19人が本棚に入れています
本棚に追加
断罪後の悪役令嬢、エルフと怠惰に暮らす
朝、目が覚めたら、金色の長髪がキラキラ光を弾いているエルフが隣で寝ていた。
またか…とすでにあきらめの気分で起きる。
今日の姿は、10歳くらいの子供なのでまだ我慢できる。
成人男性の時は、さすがに蹴りを入れて落とした。
ちなみに成人女性だった時もある(落とした)。
どこまで許容範囲なのか探られている気もする。
まぁいいけど。
私は、このエルフにメイドとして雇われている。
仕事は、洗濯物を干して取り込むだけの仕事だ。
家には魔法がかかっていて、常に『一日前の状態』に戻るようになっているので、掃除の必要はなかった。
食器も同様で、使った後洗わなくても、次の日にはキレイな状態に戻っている。
陶器の皿を落として割った時は、危ないので部屋の隅にまとめたが、それも翌日には無くなって元の棚に戻っている。
エルフの服や、メイド服も、この家の備品なので、洗濯の必要はない。
下着もそうなのだが、気持ちの問題で洗濯を始め、ついでにシーツも洗って干したら、お日様の匂いがして気持ちよくなってしまい、続けている内にそれが仕事になってしまった。
(魔法はシーツ、枕カバーのみ解いてもらった)
この家には、自分以外には主のエルフが一人いるだけだが、相談窓口が鏡の中にアリ、たまにお伺いを立てている。
ただし鏡に映るのは結局自分で、自分に相談しているようで不気味だが、そういう仕様なので仕方ないと思っている。
居候の身の上なのだ。
相談相手に、自分の顔以外の人(外)が欲しい等と、贅沢は言えない。
私は、オディール・シュッテンバルト。元、公爵令嬢だ。
半年前の貴族学園の卒業パーティで、婚約者の王太子殿下に婚約を破棄された。
その時、殿下の隣には、私の双子の妹、オデットがしおらしくたたずんでいた。
何でも、私はその妹のフリをして、いろいろ『悪い事』をしていたらしい。
私にその記憶はないので、『悪い事』をしていたのは、フリでも何でもなく、ただのオデットだろう。
一応、そう主張してみたが、王太子に『オデットがそんなことをするなんてありえない!』と一蹴されてしまった。
いったい何をやったのか、聞いてみたが教えてもらえなかった。
自分の知っているオデットなら、大抵どんなことでもやる。
私と違って、妹は努力家なのだ。
その方向性はどうあれ。
根気よく証拠を集めれば、冤罪を晴らすこともできるだろうが、めんどくさくなってしまった。
王妃教育に礼儀作法、堅苦しくめんどくさい、貴族社会に飽き飽きしていたのもある。
私は婚約破棄をさっさと受け入れ、場が混乱している内にその場を立ち去った。
怪訝な顔をした御者に『用事ができた。オデットは後で迎えに行ってあげて』と伝え、馬車を出させた。
屋敷に戻ると、急な帰りに驚く執事その他を、適当な理由で宥め、急いで旅支度を整えた。
クローゼットを開くと、旅行鞄には最低限の用意がある。
私は笑ってしまった。
何のことはない、追い出される以前に自分も、『王太子の婚約者』から逃げ出す気満々だったのだ。
お父様とお母様は、急な用事で、馬車で往復三日はかかる公爵家の領地にいる。
だからこそオデットも、心置きなく王子を焚きつけたんだろうし、私にとっても今がチャンスなのは間違いない。
(もしかすると『領地の用事』も、オデットが何かしたのかもね…)
可能性は高いと思った。
彼女は努力家なのだ。
だが、私は怠惰だ。
できれば日がな一日、ゴロゴロしていたい。
王妃なんかになったら、過労死するだろう。
そう『過労死』――実に、私の前世の死因である。
コレを思い出したのは、6つの時だ。
オデットのやったいたずらを、また私のせいにされて、
『名前からして、私が悪役だからいけないんだ!』
と憤慨したのが切っ掛けである。
オデットとオディールでは、圧倒的にオディールが悪役なのは、前世の童話の触れ込みだが、幸か不幸か、この世界に『白鳥の湖』はなかった。
(…え、今の何で? いや、そう、『白鳥の湖』だよ…って、え、『白鳥の湖』ってなに…?)
