19人が本棚に入れています
本棚に追加
処刑仮確定な悪役令嬢に転生したけど、名探偵を演じて死亡フラグ回避します!!
聖地巡礼はわたしにとって、その世界に入り込める唯一無二の方法――だったはずなのに。
いつも通りの金曜日。
徹夜でお気に入りのゲームをして、朝一で制作陣のSNSをチェックして、実は今攻略しているラストシーンの舞台が日本の福井県にあると知ったら……行かないわけには行かなくない?
こういうときのために、高校に入ってすぐに始めたバイト代は全額貯金。
お年玉貯金の通帳も親から奪い返した。
推しに使う金額、プライスレス。
そう思って電車に飛び乗って、新幹線も梯子して、ようやくわたしはその頂に立ったのだ。
文字通りに。
その聖地は東尋坊。
サスペンスでよく見かけるあの崖で。
断崖絶壁で魔王と禁断の愛をささやき合うメリーバッドエンドを、その場所でクリアしよう……。
わたしは行きの車内で一睡もしないままひたすら攻略を進め、さあ最後のシーンをと携帯ゲーム機を取り出して。
そこで強風にあおられた。
睡眠不足の女子高生の体なんてもろい。
面白いくらいによろけて、わたしは崖から落ちる、落ちる、落ちる。
これじゃあまるで、サスペンスの終焉に全てを諦めて身を投げる悪役じゃないか――……。
最期に思ったのは、そんな下らないこと。
だからでしょうか神さま。
わたしが悪役令嬢なんぞに転生してしまったのは。
ずるり、どごっ。
「大丈夫ですか、ユーフェミアお嬢さま!」
瑞々しい音の後に響いた轟音。
そして耳元で叫ぶ青年の声。
目の前には眩しいばかりの晴天と、天使のように美しい顔を青ざめさせている男の子。
恐らく、現在八歳の私と同い年くらい。
わたしを押し倒す格好のまま、石像のように固まってしまっている。
仰向けの状態で目だけをギロリと押し下げれば、泥の中で浮き島のように顔を覗かせている岩が見える。
むくり、と男の子を押しのけるように身を起こせば、後頭部からぴゅーと血が噴き出した。
お付きのギルバートが慌てた様子で真っ白なハンカチをあてがうが、それはみるみるうちに赤く染まって、反比例するようにギルバートと目の前の男の子の顔が青ざめていく。
でも、わたしにとって今そんなのどうでもいい。
「ねえ、今なんて言ったの?」
「だ、大丈夫ですかと」
「違う、その後」
青ざめた顔をしたギルバートが今聞くようなことかというような視線でわたしを見ているが、お構いなしにもう一度聞く。
「その後」
「……ユーフェミアお嬢さま、と」
「わたしの名前は、ユーフェミア? もしかして、ユーフェミア・グランツハイムなの?」
「そうですが……」
「グランツハイム公爵家の?」
「その通りですが……」
「ああ、死――」
「ちょ、お嬢さま!?」
こうして前世の記憶を脳裏に叩き込まれたわたしの思考回路はショートして、気を失ったのだった。
***
享年、十六歳。
高校入りたての女子高生。
それがわたしの前世。
が、今は八歳の公爵令嬢ユーフェミア・グランツハイムである。
この世界でのわたしは、それはそれは大切に育てられた令嬢で、父は毎日目に入れても痛くない、可愛いとべた褒めだった。
母親はそんなわたしと父を見て、幸せだわとほろり涙を流す始末。
欲しいものは何でも与えられ、気づけばわがまま高慢ちきお嬢様のできあがりである。
正直、この世で一番偉いと思っていました、はい。
そして今日は第一王子主催の園遊会で、初めてお城にやってきた。
そこで同い年の第二王子を紹介されたところ、一目惚れした。
金を溶かして薄く裂いたような綺麗で張りのある髪、その揺れる前髪の下から覗くのは晴天を溶かし込んだような碧い瞳。
絵画の中の天使がそのまま飛び出てきたのかと思うような容貌に、わたしは一瞬で虜になった。
一目散に穴場だと伯父から教えられた人気のない薔薇園へ強制連行。
結果ぬかるみに足を取られて転び、不幸な王子は微塵も興味のない令嬢を押し倒す羽目になって……今に至る。
でも、でも、だめ。
この出会い方はぜえっっっったいに!
やっちゃいけなかったのよ!
なぜならこれは、破滅ルートへのフラグ起点だから!!
「わたしは聖地巡礼で二次元に浸れればそれで良かったのよ! 本当にその世界に入らせてくれなんて言ってないじゃない!? 神さまのぼけなす!!」
「……お嬢さま? 目が覚めた第一声がこれ……。すみません、今すぐお医者を――」
「いりません!」
ベッドの側に腰掛けていたギルバートが立ち上がろうとするのを大声で制して、わたしはもう一度枕へと突っ伏した。
ギルバートはしばらく逡巡した後、深いため息をついて丸椅子に座り直す。
「もう三日三晩昏睡状態だったのですよ。目が覚めて良かった」
「よくないわよ。こんな、こんな――」
「……お可哀想に。綺麗に傷が消えればいいのですが……」
わたしよりもよほど落ち込んだ顔をしたギルバードが頭を優しく撫でながら言う。
後頭部に出来た傷を憂えて、泣いていると思ったのだろう。だが見当違いも甚だしい。
わたしにとって、そんなことはどうでもいい。
「ギル。鏡をちょうだい」
「……ですが」
「いいから。見ておきたいのよ、ちゃんと」
お気をしっかり、といいながらギルバートが手鏡をさしだした。
枕からちらりと顔を向けて、そこを覗き込む。
そこには見覚えのある少女の顔がある。
艶やかな白銀の髪に淡い紫色の瞳。
その瞳の色から将来は紫陽花の君と呼ばれる眉目秀麗な面立ちだ。
だが今は額から後頭部にかけて、ぐるぐると包帯が巻かれている。
バンドマンの下手くそなバンダナみたいだった。
「三針縫ったとのことで、お医者さまの話では、その、もう生えないかもしれないと……」
「生えないって?」
「……髪が」
「ハゲってこと!?」
「縫った傷跡の上、一センチ程度のところが……」
前言撤回。ハゲはやばい。
「え、ちょっと、どこどこ?」
「え、だからここが……」
「いや、後頭部見えないって! 鏡もう一つ持ってきて! 後ろから映して!!」
「あ、ちょっと待ってくださいね……」
ギルバートが急いでもう一つ手鏡を持ってきて後ろからかざす。
「見えます?」
「髪が邪魔! 避けて!」
わたしは包帯を引っぺがす。
ギルバートがいそいそと髪を持ち上げる。
「これでどうです?」
鏡越しに、真剣な顔で髪をかき分けるギルバートが映る。
それに強烈な既視感を覚えた。
「……毛繕いするサルみたい」
「サル?」
あまりにも滑稽な光景に一瞬で冷めた。
もういいや、と思って鏡を投げ捨てる。
「…………」
髪をかき分ける作業が水の泡となったことにギルバートはやや不服そうだった。
が、しばらく沈黙した後包帯を巻き直し始めた。
「ハゲ……。そういえばそんな設定だったわね」
さすがにこの若さで、しかも令嬢がハゲをこさえたとなるとぶすりと胸に刺さるものがある。
だが、やはり目下の問題はそんな陳腐なものではないのだ。
気を取り直すためにふう、とため息をついて、改めて鏡の中の少女をまじまじと見つめた。
氷のように冷たい眼差し。
意志が強そうなつり上がった眉。
――生前大嫌いで、その破滅を心の底から望んだ悪役令嬢の顔!!
ちょっとだけ、薄目を開けて鏡を覗き込んでみる。
やっぱり悪役令嬢がいる。
右目をつぶってみる。
鏡の中の悪役令嬢は左目をつぶる。
いよっしゃ!
反対の目をつぶったと言うことは別人!
