ポケットに恋と勇気を忍ばせて

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 わたしには、月郷(つきさと)(とおる)という幼馴染がいる。出会いは、十四年前――月郷家がうちの隣に引っ越してきたことが始まりだった。    たまたま同じ歳で、幼稚園も同じところに通うとわかり、母親同士が仲良くなった。以来、わたしたちは同じ学校に通い……義務教育を終えた今も、なぜか同じ高校に通っている。  進路先を教え合ったわけでもないのに……。    思春期真っ盛りになると、さすがに一緒に登下校をすることもなくなったけれど、女子の黄色い歓声に振り返れば、そこにはいつも透の姿があった。    透は幼少期から女子にモテモテだった。  色素の薄い茶色の髪は物珍しくて、明るい色の瞳はとてもきれい。おまけにお人形のように目がパッチリしていて顔貌(かおかたち)もいい。長身の両親の遺伝を見事に引き継いで、背も高いときた。  優しくて、どこか抜けていて目が離せない。つい支えてあげたくなってしまう、そんな男の子だった。    目を向ければ、いつだって女子に囲まれている一軍男子――それが、わたしの幼馴染。  透の周りにいる女子は、透と付き合いたいと思っている人たちだ。  目を見れば、わかる。  憧れと恋心と「これがわたしの彼氏よ」って自慢したい気持ちが、まるで万華鏡のように色や形を変えて表れているから。  だから、透が無防備にわたしを頼ってくる瞬間は、ちょっと緊張してしまう。 「海歌(うみか)、絆創膏って持ってる?」  昼休みの終わりかけ、透は一軍集団から何の気なしにシュルリと抜けて、本を読んでいたわたしのところへやってきた。  わたしはチラリと視線を外して、透の背中の向こう側を見た。案の定、一軍女子がこっちを見ていた。その冷たくて、チクチクする視線に胸の奥で冷や汗をかく。  逃げるように視線を透へ戻した。 「怪我したの?」 「違う、中指に二枚爪できた。なにかするたび痛いからカバーしたい。帰ったら返すから、一枚ちょーだい」 「返さなくていいよ」  本に栞を挟んで閉じ、ブレザーの胸ポケットから学生手帳を取り出して、裏表紙に入れていた絆創膏を渡した。  すると、透はそばにあった無人の椅子を引き出し、わたしの机に両腕を乗せた。 「海歌のポケット、ほんと便利だよな。何でも出てくる」  ペリペリと絆創膏を剥がしながら、透は笑った。 「何が起きても対処できるよう、ちゃんと準備をしているだけ」 「その準備したものを毎回俺が消費しちゃってるけどね」 「ホントそう。毎回、わたしを便利屋扱いしてさ」  それでもわたしが言い(とが)めないのは、透が使った分をその日か翌日には補充してくれるから。  それから……透のことが好きだから。  構われたくて、頼られたくて、準備してる。 「そろそろポケットの中を全部把握されてそうで怖いんだけど」 「ははっ、なにそれ。束縛彼氏みてー」  彼氏、という言葉の響きにドキドキした。  頬が熱くならないよう、あいまいに笑ってごまかして、透が絆創膏を貼ろうとするのを見守ることにした。 「いや、中指ってけっこう難易度高くない? しかも利き手に貼るとか……ダメだ。海歌、やって」 「えっ……」  思わぬ指名に動揺した。  透とは幼馴染だけど、成長した彼の手に触れたことはない。  自分より広い手の甲や長く太い指を見て、何となく恥ずかしさが込み上げた。  まるで禁忌を犯すみたいな緊張感で絆創膏を受け取る。   「いいけど……結果に文句言わないでね」 「言わない。とりあえず、この辺りを覆ってくれたら大丈夫」 「わかった」  こくりとうなずいて、いざ――と思ったとき、二人の一軍女子が近づいてきた。 「ねぇー、ツキー。いつ戻ってくるのー。昼休み終わっちゃうよ?」 「鷹森(たかもり)の『いちご牛乳一気飲み』のタイムで賭けようって話してたじゃん」  わたしは一軍女子の視線が怖くて顔を上げられなかった。