私はここを足掛かりに、徐々に前世の記憶を取り戻した。
そうは言っても、記憶を取り戻したところで、専門知識等ないタダの派遣事務員だった自分。
PCのない世界で何ができるだろう。
ついでに、それだけだと奨学金が返せないので、夜はコンビニのバイトをしていた。
(賞味期限が切れたお弁当が主食で、カロリー高めのパンばっか食べてたなぁ…)
それで生き抜ける人もいるだろうが、自分はダメだったらしい。
少し歩くと息が切れるようになって、毎晩気絶するように眠るようになって、3時間くらいで起きて…起きれなくなったのだろう。
悲惨だなーと思うが、好きなように生きたので、後悔はしてない。
両親と出来の良い姉がいたが、姉の学費は全額親が出して、私には大学なんて行かずに働けと言われた思い出しか残らなかった。
振り返ればドス黒い想いが幾らも湧きだすが、これも姉に『親の介護』をさせることが出来るという暗い喜びでノーカウントになった。
そんな根の暗い事を考えていたのが、良くなかったのかもしれない(考えることくらい好きにさせろと思うが)。
私は王太子の婚約者になってしまった。
前世のアレコレを思い出し、今回はせいぜい怠惰に暮らしてやると思っていた私に大打撃である。
王太子殿下と歳の合う令嬢のいる、一番上の貴族が残念ながらウチだったのだ。
だがそれならば、オデットでもいい筈である。
「王太子殿下の婚約者は、オデットにしてくださいませ!」
と、今世の親に、何度も掛け合ったが無駄だった。
それというのも、オデットが散々自分のいたずらを私のせいにしていたのが、親にバレていたのだ。
屋敷内でも、オデットはすでに『息を吸うように嘘をつくお嬢様』として共通認識されていて、執事長にまで、『この国と公爵家の為に、オディール様が王家に嫁いでください』と拝み倒されてしまった。
貴族らしく放任主義の両親はともかく、色々お世話になった執事長、メイド長の願いは無碍に出来ず、仕方なく王宮に通う事になったが、王太子は可愛くなかった。
顔だけは良かったが、性格が既にアレだった。
「家柄と顔でお前を妃にしてやる、感謝しろよ!」
9歳でこんな事を言うような相手は、王太子だろうが平民だろうがいただけない。
「それは、こちらの台詞です」
と言い返すと、王子の後ろにいた侍従たちは顔を青ざめさせたが、当の王太子は何を勘違いしたのか
「いい心がけだな!」
と上機嫌で去って行った。
訳が分からなかったが、私の後ろにいた公爵家の侍女が、
「もしかしたら、『こちらから殿下に感謝していると言おうとしていた』とお取りになったのでは…」
と、難しそうな顔をした。
「……もしかして、バカなの?」
思わず口から出た言葉を、否定できる人間はその場にいなかった。
その後も何度か顔を合わせたが、認識がいい方向へ変わる事はなかった。
性格が悪くても頭が良ければ、王様は出来るかもしれないが、『性格悪くて頭も悪い』では、国の将来が危うい――お手打ち覚悟で、包み隠さず王妃に訴えると、口をつぐんで王妃教育を受けることを条件に、王子の再教育を約束してくれた。
やはり、母親として、王妃として、危機感があったらしい。
おかげで貴族学園に入る頃には、王太子も、まぁまぁマシになっていたのだが、ここでしゃしゃり出て来たのがオデットである。
オデットは、正確に自らのニーズを嗅ぎ取ると、こまめに王太子(並びにその側近)の攻略を始めた。
婚約者と顔は同じだが、めっちゃくちゃ自分に甘い女――王太子はあっという間にオデットに溺れ、今までの家庭教師と王妃とオディールの努力を、すべてパーにしてくれたのだ。
オディールも一応手を回したが、オデットの負の努力には勝てない。
積み上げるには時間と手間がかかるが、崩すのは一瞬で済むのだ。
早々に攻防を放棄したオディールを、王妃は責めなかった。
今までオディールの苦労を見て来たし、それより何より、今は王太子の下に第二王子が生まれていたのだ。
「…さすがにユーリーとは無理よね」