……なわけはなく。
鏡は左右反転して映るんだから、当然わたしが右目をつぶれば鏡の中のわたしは左目をつぶる。
つまり、鏡に映っているこのいけ好かない悪役顔の令嬢は、紛れもなくわたしというわけだ。
悪役令嬢ユーフェミア・グランツハイムが登場するのは《薔薇騎士伝説》という乙女ゲームである。
ジャンル別の売り上げランキングで堂々の一位を飾った本作は、中世ヨーロッパ風の世界でイケメンたちとの学園生活を満喫しつつ、愛を育んでいくという王道ストーリーだ。
だが、このゲームが売り上げ一位になったのは単にイケメンがたくさん登場するからだけではない。
女性向けゲームではおざなりになっていたRPG要素にもかなり力を入れているからだ。
この世界には魔王復活の伝承があり、それに対抗すべくロゼリア教の神でるロゼリアさまが人間にスキルを与えている。
そのスキルと育んだ愛を持って魔王を倒すというストーリー設定がなかなかに上手くできていて、それが人気を博した一つの要因ともなっていた。
十五歳になったスキル持ちは学園に集められて教育を受ける。
この学園が本作の舞台であり、授業や実習をこなす中で愛を育んでいくのだ。
ちなみにわたしが十五歳で芽生えるスキルは〈より黒き者〉というやつだ。
能力としては魔物とお話ができるという、とーっても悪役令嬢らしいスキルである。
話を戻すと、この物語のヒロインは平民の出自にありながら、入学式の一週間前にスキルを発現させて学園にやってくる。
実のところヒロインは、かつて魔王を勇者とともに滅ぼした聖女さまの生まれ変わりで、みるみる才能を発揮する。
そして仲間(攻略対象)と絆を育み、エンディングでは見事魔王を倒して世界に平和が訪れる。
主な登場人物は悪役令嬢ユーフェミアを含めた七人――。
「お嬢さま」
飛び込んできた声に一瞬びっくりして飛び跳ねる。
ちらりと鏡から視線を斜め上に向ければ、ギルバートの琥珀色の瞳と目が合った。
慈悲深い眼差しでわたしに笑いかけている。
手は頭に置いたまま、優しくなで続けていた。
「なに……ですか」
記憶を取り戻す前のわたしなら横暴な振る舞いが当たり前だったけれど、今となっては庶民として生きた時間の方が長い。
見事気弱さが勝って、とんちんかんな敬語が誕生した。
突然(でたらめではあるが)敬語を使ったわたしにギルバートが目を瞠る。
だが逸れも一瞬のことで、すぐさま柔和な笑みに戻ると言葉を続けた。
「紅茶を入れて参りましょうか。お嬢さまが大好きな木苺のジャムをたっぷり入れて」
木苺のジャム、と聞いて生唾を飲み込んだ。
「……飲む。それから――」
「スコーンとホイップクリームですね。用意して参ります」
「……ありがと」
再びわたしの言葉に目を瞠ったギルバートが、一礼をして立ち去った。私はその背中を見ながら、記憶の紐をたぐり寄せる。
登場人物一人目、ギルバート・マクベス。
彼は時折ログに登場する程度の、いわゆるモブである。
琥珀色の瞳と、同色の長く伸ばしたきれいな髪。
それを肩の上で緩く一つにまとめている。
八歳の頃から小姓ペイジとして我が家に奉公していて、現在は十五歳で従騎士エスクワイアに昇級した。
本来はお父さまの身の回りの世話をすべきなんだけれど、娘大好きで心配性なお父さまに言われて、執事としてわたしの身の回りの世話をしている。
最期までわたしの唯一の味方であり、ともに処刑される青年だった。
登場人物二人目はジルベルト・フォン・ローゼンハーツ。
攻略対象の一人でもあり、このゲームの舞台ローゼンハーツ王国の第二王子。
そう、わたしが怪我をしたとき、その天使のような顔を青ざめさせてドン引きしていたのが彼である。
一見天使のように見える彼は、実際の所絵に描いたような紳士系ドSキャラで、その言葉責めに世の中のプレイヤーは悶絶した。
わたしもその一人である。
にもかかわらず、どうしてそんな推しキャラとあの庭園で出会ってはいけなかったかと言えば……。
「お嬢さま! 大変です!!」
いつも冷静なギルバートが慌てた様子で駆け込んできた。
その足音に紅茶がこぼれる! と心配したが杞憂だったようだ。
手に紅茶を持っていない。もちろんスコーンも残念である。仕事しろ。
「んもう、なんなのよ……」
まだ若干わがままお嬢さまが抜けきっていないのか、ベットにうつ伏せのまま頬杖をついて深々とため息をつく。
足をぱたぱたと上下させることも忘れない。
おお、これは確かに悪役令嬢っぽいぞと一人で勝手に感心していたところ、
「ジルベルト殿下がお見えです!」
「へ?」
こけっと掌から顎がずり落ちて、ぼふんと顔が枕にダイブした。
しばらく現実逃避するように、そのもふもふの感触と石けんの香りを堪能して、
「~~~!」
声にならない叫び声を上げた。
来た、来てしまった!
わたしの死亡フラグ!!
「三日三晩も眠っていたと聞きました。具合はいかかでしょうか」
金髪碧眼の天使が、ベッドサイドでばつの悪そうな顔をして、薔薇の花束を差し出している。
美少年と薔薇って何でこうも似合うんだろうか。
惚けた顔でその顔を見上げていたわたしの代わりに、ギルバートがそれを受け取った。
「お嬢さま」
ギルバートがそっと名を呼んで、お礼の言葉を促す。
いかんいかん。
わたしは頭をブンブン振る。
たちまち白銀の髪が大きく弧を描いて舞い散った。
あ、これ知ってる。芸術鑑賞会で見た歌舞伎の獅子舞だ。
と、どうでもいいことを考えてしまうあたり危機感がない。
今わたしの目の前には死亡フラグが立っているというのに!
「ありがとうございます、ジルベルトさま」
「どうかジルとお呼びください、ユーフェミア嬢」
「あ、じゃあわたしもユフィで……。両親もそう呼びますし、長いので……」
正直わたしでも舌を噛みそうな名前である。
だからきっと両親もユフィと呼んでいるのだろう。
なら初めからそう名付ければいいものを。
「では、ユフィ。今日はあなたに大切なお話があります」
あ、待って。来てしまった。
「このたびは僕のせいで傷を作ってしまい、大変申し訳なく思っています」
ジルベルトが神妙な顔でわたしの手に自分の手を重ねる。
わたしは空いている方の手をこれでもかというほどぶん回した。
「いえいえいえ! この傷お気に入りなんです! ありがとうございます!!」
「え、お気に入り……?」
途端に、ジルベルトが素っ頓狂な声を上げた。
後ろに控えていたお付きの人は、完全に固まってしまっている。
しまった、と思い慌てて口を手で押さえる。
目が覚めたときはハゲという事実に動揺してしまったが、実は生前もすっころんだひょうしに切ってしまって、同じ所にハゲをこしらえていた。
あのときは父が見つけてきた美容整形外科医が縫ったので、今よりももっとハゲは小さかったけれど。
あれ……?
もしかしてこのおそろいの傷が悪役令嬢への転生を引き当てたとか?
まさかね、まさか。
ははは、と乾いた笑いで顔を引きつらせる。
それを見たジルベルトは途端に顔色を曇らせた。
気にしていると思ったのかもしれない。
慌てて私は身を乗り出した。
「と、とにかくお気になさらないでください! もう見慣れてしまって、ない方が違和感があるくらいなのですから」
これは本当のことで、髪をおろせば全く見えない上に、初対面の人との話題作りには最適だった。
毎回爆笑を誘ってくれる鉄板ネタであり、全く以て気にならないどころかむしろ愛着すら感じている。
だが力説しようとすればするほど、なぜだかジルベルトの顔が曇っていく。
そうか、この大げさな包帯がいけないのだ。
解いてハゲの程度を見せればさすがに納得してくれるかも知れない。
わたしが包帯に手を掛けようとしたとき、ぎょっとした顔をしてジルベルトが口を開いた。
「あなたがよくても、世間はそれをよしとはしません。女性に傷を負わせた上にその責任を取らないような人間に、王位を託すほど社交界は甘くないのです」
「うっ」
ジルベルトの言い分ももちろん分かる。
生前の日本ですら、父親が「女の子にハゲだなんて、お嫁に行けないかもしれない」と怪我をしてしばらくは泣いていた。
それが中世ヨーロッパ風の貴族社会である。
ハゲたご令嬢なんて言語道断なのだろう。
そしてこの国は長子相続制ではない。
より優れた者が王位に就く。
わたしに怪我を負わせたことですでに傷を負った経歴が、ここで責任を放棄すればさらに地に墜ちるのだろう。
ジルベルトだって婚約してくれしているわけじゃない。
だからこんなにも歯切れが悪いのだ。
「そこで、今日は大事な話をしに来ました」
ジルベルトは、神妙な面持ちでわたしの手を取ったままベッドサイドに跪いた。
途端に薔薇がほころんだような笑みを向ける。
「ユーフェミア・グランツハイム嬢。僕の、婚約者になっていただけませんか」
「あっ……」
とうとう、このときが来てしまった。
登場人物二人目はジルベルト・フォン・ローゼンハーツ。
攻略対象の一人でもあり、このゲームの舞台ローゼンハーツ王国の第二王子。
そしてユーフェミアにハゲを作ってしまった責任を感じて、八歳の時に婚約する。
だがこれは、悪役令嬢ユーフェミアの破滅ルートの始まりである。
ユーフェミアは婚約者という立場をいいことにわがままの限りを尽くすだけでなく、自分を溺愛してくれる母方の兄、伯父のラルフを贔屓するよう国王に詰め寄る。
結果、ユーフェミアとラルフは社交界において強大な力を得るが、それに反比例するようにジルベルトの心はユーフェミアから離れていく。
そんな中で学園に入学したジルベルトはヒロインと出会い、その素朴さに恋に落ちる。
当然納得のいかないユーフェミアは伯父と結託して犯罪まがいの嫌がらせをするのだが、ヒロインはジルベルトと力を合わせてその悪事を暴いていく。
そしてその過程で、実はユーフェミアにハゲを作ったのはジルベルトではなく伯父ラルフであることも発覚するのだ!