絶対零度の視線に居心地の悪さを感じつつも、中指の二枚爪をよく観察して、そっと絆創膏を添わせることしかできない。  一方の透は、はぁと大げさにため息をついた。 「話してたのはお前らだけだろ。バカバカしいうえに、不健康な賭けには参加したくねーの。つか、今忙しいからあっち行ってて」  あいている手でシッシッと女子を追い払い、不機嫌そうにフンと鼻を鳴らした。  こんな風に女子を扱うのは珍しい。遠くから眺めている限り、そんな風に接しているようには見えなかったけれど。気安い関係なのか、それとも二枚爪でイライラしていたのか。  ともかく、透は顔をしかめていた。 「俺、ときどきアイツらのガキっぽい遊びに付き合えない。ああいうのが青春って言うのかな。でも、ちっとも楽しくないんだ」 「そう……大変なんだね」  一軍にいる人はみんな、わたしとは違う考え方や楽しみ方を持っている。見ている世界が違うと思っていた。でも、透は一軍男子だけど、わたしと同じ考えを持っていて、なんだかホッとした。どう表現したらいいのかわからないけれど、共通点があって嬉しい。 「だから、海歌のところにいると落ち着く」  わたしは返す言葉を見失ってしまった。  なにか言いたいのに思い浮かばなくて、声は喉に張り付いて、仕方がないから黙って、熱くなった指先で透の中指を支えながら慎重に絆創膏を巻いていく。    透の指は、わたしの指よりずっと頑丈そうだと思った。皮膚は硬いし、ゴツゴツしている。他の指もきっと同じ。  この指たちと自分の指を絡めて手を繋いだら、どんなだろう。想像するだけで、身体の内側から恥ずかしさが昇ってくるようだった。    これ以上、変な妄想をしたら透にバレてしまう。手当てを終えてさっと手を離し、行き場を失った手で本を引き寄せた。  早く透の指の感触を忘れたかった。 「お、終わった……。どんな感じ?」 「おー。悪くない。さすが」 「よかった」 「ありがとな、助かった」  タイミングを図ったようにスピーカーから予鈴が鳴り響いた。いっそうガヤガヤと人の声と動きが増えるなか、透は周りの変化などお構いなしにわたしの顔を覗き込んだ。 「いつも貰ってばかりだと悪いから、今度は俺が海歌の欲しいものをやるよ。なにがいい?」 「きゅ、急に言われても思い浮かばないよ」 「んー……それじゃあ、考えておいて。いつでも受け付けてるから」  爽やかに笑って、透は絆創膏の包みを掴んで去っていった。  思い浮かばないなんて嘘。  本当はすぐに「透」って頭に浮かんでた。  だけど、わたしは透にとって便利屋で、避難所な幼馴染でしょう?  それ以上の意味なんて、きっと持っていないはず。 「はぁ……」  わたしは本の背表紙を親指で()でた。思考がさまよったときの、わたしのくせだった。何かを撫でずにはいられない。  本当の気持ちを打ち明けてしまいたい。  でも、怖い。  透にいつか彼女ができることを恐れておきながら、わたしは透に告白する勇気は持てずにいる。ポケットに「いざというとき」の準備だけをして、透の気を引くことしかできない。  変わりたいな、と思った。  もう何年も想いを募らせて、いいかげん苦しくなってきた。  先生が来る前に、栞を挟んだページを開いた。どこまで読んだかチェックをするためだったのに、自分の行動に運命を感じた。 『破壊とは変革なのだ! それがなぜ理解できない!? お前たちは恐れと痛みにばかり囚われて、その先の未来を見ない。動かねば、未来は変わらない。今が動き出すときなのだ!』  優しすぎる余りに狂ってしまった悪役の叫びが目に飛び込んでくる。  理想通りの現実なんてない。物語のようにハッピーエンドが確約されているわけでもない。  だけど、動き出さないと未来を変えられない。思い描く未来に近づくことさえもないんだ。  