王妃様の仰せに、私は無言で首を振った。ユーリー第二王子殿下は御年7歳である。
「早々に、ご令嬢方の選定を始められた方が良いかと」
王妃は、やるせない息を吐いた。
また一から王妃教育のやり直しである、ため息も深くなるだろう。
同情はするが、下手に言質を取られてはたまらない。
このまま王太子の目が覚めなければ、卒業を待って王位継承権をはく奪。
一代男爵として、シュッテンバルト家が持つ領地に追放。
オデットは、戒律の厳しい隣国の修道院へ終生預かりとすることが、王家とシュッテンバルト家の間で暗黙の了解になった。
「…なのに、また罪を着せられるなんてね」
憤りより、もはや投げた気分になってしまっても無理はない。
オデットの虚言は、シュッテンバルト家では周知の事実だが、所詮公爵家の醜聞だ。外には洩らせない。
それが徒あだになったらしい。
貴族学園は生徒の『自主自律』を掲げた建前上、王家や貴族の保護者は直接関与しないことになっている。
だから卒業パーティにも、王や王妃や父兄はいなかった。
オデットなら、今夜の出来事が王や王妃の耳に入る前に、私をどこかへやってしまいたい筈だ。
執事長には手早く、『オデットに命を狙われている』と話し、両親と合流すると告げた。
一瞬顔をしかめたが、執事長は疑うことなく馬車の手配をしてくれた。
急いでいるからと、侍女も遠慮してもらった。
途中で襲われることを考え、御者は腕利きの騎士だ。
ただし、私は領地へと走る馬車から密かに降りた。
僅かばかりの魔力を駆使して、体を浮かしかしてふわりと飛んだのだ。
軽くなった馬車は、一層スピードを上げて去っていく。
あれなら、しばらく追いつけまい。
私はトランク一つ持って立ち上がった。
それなりに荷物は重かったが、気分はめっちゃ軽い。
「自由だ…!」
こぶしを震わせて、思わず口に出してしまったくらいだ。
オデットの好きにさせるのも業腹だが、この解放感となら引き換えにして良かった。
手にした地図と、コンパスで大体の位置は分かっていた。
オデットを放り込む筈だった修道院とは、逆の位置にある隣国との間には森があった。
大昔は精霊が棲んでいたと言われるその場所には、神殿跡のような石の遺跡がある。
城の蔵書室(此処コレがなければ『王妃教育』は、もっと早く投げていただろう)の、書籍によって得た知識だったが、それはすぐに見つかった。
「おぉ…」
感動だった。
前世では大学で博物館学を取っていた。
学芸員の資格も取った。
だけど就職先はなかった。
どこもかしこも人員削減と、民間への業務委託で、専門職、しかも新卒の入る余地はなかった。
白い石の柱を撫でながら、このままこの遺跡を調べて暮らしたい…と妄想したが、それが夢物語であるのは分かっている。
この国は、とうに滅びた文明に興味はない。
「子爵や男爵の、三男あたりに生まれていればなぁ…」
具体的に浮かぶのは、貴族学園の教師たちだ。
彼らは10年間学園に勤めれば、以降専門の勉強をすることが許され、またその為の資金も援助される。
王太子の婚約者に選ばれるような家の、しかも長女であるオディールには縁のない話だった。
魔力でも高ければ、また別なのかもしれないが。
オディールには、貴族として平均的な魔力しかなかった。
知らず流れていた涙を拭って、遺跡の中で今日の野宿場所を決め、冒険者が使う簡易結界の石を置いた。長くは持たないが、これで害意のある生き物は入って来れない。
日持ちのするクッキーを齧りながら、革袋に入れた水を飲む。
大体、5日間暮らせるだけの携帯食糧を持ってきた。
この辺の川は山から流れてきている天然のミネラルウォーターなので、水は現地調達だ。
食事を終えると、持ってきたマントで体を包み込んだ。
学園の入学は9月で、卒業は6月終わりだ。
(このマント、特殊な効果があって汚れが付きにくく、軽くて保温効果があるのよね)
冒険者が苦労して手に入れる物を、普通に買ってもらい美しい色に加工できるのは、公爵令嬢特典だ。