ラルフはジルベルトはユーフェミアを王妃の座に据えることで、じきに生まれるであろう次期国王を自分の思うように動く傀儡国王にしようとしていた。
いわゆる摂関政治である。
この場合は孫ではなくて大甥だけれども。
そのためなんとしてもユーフェミアを婚約者に仕立て上げたかった伯父は、あろうことか自分の姪に怪我を負わせ、それがあたかもジルベルトのせいであるように仕向けたのである!
結局伯父ラルフは不敬罪、及び国家転覆罪で処刑されることとなる。
……協力者である悪役令嬢ユーフェミアもろとも!
そんなことを露も知らないジルベルトは、たった今、伯父の目論見通りに婚約を申し込んで、わたしの破滅フラグをスタートさせてしまったのだ。
「……ユフィ? あの――」
鬼のような形相で歯を食いしばっているわたしに、ジルベルトが恐る恐る声をかけてきた。
すっかり前世の記憶と、これから迫る自分の運命に気をとられて、思考が完全に吹っ飛んでいた。
というか、なんで前世の記憶を取り戻すのが、死亡フラグが立った後な訳!?
転落死した上に処刑だなんて、神さまはわたしに恨みでもあるの!?
むごい、むごすぎる。
考えろ、ユーフェミア。
負けるな、ユーフェミア。
小学校の通知表に「自分が楽をするためなら天才的な知恵を発揮するお子さんです」と書かれた実力を発揮するのよ!
ハゲ……怪我……企み……罪を被る………………そうか!!
たった一つだけ、この死亡フラグを回避する方法がある。
この怪我の責任が王子にないことを証明して、真犯人を捕まえればいいんだ!
いいじゃない。
神さまがその気なら、受けて立つわよ。
「その婚約、ちょーっと待ったぁ!」
ジルベルトの手を勢いよく払いのける。
びっくりしたジルベルトが二、三歩下がって、ベッドサイドにスペースが空いた。
すかさず、その隙間に飛び降りると王子の鼻先に人差し指を突き立てる。
「婚約はいたしません!」
「は? しない?」
予想外の回答だったのか、貼り付けた王子さまスマイルが見事に崩れた。
だがそんなのわたしの知ったことではない。
今わたしは、生きるのに精一杯なのだ。
「ジルさま! あなたは騙されています! このハゲをこしらえたのはあなたではありません!」
「え、ですが――」
「わたしが必ずや真犯人を捕まえて、ジルさまの潔白を証明して見せましょう!!」
「……は?」
ジルベルトがあからさまに怪訝そうな顔をするが、わたしは口の端をつり上げると笑いかけた。
ちなみに、わたしはできる限りの公爵令嬢スマイルをしたつもりだったのだが、目の前のジルベルトの顔がさっと青ざめた。
怯えてる?
真実を知るのが怖いなんて、繊細なのね。まあいいか
あとでギルバートに励ましてあげてと頼んでみよう。
「ジルベルト殿下が来たって!?」
バァン!
豪快な音を響かせて、ユーフェミアの部屋のドアが開いた。
聞こえてきたCVとテンション、そしてこのタイミングで誰が来たのかなんとなく分かった。
が、一応視線を戸口に投げる。
結果、予想通りの人物をその視界に捉えてため息をついた。
「もうお帰りになりましたよ、ラルフさま」
わたしの代わりに、花瓶に薔薇を生けていたギルバートが答えた。
声の主――伯父のラルフ・ガードナーがあからさまに落胆した顔になる。
というより、口の中で小さく舌打ちすらしたように思う。
そんな見るからに悪人顔の伯父さまがベッドに近寄ってきて、先ほどまでギルバートが座っていた丸椅子に腰掛けた。
ちなみにわたしは、ジルベルトが帰るやいなや、青ざめた顔をしたギルバードの手で無理矢理ベッドに戻されていた。
「で? ジルベルト殿下は婚約の約束をされたのか?」
「どうしてそれを……?」
びっくりして素っ頓狂な声を上げると、なにをいっている、と伯父さまも負けず劣らずの驚き顔を作った。
「決まっているだろ! お前の体に傷をつけたからだ。その責任を問わない王族なんていはしないよ」
伯父さまは至極当然と言った様子で答えると、薄ら笑いを浮かべた。
予定通り、とでも言いたげに。
「……婚約のお申し出はありました」
「そうか! では急いで国中の貴族に知らせを――」
「婚約はしませんとはっきりお断りしました」
「…………………………は? 今なんと?」
顎が外れそうな勢いであんぐりと口を開けた伯父さまが面白くって、つい吹き出しそうになるのを必死にこらえた。
なんとか令嬢らしいツンとした表情を取り繕うと、はっきりと言い捨てる。
「ですから、婚約はしませんとお伝えしたのです」
「なぜだ! 婚約さえすれば、わたしがお前を未来の王妃にしてやると言っておいただろう!!」
ガタン!
と椅子を後ろに蹴飛ばしながら伯父さまが立ち上がる。
そしてわたしに必死な形相で詰め寄った。
普段は柔和でへこへことしている伯父さまの、本性をよく現したような顔だった。
この伯父のせいでわたしは処刑されるのよ!
しかも確か、ギロチンとかそんな手法だった気がするんですけど!?
するすると降りてきた刃がわたしの首にあたって…………スパーン!?
「そんな未来、ぜえったいにごめんだわ!!」
「え……? そんなに王妃になるのが嫌かい……? 前はあんなに乗り気だっただろう?」
突然上げた大声にビクンと伯父さまが飛び上がった。
それを横目に流し見て、もう一度深くため息をつく。
ジルベルトを攻略する過程で、この伯父がなにやらトリックを使って事故を故意に引き起こしたことは知っている。
たしか……伯父さまのスキルである〈金属錬金〉を使ったとかなんとか。
「ほら、ユーフェミア! お前の好きな子猫の置物を作ってあげよう! 何が気に食わなかったのか伯父さまには分からないけれど、これで機嫌を直してさっさと婚約を承諾するお返事をするんだよ?」
伯父がベッドサイドテーブルに置かれていた銀の匙を手に取った。
わたしの薬を飲ませるために準備された小さいティースプーンである。
伯父さまはふっと息を吹きかけた。
途端、スプーンがぐにゃりと曲がる。
一度小さな球状に丸まったかと思うと、うねうねと頭、手、足が生えてきて、可愛い子猫の形に変化した。
それを指でつまんで、わたしの目の前に差し出す。
わたしは思わず見とれてしまって、気づけば無意識のうちに手を出していた。
伯父さまは嬉しそうに笑うと、掌の上にそれを置く。
「いい子だ、ユーフェミア」
ほんのりと暖かい置物を、わたしはまじまじと見つめた。
スキル〈金属錬金〉は手元にある金属の形を自在に変形させることのできる異能力である。
質量保存の法則には逆らえないため、元の金属より大きい物は生み出せないが、その質量の範囲内なら想像したとおりの物を生み出すことができる。
ラルフ伯父さまは画家という肩書きもあるため、芸術センスもピカイチだ。
手の中には見事な銀製の猫がちょこんと乗せられている。
スキルは血に宿るとされていて、選ばれし貴族のみに授けられた神の恩寵――というよりも、貴族はその異能を持つが故に魔物などの外敵を討伐する責務を負い、代わりに特権を与えられているという方が正しい。
そんなありがた迷惑なスキルは、十五歳になる年のロゼリア祭で教皇による目覚めの儀式を施されると発現する。
(このスキルを使って、どうやってわたしに怪我をさせたんだろう)
ちらりと伯父さまを覗き見ると、その視線に気づいてわたしの頭をわしゃわしゃと撫でた。
伯父さまはいつも犬を撫でるように豪快に撫でてくるのであまり嬉しくない。
今も髪がボサボサになった上に包帯が緩んだ。
そして傷に響く……痛い。
……それになんだか臭い。
伯父さん特有の加齢臭かとも思ったが、まだ三十代半ばだし、加齢臭のようなツンとくる匂いじゃない。
濡れたぼろ雑巾を一週間放置したような匂いだ。
わたしは昔から、生活に支障が出るレベルで鼻がきくので思わず吐きそうになった。
口を真一文字にして嗚咽を押さえ込み、鼻で息するのをやめる。
……って、これじゃあ息できなくない!?
「顔が真っ青ですよ、お嬢さま!」
慌ててギルバートが駆け寄ってきた。
わたしの様子からなんとなく状況を察したのか、伯父さまを引き離してくれる。
「お嬢さまは病み上がりのお体です。今日の所はお引き取りを」
琥珀色の大きな瞳に睨まれて、う、と伯父さまがたじろいだ。
そういえば、ギルバートとラルフは仲が悪い設定だった。
大事なお嬢さまを利用しようとするラルフに気づき、ギルバートはずっと警告をしていた。
だがユーフェミアはそれを無視して、際限なく甘やかしてくれる伯父さまに心酔していく。
結果、処刑されるところまでその本性に気づくことはない。
ギルバートは自分の力不足のせいでお嬢さまを守れなかったと悔やみながら、ユーフェミアを一人で死なせないと言って共に処刑される不遇キャラである。
いい奴過ぎる、ギルバート!
