
森田はそう言われて確かに気持ちが軽くなったように思った。それはいつもそこで仕事をしているのと同じような気分だった。いや、それはそれ以上の心地良さだった。きっと森田をきちんと受け止めてくれる桑山の存在がそうさせたのだろうと思った。
「でも、そもそも森田さんがストーカーに付け狙われるようになった理由は何でしょうか?」
桑山は森田が平静を取り戻したことを確認すると話を核心に移した。それで森田は困ったと思った。それは隠しごとをしていては、桑山に適切なアドバイスをもらえないと思ったからだ。そして本気で桑山に助けを求めるのであれば、彼には本当のことを全て話すべきだと思った。そこで森田は秋山に電話をして、更には手紙まで書いたことを正直に話すことにした。
「そのストーカーは秋山という男だと思うんです」
「森田さんはストーカーの名前を知ってるんですか?」
「はい。名刺をもらいました」
「え、ストーカーから名刺をもらったんですか?」
「いいえ。正確には名刺をもらった相手がストーカーになってしまったんです」
「あ、そうなんですね。でも名刺を渡した相手をストーキングするなんて間抜けな話ですね。それとも偽名だとか?」
「偽名ではないようです」
「それはどうしてわかるんですか?」
「実はその男の勤める会社に抗議の電話をしたからです」
「ほう」
「もらった名刺にあった番号に電話したんです。するとそこは実在する会社でした。そして秋山という社員もそこに在籍していました」
「ではその時にその男とトラブルがあって、それでストーキングが始まったのですか?」
「それは違うと思います。その男は電話に出なかったので」
「どういうことですか?」
「その時不在だったんです」
「不在というと」
「その日はお休みだったんです」
「なるほど」
「それで電話で抗議するのを止めたんです。でも代わりに手紙を書きました」
「手紙を?」
「はい。今思うとそれがいけなかったのかもしれません」
「何か思い当たることがあるのですね?」
「実はその時ちょっとしたイタズラをしてしまったんです」
「イタズラですか?」
「はい」
「それはどんな?」
「私を捜して、と書きました」
「私を捜して、ですか?」
「はい」
「どうしてそんなことを?」
「その男が言ったからです。君を見つけたって」
「え?」
「君を見つけたとなるには、その前に私を捜して、という言葉があって成り立つ会話ですから」
「なるほど。それでその秋山という男が森田さんを追い回すようになったのですね」
森田はそう言われて言葉が出なかった。
「しかし、私を捜してなんて森田さんもうまいことを考えますね」
すると桑山は厳しい顔を少し緩めてそう言った。
(私を捜して)
実はその言葉に森田はある思い出があった。それはある人が好きな人に贈った言葉だった。森田はその話を聞いた時に、言葉を贈るなんて素敵なことだと感心した。
「今思うとあの時はついカッとしてしまって、それで自分でも不思議なんですが、どうしてあんな手紙を書いてしまったのかわからないんです。今は後悔しています」
「はい」
「それに手紙を出した後はあの男に二度と会いたくなかったので、店長に無理を言って勤務の時間帯を変えてもらいました」
「あ、あの時のそれはそんな理由があったんですね」
「はい。それでそれまで乗っていた電車には乗らないようにしたんです。乗る位置も変えました」
「では相手からすれば森田さんが忽然と消えてしまったわけですね」
「そうですね」
「それで森田さんを捜した。そして見つけたから、君を見つけたとなった。そういうことでしょうか?」
森田は桑山に言われて全ては自分が蒔いた種だと思った。
「店長、私はどうしたらいいんでしょうか?」
「相手には森田さんのどこまで知られているんでしょうか?」
「もしかしたら何から何まで知られているかもしれません」
「そうなんですか?」
「かもしれません」
「でももしその秋山という男がストーカーだとしたら、そんな短期間でそこまで調べられるでしょうか?」
「それはわかりませんが、例えば探偵を使ったらどうでしょうか?」
「探偵ですか」
すると桑山は困ったという顔になった。それで森田は再び不安になった。その森田の不安な表情を見て桑山は言葉を発した。
「ではこうしましょう」
「どうしたらいいんですか?」
「それでしたら森田さんにここの個室を提供しますから、この店で寝泊りしたらどうですか?」
「え?」
「だって一人で自宅にいるよりも安全ですよ。ここには私をはじめ他のバイトだっているわけですからね。それに通勤途中も危険なわけですから、一か所に落ち着いた方がいいと思うんです」
(他の子は頼りにならない)
森田はそう思った。彼らとは一切交流がなかったからだ。だからいざという時に自分を助けてくれるはずがないと思った。
(それに他の子にはまるでここで生活をしているような姿を見られたくない)
「店長のお心遣いはたいへんありがたいのですが、まさか自宅まで押し掛けて来ることはないと思います。それにもし電車で何かあったら、今度は大きな声を出しますから大丈夫です」
「そうですか」
すると桑山は残念だという顔をした。それで森田は申し訳ない気持ちになった。しかし、もうすぐここを辞める森田は、そこまで迷惑を掛けられないと思った。
「森田さんがそこまで言うのなら無理にとは言いませんが、本当に大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です」
それでその日の仕事が終わると森田は広尾のマンションに戻った。
第13章
「奈緒美、帰ったよ」
男は自宅に戻るとリビングのソファに背を向けて座っている女にそう言った。しかし返事はない。それで彼は無言のその女の隣に腰を下ろした。
「今日は奈緒美にプレゼントがあるんだよ」
すると男はそう言って紙袋の中から紺色のカーディガンを取り出した。そしてそれを女の肩に押し当てた。
「うん。やっぱり似合うよ」
男が買って来る服は、奈緒美にぴったりだった。
「奈緒美は何でも似合うね」
奈緒美は美しかった。しかし男が奈緒美を気に入った理由はそこではなかった。彼は以前衣服メーカーでアルバイトをしていた。その時不要になったマネキンを自宅に持ち帰ったことがあった。するといつしかそのマネキンに職場での不満をぶつけるようになり、それから色々な話をするようになったのだ。そして改めて彼女を見ると、その外見がまんざらでもないと思うようになったのだ。それに奈緒美という名前は男がつけたものだった。しかしそこには男の特別な思いはなかった。強いて言えば、何となくマネキンが奈緒美ぽかっただけだ。
「この前買って来たスカートに絶対合うと思ったんだ」
すると男は立ち上がり、奥の部屋からそのスカートを持って来ると女の目の前でカーディガンに重ねてみた。
「ほら。ね!」
男はそのコーディネートに自信があった。それはある人のファッションを真似したものだからだ。その人はいつも素敵な格好をしていた。男にはそのブランドまではわからなかったが、それと似たようなものを見つけると、それを奈緒美に買って帰った。今奈緒美が来ている服も、以前その人が着ていたものだった。
「じゃあ僕が着せてあげるね」
男はそう言うと、奈緒美の服を脱がし始めた。そして替わりにスカートとカーディガンを着せた。
「奈緒美、見てごらん。綺麗だよ」
男は奈緒美が新しい服に着替えると、より綺麗になったように思った。
「またいい服があったら買って来るね」
男はそう言うと携帯を取り出し、その格好をした女の写真を眺めた。
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