でも暖かい季節で良かった。
明日半日をこの遺跡で過ごした後は、隣国へ逃げる予定だった。
次の朝は、なんだか眩しくて目が覚めた。
(朝日の入らない方向を選んだと思ったんだけど…)
思い返しながら目をこすって起きると、キラキラの光源は空でなく隣にあった。
光の束のような髪を持つ『何か』が、隣に寝ていたのだ。
「………え、ええええええええーーーー!!!」
声を上げながら、座ったまま後ずさる。
そのまま息をつめて見つめていると、髪の束が揺れた。
むくりっと『何か』は半身を起こして、こちらを見た。
「ヒ…!」
「おはよー…」
挨拶は普通だったが、現れた場所は普通じゃない。
ちなみに声は男性の物だった。
「あ、あなた、何? 何でここにいるの…?」
「なんで…? ん…ここはたまに来るんだ。気持ちいいから…」
遺跡のことを言ってるのだろうか。
「い、いえ、遺跡でなく、何で、私の横にいたの…?」
「あぁ…気持ちよさそうだったから」
怒声を上げそうになった私は、だるそうにかき上げられた髪から、現れた顔を見て、開いた口がふさがらなくなった。
見たことのない透き通るような水色の瞳が、男女の美しさを超越した端正な顔にはまっていた。
そして耳が…少し長くてとんがっていた…
「…あなた、いったい…?」
「…うーん、僕はディオン」
前世で、一部の人間に熱烈に愛されていた『エルフ』という概念は、この世界にはない。
だから私は、その種族名を口にする訳にはいかなかった。
「その『ディオン』は個人のお名前ですの?」
「面白い事を聞くね、君」
「私は、人間の、オディールと申します」
「なるほど…」
君は僕を『人間』と思わないんだね――
…と囁かれた時は、首筋がヒヤッとした。
風も吹いてないのに、彼の髪はキラキラ波打っている。ホラーだ。
「…失礼をいたしました」
「いや、いいよ」
人形のように笑う美形――怖い。
もう彼が隣に寝てたことなど忘れて、ここから立ち去るべきだと本能が訴えていた。
ただ、理性は『それが出来ればね…』と諦観を告げた。
「…オディールは、なぜこの森にいるの?」
こちらの質問には答えることなしに、彼は美しい口元に微笑みを浮かべ尋ねた。
私は透明のプレッシャーに負け、『双子の妹がいること』、『その妹に婚約者を奪われ、罪を着せられ逃げている』ことを白状した。
「ふうん、大変だったんだね」
軽い口調で言われたので、自分も「はぁ、まぁ」とか適当に返した。
「行く宛はあるの?」
「この森を抜けて隣国へ出て、何か仕事を探そうかと」
「君、貴族のご令嬢だよね」
家名は告げなかったが、オディールの、手入れの行き届いた髪と肌を見れば平民でないことは分かるだろう。
(しかしそれを言えば、目の前のツヤツヤな髪と、透き通る肌の相手は何者だというのだろうか…)
「仕事なんてできるの?」
「そこそこは…屋敷のメイドのやることを一通り見ていましたので」
「メイドねぇ…」
これに関しては、前世の記憶のおかげで抵抗なく働けると思う。
パワハラオンパレードみたいな会社と、モラハラ&セクハラの見本市な深夜コンビニで培った技能と精神は、オデット相手にも王妃教育にも大いに役立った。
メイドの仕事ならあるよ、そう目の前の金髪はオディールに告げた。
「家の管理人を探してたんだ」
管理人…執事か家政長みたいなものだろうか。
言われたことは出来るだろうが、オディールに自ら屋敷を切り盛りする知識はない。
「申し訳ございません。そのような仕事には、専用の知識を積んだ方がなるべきです」
「小さい家だし、専用の知識なんていらないよ」
「…それは貴方様のお屋敷ですか?」
「僕のだけど、誰も住んでなかったんだ。しばらく滞在したいんで、窓を開けて空気の入れ替えが出来ればいい」
(そりゃ窓を開けるくらいは、できますがね…)
本心から言えば、さっさと断ってこの場を去りたい。
だが窓の開け閉めもできない相手が、隣国でメイドになれる訳がないと言われそうだ。