「じゃ、じゃあ今日のところはお暇するよ。だけどユーフェミア、よく考えるんだよ。未来の王妃になった自分の姿をね」
そう言い残して、伯父さまはひらひらと手を振りながら部屋を後にした。
そのとき、右手の袖口からまたしてもぼろ雑巾の匂いが漂ってきてうっ、となる。
見れば袖に緑色の染みができていた。
あれが原因に違いない。
貴族なら服を洗え、服を!
戸が閉まり、しばらくの沈黙が流れた後、
「……まあ、この婚約にはわたしも賛成ですが」
ぽつり、とギルバードが呟いた。
「え……?」
きょとんとして問い返すと、ギルバートは嬉しそうに笑った。
「大事なお嬢さまが、経緯はどうあれ第二王子に見初められて婚約者になることは嬉しいことです。我が国は実力主義のため、ジルベルトさまが国王になられる可能性も大いにある。ユーフェミアさまの戴冠式を想像すると、今から誇らしく思います」
「…………」
その言葉を聞いて、わたしはつい押し黙ってしまった。
それを疲れたと思ったギルバートは、はにかんだ顔で笑う。
「先走りすぎました、申し訳ありません。紅茶を入れて参りますね」
「あ、ありがとう」
「……? 今日はやけにしおらしいですね。プロポーズ効果でしょうか」
くすくすとギルバートは笑うと、ぺこりと一礼して部屋を後にした。
ひとり部屋に残ったわたしは、もう一度手鏡を覗き込む。
やはりそこには、憎き悪役令嬢ユーフェミアの顔がある。
「ごめんなさい、ギルバート」
鏡を見ながらぽつりと呟いた。
「わたし、婚約者にはなれないわ」
ぎり、と奥歯を噛みしめると、掌に残された猫の置物を握りしめる。
「崖から落ちた上に処刑なんて絶対に嫌! なんとしても、この婚約なかったことにしてみせる!!」
見た目は子供でも頭脳は大人なのよ!
某探偵みたいに絶対に真相を解き明かしてみせるわ!
こうして、悪役令嬢改め探偵ユーフェミアのフラグ回避が始まった。
翌日。わたしはお城の庭園で仁王立ちしていた。
「サスペンスの王道と言えば”現場百遍”よねぇ」
現場百遍……それは事件解決の糸口は必ず現場に隠されているので、百回尋ねてでも慎重に探せという意味である。
「……ということで、こっそりお城の庭園に来てみたけど、何からすればいいのかしら?」
いい奴だけれど小うるさい小姑のようなギルバードに、真犯人を捕まえようとしていることがばれては一大事である。
ぶつけた拍子に頭がおかしくなったと思われて軟禁状態にされ、甘々スイーツをたんまり盛られて溺愛されてしまう。
ギルバートの”お嬢さま愛”は、どこか異常なのである。
転生してから知ったのだけれど。
そりゃあ一緒に処刑もされるよな、と納得するくらいにはお嬢さまを可愛がっていた。
見た目は子供、頭脳は大人!
と意気込んでみたはいいものの、そもそも前世でわたしは名探偵なんかじゃなかったので大前提が崩れていた。
終わった。
唯一の救いと言えば、犯人が分かっていることと、そのトリックにスキル〈金属錬金〉が使われたことを知っている点である。
つまり、トリックを考えて、それを伯父さまが使ったことを証明すればいいだけなのだ!
だけなのだ!
だけなのだ……?
「証明できる気がしないんですが?」
がっくりと膝を落とした先には、例のぬかるみがある。
なぜか丁寧に整地された庭園の中で、そこだけが妙に湿っている。
もう四日前のことなので乾き始めてはいたが。
「あれ、なんかこの岩変じゃない……?」
ぬかるみのど真ん中に、漬け物石のような立派な岩がどっしりと構えている。
それをじっと見ていたら、なんだか違和感を覚えた。
そもそも、薔薇園の庭に岩が置かれているなんて不自然すぎる。
そして岩の表面がきったない。
王家の庭だからって岩の表面まで磨けとは言わないけれど、赤茶色の砂がこびりついていて、お寺とかに見る枯山水の岩のような綺麗さが微塵もない。
どうせ庭園に設置するなら、枯山水みたいな綺麗な石にすればいいのに……。って
「ちょっと待って。砂がついてるの、おかしくない?」
ガバッと岩に駆け寄ると、その表面に触れてみる。
間違いなく、隙間ないほどに砂がこびりついている。
だが、その岩が置かれている周辺の地面は濡れている。
そもそも、ここ一週間は晴天だった。なのに地面が濡れているのがおかしい。
しかもここだけ。
そしてもし雨でぬかるんだとしたら、岩表面にも水が降り注いだはずである。
なのに、その表面についた砂は水に流されていない。
「もしかして、地面をぬかるませた後に岩だけ置いたんじゃない!?」
わたし天才かも、と思って岩を持ち上げてみる。が、びくともしない。
当たり前である。
今のわたしは甘やかされて育った八歳の公爵令嬢。
漬け物石を持ち上げるだけの筋力なんてない。
でも、どうしても確かめたい。
この岩の下が濡れているのかどうかを!
もし元から岩が置かれていたところに雨が降ったのならば、土砂降りでもない限り岩の下は濡れていないはずである。
そしてここだけ少し濡れている程度なので、土砂降りの線はあり得ない。
「ぐぬぬぅっ。う~ご~け~ぇっ」
ドレス姿で踏ん張っている公爵令嬢をもしギルバートが見たら、卒倒していたに違いない。
こめかみに浮かんだ青筋がプチンと音を立てて切れそうになった瞬間、奇跡的に岩が持ち上がって思いっきり尻餅をついた。
「うわっ」
華麗に身をよじってお腹の上に岩が落ちてくる惨劇を神回避すると、岩が置かれていた地面を覗き込んで、
にょき。
覗き込んだ瞬間、土の中から大きなミミズが顔を出した。
いや、ミミズにしては大きい。
三十センチは優にある。
それをひょいっとつまみ上げると、目線の高さまで持ち上げた。
多分これはアースワームという魔物だ。
見た目はミミズに似ているが、脱皮を繰り返して巨大化する。
記録上では十メートル級のアースワームも発見されている。
基本は土の中に生息し、あまり日の目には出てこない。
そしてアースワームの生息条件は意外とシビアだ。
栄養価のある腐葉土であり、適度な水気がなければいけない。
砂漠にいるようなイメージもあるが、そちらはサンドワームという別種である。
案の定、土に触れると湿っていた。
「ビンゴ!」
予想通りに地面が濡れていたことに歓喜しつつ、この世界で出くわした最初の魔物にちょっぴり感動して、ついまじまじと見つめた。
が、敵側に観察される気は毛頭ないらしく、円系の口をがぱっと開けて鼻先に噛みつかれる。
「痛っ」
ほぼミミズと言っても、やっぱり違う。
口には糸鋸のようなギザギザした歯が生えていた。
「なによもー。なんか機嫌悪くない?」
ぶつくさと文句を居ながら土に返してやろとしたとき、岩の隅っこに潰れているアースワームを見つけた。
どうやら仲間が死んで気が立っていたらしい。
「うっそ、殺しちゃった!? ごめん!!」
一応謝ってみたが、よく見れば死骸はだいぶ干からびている。
殺されたのは数日前だろう。
そこでわたしはあることを思いだした。
伯父さんから匂っていたぼろ雑巾のような匂い!
それがこの死骸からもわずかに漂っている。
「なるほど、あの匂いはアースワームの体液の匂いだったのね」
確かに袖口には緑色の染みができていたと妙に納得した。
そのとき……
突如頭上に影が落ちた。なんのけなしに仰ぎ見て、思わず青ざめる。
「…………カウ?」
影の主は頭上を優雅に飛んでいた。
真っ黒な体に三本足が生えた大型鳥類魔物、カウである。
本来のカウは中国の伝承に出てくるカラスなのだが、なぜだがこの中世ヨーロッパ風の世界にも当然のように居座っている。
生前はなんとも思わなかったが、なんというでたらめっぷりだろうか。
ぎろり、と獰猛なカウの瞳は、地面からにょきにょき顔を出しているアースワームと、その隣でぼけーっとした顔のわたしを捉えた。
まずい。
今日のドレス、黒色だ。
魔物といっても根幹のモデルはカラスである。
そしてカラスは黒色を見ると攻撃的になる習性があり、ゲームでも黒服を着た村人がカウに襲われて、それを討伐するクエストがあったはずだ。
バサバサバサ!
思考がぐるぐると巡る中、カウはどうやら薄桃色のアースワームではなく黒色のわたしを標的に捕らえたらしい。
羽を畳んで矢じりのように鋭くなると、一直線に急降下し始めた。
「ひゃあっ」
思わず叫んだとき
「屈んで!」
どこからか声が聞こえた。
無我夢中でその声に従うと、ヒュン! と頭上を風切り音が通り過ぎて、
ギィア!!