それから数日後の放課後――職員室まで行って日誌を提出し、教室に戻ってくると透だけがいて、自分の席でスマホを触っていた。  さすがに「待ってくれていた」なんて勘違いはしなかったけれど、胸はときめいた。 「なにしてるの?」 「んー、腹減ったから」 「うん?」 「海歌待ってた」 「便利屋扱いしないで」  通りざまに、ポケットに入れていた飴を透の席に置いて、自分の席で帰り支度をする。  わたしたちの距離はいつも近くて、実際は遠い。心も身体も近くなれたら、安心できるのに。 「海歌、この前言ったやつ覚えてる?」  わたしはドキッとして、鞄に道具をしまう手を止め息を短く吸った。   「あ、ああ……欲しいものあげるって話?」 「そう。決まった?」  呼吸が熱く震える。  心臓が壊れてしまいそうなくらいドキドキしている。変革のときが来たんだ。 「決まって、る……でも、透には用意できないかもしれない」 「ははっ、何億用意しろとかはやめろよ」  わたしは笑うことも、冗談を言い返すこともできなかった。筆入れにあった小さなメモを一枚切って取り出し、ボールペンを滑らせる。  ポケットに詰め込んでいた様々なものを鞄に押し込んで、代わりに折ったメモをポケットに忍ばせた。    ――変革だ、変革だ、変革だ!  自分を鼓舞して透のそばへと歩み寄り、絆創膏の取れた透の手を掴んで、メモの入ったポケットに突っ込んだ。 「このメモに、欲しいものが書いてある。用意できないなら捨てていいからッ……」  自分が今、どんな顔をしているのかわからないけれど、透が呆気にとられている様子から切羽詰まった表情をしているに違いなかった。  もう後戻りはできない。幼馴染としての距離感も失われるかもしれない。  けれど、不思議と後悔はしない気がした。 「わかった」  透はそういうと、わたしの手の中でメモを掴んだようだった。  わたしは逃げ出したい気持ちを押し殺して、静かに手を引いて透を見下ろす。  透はメモを開けて、目を丸めた。    ――ダメ、か。  そんな思いがよぎって、胸が一気に苦しくなった。後悔はない。でも、苦しい。  無言の時間は、永遠に感じられたけど、きっと数秒程度だったと思う。  透は瞬きを数回して、半開きになった口を笑みに変えた。 「いいよ」  静かな教室に、透の声が浸透した。  信じられない気持ちで透を見返すと、透はおもむろに立ち上がって、わたしの肩に額を乗せた。 「いいよ。俺の全部、あげる」 「いい、の?」 「うん。俺も好きだから。海歌と一緒にいるために、必死で勉強して同じ進路にしたんだ。気づいてなかった?」 「え……、いやでもお互い進路先なんて」    わたしは頬に当たる透の髪にくすぐったさを覚えながら、視線を透に向けた。   「母親経由でいつでも聞けたよ。海歌に聞いたら、ストーカーって思われそうで聞けなかったんだよ」 「それならそうと早く言ってよ。ストーカーなんて思うわけない」 「嫌われたらって思うと怖かった」  なんだ。  わたしだけじゃなかったんだ。  またひとつ共通点を見つけて、なんだかやっぱり嬉しくなる。  わたしは目を細めて、気恥ずかしさと喜びにふふっと笑った。  透は顔を上げたと思ったら、顔を近づけてきた。幼馴染の距離を越えたその近さに驚いて固まっていると、ブレザーの両ポケットに両手を突っ込まれた。 「これからも、このポケットの中は俺が独占させて。他の奴には何もやらないで」  初めて見る透の真剣な表情に息を呑み、ぎこちなくうなずく。  すると、透は柔らかく笑んで、わたしの唇にチュッとキスをした。  突然のことだったけれど、ずっと夢見ていたことだったからすぐに現実を受け入れられた。  当たり前のように一緒に教室を出て、初めて手を繋いで家まで帰った。  これは、ポケットに忍ばせた勇気が未来を変えた――そんな恋のお話。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加