甲高い断末魔とともにぼとりとカウが地面に落ちた。
その体の真ん中には、サーベルが刺さっている。
状況が飲み込めずにカウをじっと見下ろしていると、背後から声が掛かった。
「ユフィ? どうしてお城に居るのですか?」
走ってきたのか、肩で息をしながら甘い声が問う。
ゆっくりと振り返れば金髪碧眼の天使――ジルベルトがいた。
「あ、ジルさま。ありがとうございます」
「え?」
「どうかしました?」
お尻に付いた泥を叩きながら立ちがあがる。
なんだかジルベルトは信じられない物を見るような目でわたしを見ていた。
そんなにお尻汚いかな?
黒いドレスだから目立たないと思うんだけど。
「いえ、なんでもありません。……それにしても、こんなところで何をしていたんですか?」
いいながら、今度は鼻先についている丸い歯形と、手でつまんでいるアースワームを見て眉目を寄せた。
やばい。
慌てて後ろ手に隠すが、時すでに遅し。
アースワームのような虫型魔物を平然とつまみ上げる公爵令嬢がどこの世界に居ようか。
でも、虫とか全然平気なんだもの。
しょうがないじゃないよ~。
「ええっと、これは……ジルさまの身の潔白を晴らそうと」
綺麗すぎる碧い瞳に見据えられて、隠し通せる気がしなかった。
諦めて正直に理由を告げると、眉根の皺が余計に深くなった。
あれ、やっぱり言うべきじゃなかった?
ジルベルトと同じくらい眉間に皺を寄せたとき、天使が慌てた様子で笑顔を取り繕った。
完璧な王子さまスマイルだが、さっき見た本心を思わせる顔がもはや脳裏から離れない。
「大変ありがたいですが、あなたの傷は紛れもなく僕の不始末ですよ」
「そんなことはありません!」
わたしが大声を上げると、貼り付けた王子さまスマイルが再び歪んだ。
でもちゃんと言っておかないと、婚約されてしまう~。
畳みかけるように濡れた地面を指差した。
「このぬかるみを見てください! 岩が置かれていた下の部分も濡れています! つまり、誰かが地面をぬかるませた後、わざと岩を置いたのです!」
途端に、ジルベルトの目が瞠られる。
顎先に手を当てて、しばらく考え込んだあと、小さく頷いた。
「なるほど。一理ありますね」
「ですよね!」
同意されたことにほっとして手放しに喜ぶ。
と、ぽーんとアースワームが綺麗な放物線を描いて吹っ飛んだ。
人間は動くものを目で追う習性がある。
宙を舞うミミズを見ながら振り返ったとき、それまで岩などの局所しか見ていなかったわたしの目に、庭園の全貌が飛び込んできた。
目の前にはぬかるんだ地面。
その横並びには、ぬかるみを挟むように二本の木が立っていた。
わたしは何かに吸い寄せられるように、そのうちの一本の木に駆け寄って――……。
「ユフィ!」
グン、と手を引かれて、たたらを踏んだ。また転ぶかと思った。
手を引かれた方向、つまりジルベルトの方をきりっと睨むと、びっくりしたような顔になる。
まさか王子を睨む公爵令嬢がいようとは思わなかったらしい。
ぱっと手を離すと、王子さまスマイルを浮かべ直した。
わたしに一歩近づいて、諭すように言う。
「あなたは病み上がりなんですから、お屋敷に帰りましょう。お送りしますよ」
「いや、でも謎が――」
「そんなものはありませんよ」
頑なに言い張るジルベルトに、とうとうわたしの堪忍袋の緒が切れた。
「あるったらあるんです! 現に泥の下は濡れているんですよ! これをどう説明するんですか!!」
「それは……」
「ジルさまがなんと言おうとも、わたしはこの謎を解いて見せます! ジルさまを必ずや、この悪意から救ってみせます!!」
ジルベルトが救われれば、わたしの死亡フラグはかき消える。
情けは人のためならず!
ここで引き下がるわけには行かないのだ!!
鼻息荒くまくし立てると、ジルベルトは数回瞼をぱちくりと上下させた。
ふっと息を呑んで何かを言いかけるが、結局きゅっと唇を引き結ぶとため息をついた。
「……仕方ありませんね。僕も手伝いましょう」
「手伝う? ジルさまが?」
「あなたをいち早くお屋敷に返すためには、手伝った方が早そうですからね」
諦めたように、頭を振ってジルベルトが吐き捨てた。
そんな顔を見ていたら、言葉がつい口をついて出た。
「探偵の助手……。ワトソン……? ワトソン王子……?」
「ワトソン? 誰ですそれは?」
もううわべだけの王子さまスマイルを浮かべる気力すらないのか、しっかりと眉根を寄せてジルベルトが聞いた。
わたしはしばらく黙った後、
「いや、悪くないわ。むしろ、いい」
ぶつぶつと呟いた。
そしてその手を引いて、一本の木へと駆け寄った。
「よろしい、ワトソンくん! ついてきたまえ!」
「……?」
生前から調子に乗る癖があったが、どうやら死んでも直らないらしい。
背後のジルベルトが今までで見た中で一番怪訝そうな顔をしているとも知らずに、意気揚々とその手を引いた。
並んだ木のうちの一本の前に立って、真上を見上げた。
横に大きく張り出した枝の付け根に、大きな鳥の巣を見つけたからだ。
大きさと状況からして、あの巣は恐らくカウのものである。
カラスは巣に近づいた人間を襲う習性がある。
だからたぶん、カウにも同じ習性があると思う。
「巣がキラキラ光ってる……」
わたしが巣を見つけたのは偶然ではなく、遠目に見ても目立つくらい、所々が光っていたからだ。
木の枝を編むようにして形作られているのに、太陽光を反射して枝には似つかわしくない光を放っている。
なんだか気になる。
もっとよく調べようとぴょんぴょん跳ねて、思いっきり手を伸ばす。
が、ちょっと飛んだくらいで八歳の子供の手が届くはずもなかった。
すかっと、わたしの指先が何もない空中に弧を描く。
「……」
「……」
二人して無言のまま、鳥の巣を見つめる。
数秒の沈黙があたりによぎる。
「……」
「……」
「……ねえ、ジルさま」
「嫌です」
「まだ何も言ってない!!」
びっくりして真横を向くと、言葉とは裏腹に天使のような笑みを浮かべているジルベルトがいる。
みんなこの笑顔に騙されるのだけれど、わたしは知っている。
この天使の中身は、紳士系ドSキャラだと。
天使の皮を被った悪魔なのだと。
「どうせ僕に足台になれというのでしょう?」
「……? まさかぁ。王子さまにそんなこと言うわけがないですよ~」
へらへらっと笑ってその発言を否定すると、ジルベルトは渋い顔になった。
「そうでしょうか? あなたの思考回路は全く読めませんが、嫌な予感だけはします。こういう予感はよく当たるんです、僕」
失礼な。
わたしは根っからの常識人だというのに。
「わたしは良識のある公爵令嬢ですよ。王子を足蹴にするわけなんてないじゃありませんか」
「では何を言おうとしていたんですか?」
「わたしが四つん這いになるので、その背中に乗ってあの巣を取ってくれませんか?」
「……はい?」
「あの巣が光っているのが気になるんです。きっとなんかあるに違いありません。なので、さあ!」
いそいそと四つん這いになろうとして、ジルベルトの顔を見る。
が、なんだか様子がおかしい。
目を見開いて酷く驚いた顔をしている。
あれ、聞こえなかったのかな?
「ほら、ジルさま。早くしないと仲間が戻ってきちゃうかも――」
四つん這いになって、せかすようにぴょんぴょんと跳ねる。
ジルベルトはそんなわたしにあわせて顔を上下させた後、俯いてしまった。
気分でも悪いのかと心配になって下から覗き込めば、ぶっ、と吹き出した後、ごほごほとむせ込んだ。
なんだ、痰が絡んでいただけか。よかった~。
「ユフィ……」
しばらく肩をぷるぷるとふるわせてむせ込んだ後、ジルさまが絞り出すように口を開いた。
あまりにむせるからお医者さんを呼びに行きかけたが、表情は天使の笑みに戻っている。一安心だ。
「王族は、女性を踏みつけません」
なんと!
それでは巣に手が届かないじゃないか!
……かくなる上は、とわたしはすくっと立ち上がった。
「ジルさま、少し下がっていてください!」
「なにを……」
「いいから!」
勢いに負けたようにジルさまが木から距離を取ったのを確認して、わたしも数歩下がった。
そして助走をつけると、木に跳び蹴りをお見舞いする。
「なっ……」
「一発じゃだめか。なら!」
わたしは二度、三度と跳び蹴りを繰り返す。
「何をやっているんですか!」
「こうするとカブトムシも落ちてくるんですよ。だから鳥の巣も落とせるかなって」
「カブトムシ? 落とす?」
カブトムシ知らないのかな?
伯父さまの悪巧みに巻き込んでしまったお詫びに、夏になったらカブトムシを取ってあげよう。
そうこうしているうちに、わたしの努力の甲斐もあって鳥の巣はだいぶ傾いた。
後もう少しで落とせそうだ。
「これで、とどめだ~!」
最後に渾身の力を込めて一発お見舞いすると、見事鳥の巣は地面へと落っこちた。
ガッツポーズをしながらそれに近寄って、逆さまになっている巣を拾い上げる。
持ち上げると、巣の中に保管されていた物も一緒になって落っこちていることに気づいた。
「なんか、ガラクタばっかり集めてたのねぇ」
そこにはピンの蓋や釘などのキラキラしているガラクタがたくさん落ちていた。
カラスもこういうものを集めると聞いたことがある。
やっぱり基本は同じらしい。
しばらく遠くから口をあんぐりと開けて見ていたジルベルトも、気を取り直すようにこめかみをぐりぐりと押さえながら近寄ってきた。
そしてガラクタを一緒に拾ってくれる。
「銀製のフォークに……これはカフスボタンですかね? 半分しかありませんけど」
ジルベルトの手の中には銅製でできた半円系のカフスボタンがある。
真っ二つに切られたように見えるが、その片割れはどこにも見当たらない。
……というより、断面があまりになめらかで、切ったという気がしない。
半分だけ綺麗さっぱり溶けてしまったようだった。
「カフスボタンに紋章が刻まれていますね」
「え?」
ジルベルトが表面の紋章がよく見えるように持ち直した。
そこであ! と声を上げる。
「これ、伯父さまの紋章だわ!」
ぶつ切りになってはいたが、それは紛れもなくガードナー家の紋章だった。
ということはもしかして、
「〈金属錬金〉で、カフスボタンの半分を何かに作り替えたのかしら……」
そこまで気づいて、わたしは手元にあった鶏の巣本体を見た。
キラキラ光っていたのは、どうやら木の枝の間を縫うようにテグスのような物が織り込まれていたからだった。
「あー! そういうことね!」
「うわっ、どうしました、ユフィ?」
びくん、とジルベルトが隣で跳びはねた。
でもジルベルトの声は一切耳に入らずに、わたしは小躍りが止まらない。
なんせ死亡フラグの回避が決定したのだ!
「あとはみんなの前で種明かしすれば――」
こうしちゃいられないと踵を返そうとしたとき、
「お嬢さま!」
遠くの方から大声が響いた。
恐る恐るそちらを向けば、鬼のような形相で走ってくるギルバートがいる。
げ、バレた!
わたしは思わずジルベルトの背後に隠れる。
するとさすがに王子の前だからか、ギルバートがピタリと止まった。
今がチャンスとばかりに畳みかける。
「勝手に抜け出してごめんなさい! でも謎が解けたのよ!」
「謎? 謎とは何です?」
「わたしに怪我を負わせた真犯人の謎!」
「真犯人?」
ギルバートが驚愕の眼差しでわたしと、その次にジルベルトを見た。
が、ジルベルトは両手を挙げてふるふると首を知った。
自分も全く分からないというように。
「と、とにかく! みんなを集めないと!」
こういう追求は関係者みんなの前で行うと相場が決まっている。
わたしが鼻息荒く宣言すると、逆にギルバートは悲しそうな顔をした。
「無理でございます」
ん?無理ってどういうこと?
わたしが大きく首をかしげると、ギルバートが言いづらそうに言葉を続けた。
「いくら公爵令嬢でも、八歳の少女の召集に集まる貴族はいません」
「うそ!? なら、お父さまに――」
「公爵閣下はユーフェミアさまを溺愛されていますが、恐らくそのお願いは聞いていただけないかと」
「なんで!?」
「貴族の方々を正式に集めるとなると、それはもはや家の問題になります。しかもその場で犯人とやらを追求すれば、どうしても政治的な色が強くなります。それはあらぬ噂や派閥争いを生むでしょう。公爵閣下は大変聡明な方なので、そのようなリスクを負うとは思えません」
「そんな……」
わたしは思わずがっくりと膝をついた。
では、せっかく犯人もトリックも分かったというのに、わたしはむざむざ処刑される未来を待たないといけないの――!?
開いた口が塞がらず、みるみるうちに目に涙がたまっていったとき、
「……仕方ないですね。僕の名前で集めましょう」
ジルベルトがため息交じりに吐き捨てた。
「ジルさま?」
「王子の僕が招集を掛ければ、みな逆らえません。それに僕なら子供の戯れと思ってもらえる。やるなら僕しかいないでしょう」
「ああ、神!」
「神?」
「さすがわたしの推し! 頼りになる!!」
嬉しさのあまり、ジルベルトの手を取って、今度は一緒に小躍りする。
舞踏会で貴族がやるようなものじゃなく、せっせせーのよいよいよいの動きに、ドタドタした地団駄が加わっただけのものだが。
そんなわたしを怪訝そうな顔をして見つめながら、
「推し……?」
ジルベルトがぼそりと呟いた。
またまた翌日。
急な招集にもかかわらず、前回お茶会に来ていた貴族のほとんどが庭園に顔を出した。
さすがはジルベルトである。
人望が厚いことももちろんだが、将来の国王としてかなり期待されているのだ。
ここで招集を突っぱねて、ジルベルトの機嫌を損ねたくない貴族が大半なのだろう。
わたしはあの鳥の巣があった木の前で仁王立ちして、ぐるりと周囲を見渡す。
みんな一様に、わたしと、その背後で頭を抱えてうなだれるジルベルトを見ていた。
自分が招集を掛けたくせに、今更になって後悔しているらしい。
何でだろう?
さっきまでは王子さまスマイルを浮かべていたんだけれど。
わたしが第一声に「この中にジルさまをはめた犯人がいます!」と言ったあたりから、ジルさまの顔色が悪かった。
ちなみにギルバートはさっき気絶した。
何でだろう?
「えーと、ユーフェミアさま? 犯人とはどういうことでしょう?」
アーチボルト子爵が遠慮がちに声をかけてきた。
本編では名前だけ出てきたモブ中のモブである。
こんな感じでときおり口を挟むキャラだった。
その設定は今も健在らしい。
「わたしに怪我を負わせた上に、その罪をジルベルトさまに被せた犯人のことです!」
わたしが包帯を指差しながらいうと、途端にざわめきが起こった。
いいぞ、その調子だ。
「そんな犯人だなんて……。その怪我は、恐れながらジルベルト王子がユーフェミアを押し倒した事によるものだ。皆が見ておりますよ」
そういったのはラルフ・ガードナー。
私の伯父さまであり、真犯人である。
ふふふ、かかったな!
わたしは口の端に薄ら笑いを浮かべると、びしっと伯父さまを指差した。
「いいえ! 真犯人はあなたです、ラルフ・ガードナー!!」
「なあっ!?」
わざとらしく数歩身じろいだあと、伯父さまが切羽詰まったような声を上げた。
その犯人らしい動きがまさに、わたしの初攻撃がクリーンヒットしたことを物語っていた。
ビシッと決まった~。
気持ちいい~。
一度言ってみたかったのよね~。
「何を馬鹿なことを言うんだ! 悪ふざけも大概に――」
「証拠はあります!」
大声できっぱりと言い切ると、ざわめきがピタリとやんだ。
わたしは背後に控えていたジルベルトを振り返る。
ジルベルトは初めこめかみを押さえていたが、わたしの視線に気づくと小さく頷いた。
いけ、という合図である。
どういうわけだか、ジルベルトさまはわたしを信用してくれたらしい。
その気持ちに応えるために――そして自らの死亡フラグをへし折るために、わたしは声を張り上げた。
「このカフスボタンは、この木の上に作られていたカウの巣の中から見つかりました。半分しかありませんが、この紋章はガードナー家のものです」
某将軍の紋所のようにカフスボタンを掲げると、ばっと伯父さまが右手の袖を押さえた。
だが、わたしはちゃんと確認してある。
その袖にカフスボタンがついていないことを!
ガードナー家は伯爵家であるが、実は家計が火の車である。
だからこそ裏で政治を掌握しようと必死なのだ。
よってよそ行きの服は一着しかない上に、カフスボタンを新しく作り直す余裕はない。
ボタンなんて、なくても生きていけるからね。
「園遊会の時、この木の木の下でカウに奪われましたね?」
「……もしそうだとしても、だからといってわたしが愛するユーフェミアを傷つけた証拠にはならないだろう」
あくまで強気な伯父さまが憎たらしい。
利用しようとしていただけの癖して、よくもそんな口がきけたものだ。
第一、伯父さまはわたしの機嫌を取るための贈り物を、我が家の貴金属を使って生成していた。
我が家の銀の匙から猫の置物を作ったように。
結局自分の懐を一切痛めていないのだ。
けちんぼめ。
「このカフスボタンは半分しかありません。しかもその断面は表面が溶けたようになめらかです。これは伯父さまのスキルである〈金属錬金〉を使った証しです」
「確かに、使ったかもしれん。だからといって――」
「そしてこのカフスボタンから作ったのは、この巣に絡まっている銅製の糸です」
伯父さまが言い終えるより先にわたしは背後を指し示した。
す、とジルベルトさまが後ろ手に隠していたカウの巣を掲げる。
絡まった銅製の糸に太陽光が反射して、キラキラと輝いていた。
「伯父さまはこの糸をそこの二本の木の間に結び、事前に地面をぬかるませておいた。そしてわたしにこの先にある薔薇園へジルベルトさまと行くように助言していた」
「……!」
「あとはわたしが勝手に転び、頭を打ち付ける。糸はすぐさまスキルを使って切断すれば、王子が通るときには足下を遮りません。ジルベルトさまは側に居ながら怪我を防げなかったことに責任を感じ、わたしに婚約を申し込む……」
「だがそれは状況証拠に過ぎん! 確かに、これだけ証拠がそろえばジルベルト殿下が誰かにはめられたことは事実だろう。だからといって、わたしが犯人だと確定したわけではない! カフスボタンは一週間前に別件でスキルを使ったときに欠けたんだ。それを誰かに盗まれた! わたしも殿下同様、罪をなすりつけられそうになっている被害者だ!」
おお、よく喋るな。
犯人は饒舌になるとよく言うが本当らしい。
わたしはなんだか本当に名探偵になった気がしてきて、いつもの悪い癖が出た。
調子に乗り始めたのだ。
「ふふふ、まさか証拠がこれだけだとお思いですか?」
「なんだと!?」
眼鏡を掛けても居ないのに、鼻当てをくいっと押し下げるような仕草をした後、
ビシィッ!
指先を伯父さまの袖口目がけて突き出した。
「その袖についたとっても臭い緑色の汁はアースワームの体液です! そしてそのアースワームはわたしが転んだ岩の下で死んでいました! その体液が死骸に含まれる物と同一であるかは、アナライズスキルで簡単に判明しますよ。ね、ギル?」
「なん――」
伯父さまが慌てて袖を隠したがもう遅い。
ぱっとギルバートがその袖を掴んで「アナライズ」と呟いた。
続けざまに、岩へと歩み寄ると死骸に向けて同様にスキルを発動させる。
スキル〈アナライズ〉はギルバートが十五歳で享受したスキルだ。
本来隠されているステータス情報を視覚化することができる。
そしてステータス情報は指紋のような物で、基本的には全く同じになることはない。
スライムのように同一個体から分裂でもしない限り。
ギルバートが両手を広げて振り返った。
ブゥン、という音と共に、掲げた両手の先に半透明なスクリーンが浮かんでいる。
そこには魔物のステータス情報が記されていた。
観衆がそれをしげしげと眺める。
言わずもがな、二つのスクリーンに表示された個体値は寸分違わず同じものだった。
「な、なら動機は何だと言うんだね!? 可愛いユーフェミアに怪我を負わせるメリットがわたしにはない!!」
袖の染みについては言い逃れができないと悟った伯父さまが、うわずった声で叫んだ。
周囲の人々は、わたしと伯父さまを見比べて、どうしたものかと様子を窺っている。
「僭越ながら――」
沈黙を破ったのはギルバートの冷静な声だった。
シュン、とスクリーンを閉じると言葉を続ける。
「ユーフェミアお嬢さまの話を受けて、当家に用意されているラルフさまの居室を調べさせていただきました」
「貴様、何を勝手に!!」
ギルバートに詰め寄ろうとした伯父さまの間に、わたしは体をねじ込んだ。
頑張ってくれているギルバートに怪我をさせるわけにはいかない。
伯父さまは一応わたしを溺愛していることになっているので、振り上げた拳をぴたりと止めた。
「ラルフさまの執務机の引き出しから、今回のことを計画したと思われるメモが見つかりました。また、ユーフェミアさまを婚約者に仕立て上げ、将来的には大甥である次期国王を影で操ろうとしている計画書も見つかりました」
ぺらり、とギルバートが懐から数枚の紙を取りだした。
そこには伯父さまの癖のある字で、なにやら雲行きの怪しい計画が記されている。
聴衆がはっと息を呑んだのが聞こえた。
「な、そんなもの――」
言い逃れようと周囲を見回して、伯父さまは息を呑んだ。
観衆が伯父さまに向ける目が、完全に犯人に向けられる物だったからだ。
すかさず、わたしは宣言した。
「全ての可能性を排除して……最後に残ったものがどれだけへんてこりんだったとしても! それが真実なのです!!」
わたしは感動のあまり、自分の口から出た台詞に思わず打ち震えた。
名探偵の名台詞。
いつか絶対に言おうと思って、生前に丸暗記したものだ。
当時は言う機会なんかなかったから、ちょっとうろ覚えだけど。
こんなこともあろうかと、覚えておいて良かった~。
隣でジルベルトが「他の可能性を検証してましたっけ?」と余計なことを言ったけど無視することにした。
だって答え知ってるんだもの。
検証する必要ないし。
そもそも推理力なんてないから、検証したくてもできないのよね。
「わ、わた……しは――」
わたしの決め台詞を前に、二歩、三歩と伯父さまがたじろぐ。
口をパクパクと数回上下させて――
刹那、ぎりっとわたしを睨みつけると、左袖のカフスボタンに触れた。
眩い光と共に、カフスボタンが鋭利なナイフの形へと変わる。
そして、わたしに向かってそれを振り下ろした。
「お前のせいで――」
「ひゃっ……」
思わず目をつぶったわたしの体がぐいっと抱き寄せられた。
キィン!
頭上では、金属同士がぶつかるような甲高い音が響く。
恐る恐る目を開ければ、わたしの顔のすぐ横に金髪碧眼の顔があり、彼の手には抜き身のサーベルが握られていた。
伯父が振り下ろしたナイフを弾き飛ばしたようだ。
すぐさま衛兵が飛んできて、伯父を押さえつけた。
状況に頭がついていかず、わたしを抱きかかえるジルベルトの顔を呆然と見上げた。
伯父さまを睨むその顔には、今まで見たこともないようなぞっとする殺気が浮かんでいる。
が、わたしの視線に気づくと、すぐさま天使の顔に戻ってにっこりと微笑んだ。
以前のわたしならこの笑顔にほだされて、スクリーンショットを取りまくっていたことだろう。
だが紳士系ドSキャラだと知っていて、なおかつあんな殺気じみた顔を見た後では、悪魔の微笑にしか見えない。
怖い~。
そんなわたしを尻目にサーベルを鞘へと戻すと、ジルベルトは笑顔を崩さずに告げた。
「連れて行ってください」
「待ってください! わたしは――」
今更言い訳が通ると思っているのだろうか。
ジタバタと暴れる伯父さまを屈強な衛兵たちが押さえ込むと、そのまま庭園の遙か向こうへと連れて行かれてしまった。
数日後、王室の詳細な調査で伯父さまの仄暗い計画は全て明るみになった。
わたしの怪我に関しても、伯父さまが画策したことが証明され、見事ジルベルトの身の潔白は証明された。
「よかったですね、ジルさま!」
わたしは部屋で紅茶をすすりながら、向かいに座るジルベルトに声をかけた。
答えるように、ジルベルトもにっこりと微笑んだ。
「ええ。……傷はまだ痛みますか?」
ギルバートに差し出されたスコーンを口いっぱいに頬張ったところで質問をされて、わたしは思わずむせ込んだ。
「ふぐっ。もふひはくありまひぇんもう痛くありません」
ギルバートが心配性なのでまだ包帯は巻いていたが、もう痛みは完全になくなっていた。
鼻先にできたアースワームも歯形にも一応絆創膏を貼っているが、こっちも全く痛くない。
口の中の物を紅茶で無理矢理流し込むと、わたしは満面の笑みを向ける。
「これでジルさまの濡れ衣もはらせましたし、婚約はしなくて済みましたね! 本当に良かった!!」
わたしの素晴らしい活躍のおかげで、婚約からの処刑ルートは回避されたのだ。
これからは心を入れ替えた立派な公爵令嬢として、脇役に徹しよう。
そうだ、ヒロインとの恋仲をサポートするキューピットになろう。
もはや推しの幸せを願う母親のような気持ちでにこにこと紅茶をすすると、ジルベルトがその笑みをさらに深くして瞳を伏せた。
無言のまま、紅茶の揺れる液面を眺めている。
どうしたんだろう。渋すぎたのかしら。
「そのことなんですが――」
新しい紅茶を用意ししてもらおうとギルバートを振り返ったとき、ジルベルトがぽつりと呟いた。
「どうかしました? お腹でも痛いんですか?」
一瞬、ジルベルトが眉をひそめたような気がしたが、瞬きをひとつした間に天使の微笑に戻っていた。
気のせいらしい。
ジルベルトはわたしの言葉を全く無視するように先を続けた。
「婚約は取り消しません」
「……は!?」
がちゃん、と持っていたティーカップをソーサーに打ち付ける。
だがジルベルトは全くお構いなしにニコニコと近寄ってくると、わたしの手からティーカップを奪い取った。
あまりに自然な動作に、わたしは抵抗もできない。
流れるように奪い取った戦利品をテーブルの上に置くと、わたしの手を取って跪いた。
柔らかい唇が、わたしの手の甲に触れる。
「僕の婚約者になってください、ユーフェミア」
「いや、それはちょっと――」
手を振りほどこうとするが、なんだかものすごく力が強い。
目の前のジルベルトは笑顔なのだが、どこかこめかみに青筋が浮いているようにも感じる。
怖い。
「言っておきますが、これはお願いではありませんよ」
「それはどういう……?」
「王子命令です」
一切崩れない天使の微笑が、その瞬間悪魔の微笑みにしか思えなくなった。
「う、うそでしょ~!?」
わたしの絶叫は屋敷中に響き渡った。
結果、屋敷中の人間――使用人から両親に至るまでが部屋に押しかけ、その場でもう一度ジルベルトが婚約を表明して、全員から祝福される始末となった。
顔を引きつらせているのは、わたしと(何故だか分からないけれど)ギルバートだけだった。
***
僕の名前はジルベルト・フォン・ローゼンハーツ。
三歳年上の兄がいて、ローゼンハーツ王国の王位継承権を持つ。
正直な話、兄は君主とするには優しすぎるところがあり、第二王子という立場ながら王位継承を期待されている。
僕には双子の弟も居たが、とある理由によって廃嫡され、じきに公爵家の養子になることが決まっていた。
よって現在王位継承権があるのは僕と兄の二人きりなので、僕がしっかりしなければと自らを鼓舞した。
よその国の王はどうだか知らないが、薔薇心王国と呼ばれる我が国の王は誰よりも強くなければならない。
それは建国者が魔王を倒して勇者であること、また王は復活した魔王討伐の第一の責任を負うが故だ。
なんでも完璧を求められてきた。
だからその期待に応えた。
他人に厳しく。
自分にはもっと厳しく。
でもそれはおくびにも出さない。
王子たる者、常に余裕しゃくしゃくで笑顔を浮かべているのが勤めだと小さい頃から叩き込まれた。
その甲斐あって、勉強も剣術も誰かに負けることはなかった。
いつも笑顔で、完成形だけを他人の前にさらした。
結果、誰もが僕のことを天才と呼んだ。
なにせ、僕に立ち止まっている暇はなかったのだ。
貴族連中は自分たちだってスキルを享受していて、魔王を倒す役割を付与されているはずなのに、口々に僕に言うのだから。
『ジルベルトさまと同じ時代に生まれて良かったですわ』
『勇者のお役目はジルベルト様こそふさわしい』
『必ずや魔王を倒して、哀れな我々を救ってくださいね』
僕に負ける道は用意されていない。
全国民を守ることが、僕の”当然”だった。
そして、僕の邪魔をしてはいけないからと誰も近寄らなくなった。
別に構わなかった。
自分より劣る人間が何人周りに居ようと、足手まといなだけだから。
そんな僕の人生で最初の汚点が、兄が開催した園遊会での出来事だ。
小バエのように纏わりついて五月蠅いグランツハイム家の令嬢を上手くあしらっていたつもりだったのだが、気づいたときには血の海の中で倒れていた。
終わった、と正直に思った。
この僕が、王位継承権のある人間の中で唯一王としての素養があるこの僕が、公爵令嬢に怪我を負わせたのだ。
しかもかなかか目が覚めない。
一瞬死んでしまったのではないかと青ざめた。
だが数秒してむくりと起き上がった彼女は、なんだか酷く怯えているようだった。
それまでの高飛車で傲慢そうな雰囲気が一転していたのだ。
そしてしばらく切羽詰まった様子でお付きの人間と話していたかと思うと、再び気を失ってしまった。
押し倒してしまった手前、僕はその傷の責任を取らなければならなかった。
「強く正しくあらねばならない勇者の末裔として、誠意を持って対応しろ」
国王陛下――つまり父が僕を呼びつけて、わざわざそう言ったのだ。
だが、言われなくてもそうするつもりだった。
女性に怪我を負わせた上に責任逃れなんてした暁には、社交界から爪弾きにされる。
それにそんな無責任な人間が王位を継いだとしても誰もついてこないだろう。
魔王が復活した際に、同じように責任逃れされては敵わない。
だから、意識を取り戻したユーフェミア・グランツハイムのもとに婚約を申し込みに行ったのだが、予想の斜め上の回答をされた。
「いえいえいえ! この傷お気に入りなんです! ありがとうございます!!」
お気に入り……?
ありがとうございます……?
きっと頭を打ち付けて、気が触れてしまったのだと思った。
全く話が通じないのだ。
こんな異種族のような人間を妻にしなければならないのかとげんなりしていると、今度は傷跡を見せようと包帯に手に掛けた。
意味が分からない。
傷物になってしまった自分を、わざと見せびらかす女性がどこに居るというのだ。
さっさと婚約の約束を取り付けて帰ろう。
そう思って跪けば、僕の手を振り払って指を差しながら言った。
「ジルさま! あなたは騙されています! このハゲをこしらえたのはあなたではありません! わたしが必ずや真犯人を捕まえて、ジルさまの潔白を証明して見せましょう!!」
その後に浮かべた笑みは今も脳裏に焼き付いて離れない。
悪魔の子かと思うほどに邪悪な笑みだったのだ。
***
結局その日は、お付きのギルバートが「お嬢さまは意識が戻ったばかりで錯乱されています。後日改めてご連絡致します」と申し訳なさそうに言うので引き上げることにした。
もしかしたら、数日後にはまともなご令嬢に戻っているかも知れないという淡い期待もあった。
だが、そんな期待は見事裏切られた。
剣の修行でもしようと庭園に出てみれば、件の令嬢がお付きのものもつけずに立っていた。
よく見ればそこは自分が怪我をした岩の前だった。
しばらく見ていると、ドレス姿のまま岩を持ち上げて尻餅をついた。
そして何かをひょいっとつまみ上げると、神妙な面持ちで土をいじっている。
(まさか本当に真犯人とやらを探しているのか……?)
勝手にしろ、と思って踵を返そうとした瞬間、視界の隅に黒い者が横切った。
つられて振り返れば、成体のカウがユーフェミアの上を飛んでいた。
そこで気づく。
ユーフェミアは黒色のドレスを着ている。
見る見るとカウの瞳孔が鋭くなり、臨戦態勢になった。
が、ユーフェミアは呆然と立ち尽くしている。
刹那、カウが鋭いくちばしを突き立てんとして急降下を開始した。
まずい。
王宮の庭で公爵令嬢が魔物にやられるなんてあってはならない。
僕は慌ててサーベルを抜き去ると真っ直ぐにカウへと投じた。
狙いは見事に定まり、醜い断末魔をあげてカウが落下する。
サーベルを回収するついでにユーフェミアの無事を確認しよう……そしてこの厄介ごとばかり持ち込む令嬢をさっさと追い返そう。
僕が内心に浮かんだ利己的な考えを笑顔で隠すと、ユーフェミアに声をかけた。
そこでようやく僕の方を見た彼女は、屈託のない笑顔を浮かべて「ありがとうございます」と言った。
思わず、目を瞠った。
ユーフェミアの前評判として、こんな言葉を聞いていたからだ。
――国王陛下ですら下僕として勘違いしているユーフェミア・グランツハイムには絶対に言わない言葉がある。”ありがとう”と”ごめんなさい”だ。
そして、その次に告げられた言葉にさらなる衝撃が走った。
「ジルさまを必ずや、この悪意から救ってみせます!!」
救う?
僕を?
救われるのではなくて?
途端に、この少女に興味がわいた。
我ながら単純だとも思う。
でもつい、側で観察してみたくなった。
周囲と真逆のことを”当然”のようにいう、この規格外の少女に。
観察した彼女は、一言で言って面白かった。
ユーフェミアは僕が予想できないことを次々とするのだ。
四つん這いになってみたり、木に跳び蹴りを食らわせてみたり。
スカートの裾からドロワーズが見えたときには一瞬ドキッとしたが、その淑女らしからぬ行動のせいで終いには笑ってしまった。
そして犯人を追い詰めるときの彼女は、とても生き生きとしていた。
口の端をつり上げて、およそ令嬢とは言えない顔をして詰め寄っていく。
「この中にジルさまをはめた犯人がいます!」
さすがにこの台詞には肝を冷やしたが、僕はこの少女を信じてみることにした。
大博打である。
……結果として、僕はこの勝負に勝利した。
きてれつ極まりないユーフェミア・グランツハイムが、その奇策で王国を救ったのだ。
主犯のラルフ・ガードナーは思ったよりも国の中枢に入り込み、横領や横流し、機密情報の流布などやりたい放題だった。
このまま放置されていたら、将来的に国が滅んでいたかも知れない。
この時初めて、僕は他人に救われた。
そんな中、ラルフ・ガードナーはあろうことか彼女に刃を向けた。
その行為に何故だか無性に腹が立ってしまい、柄にもなく殺意を覚える。
……が、いつも強気なユーフェミアが本気で怯えた顔で僕のことを見ていたので、これからは動じない精神力も鍛える必要がありそうだ。
しかし、僕の精神力はまだ貧弱なので、彼女が僕に言った、
「これでジルさまの濡れ衣もはらせましたし、婚約はしなくて済みましたね! 本当に良かった!!」
という台詞は見過ごせない。
心が狭いとか、王としての度量が足りないとか、天邪鬼とか……彼女にばれてしまったら色々と言われるかも知れないが、婚約解消を本気で喜ぶ姿にむかっときたので、絶対に手離してやるものかと心に決めた。
困って、ひん曲がった彼女の顔を思い出す。
当分――もしかしたら一生、この顔を思い出して笑っていられるかも知れない。
最初のコメントを投稿しよう!