それに私は怠惰なので、窓の開け閉めだけの仕事、というのも惹かれていた。
迷う心を見透かすように、エルフは
「家を見てから決めてくれればいいよ」
サラッと断りづらい言葉を投げて、前を歩き始めた。
エルフに連れられどんどん森の奥へ入っていったら、不自然なほど開けた場所に出た。
そこに、可愛い木のお家が建っていた。
(確かにこれなら『小屋』だ)
エルフの家というより、森番小屋だが。
私が開けるべき窓が見えないのが気になったが、こちらから見えない裏手にあるのだろう。
このキンキラエルフとまるで似合わない家だったが、ドアを開けて中に入ると、その感想は一変した。
贅を尽くした装飾が施された天井と壁。
磨き抜かれた床の、広々としたエントランス。
そこから続く廊下には華奢な細工の窓(多分嵌め殺し)がずらっと並んでいる。
奥もとても広そうだ。
オディールの知る一番豪華な建物――つまり王宮と比べても遜色がない。
(どこの離宮ですか、これは…)
「外側と内側の大きさが合わない…」
無意識につぶやくと、内装に全く負けないエルフは『そうだねー』の一言で、説明責任を放棄した。
そして、どんどん中に入り、両扉の開かれた部屋に入ると、その奥に掛けられた大きな鏡の前に立った。
鏡に映るのは当然そのエルフであるが、よく見ると鏡の中のエルフは、こちらのエルフとは違う動きをした。
この時点でオディールが逃げ出さなかったのは、単に驚きすぎてとっさに足が動かなかったからだ。
『おや、一人じゃないね。誰かさらってきたのかい?』
鏡の中のエルフが口を開いた。
「管理人が要るって言ったのは、お前だろう?」
こちらのエルフが応える声も同じものだ。
鏡の中のエルフが覗き込むようにこちらを見た。
『ふーん。少しこちらの血が混じってるね。リンドン家の子かい?』
リンドンというのは、この国の王家の家名である。
その昔、この国は精霊王が建てたという…今までは単なる、箔付け伝説だと思っていたが、結構真実が含まれていたっぽい。
「先祖は同じですね…」
公爵家というのは、王家の外戚だ。
先祖は同じだし、何度もお互いに嫁が行き来している。
「そっか、面白い子を拾って来たね」
「面白いね、確かに」
失礼な会話だったが、口を挟むまい。
相手は完全に『人外』だ。鏡で通信する事から考えても、人知を超えた存在だ。
「ちょうどいいね、手伝ってもらいなよ」
「いや、そっちはおそらく解決した」
「急展開だね、おめでとー」
家の中の手伝い、って感じの話じゃないんですけどー?
「彼女には、この家の管理を頼もうと思って」
「管理ねぇ…」
「どうせお前ら、誰もこっちに来ないんだろう」
「まぁね」
話はそれで終わりとばかりに、エルフは鏡から目を背けた。
すると、鏡の中のエルフも消えた。
最後に、意味ありげな視線をこちらに寄越してから…
別に否定的な視線ではなかったが、とても意味深ではあった。
やっぱり出て行くべきだろうか?
「僕は、子鬼を捕まえに来たんだ」
声の方を向くと、エルフは部屋に在ったソファに腰かけていて、身振りでその前の席をこちらに示した。
おそらく逃げそこなった私は、素直に席に着き、彼の言葉を繰り返した。
「『コオニ』とは?」
「簡単にいえば『魔物』だね」
魔物は文献に残っているが、今はいないとされている。
「僕らが、昔住んでいた場所に、氷山みたいな一角があって、そこに魔物を封じてるんだ」
氷漬けになった悪魔?みたいなものを想像する。
「数百年単位で見回りに行くんだけど、今回、僕が見に行ったら一部が欠けててね…」
そこから魔物が逃げ出したとのこと。
しかも、逃げる時に他の魔物も一緒にとかしていった。
「…お仲間?」
「いや? そいつらを逃がした後、自分は彼らと反対側に逃げた」
(おとりかよ…)
虚無の表情になったであろう私に、エルフは頷く。
「そんな風に、小鬼は知恵が回る。他の奴らは単純ですぐ捕まったんだが、小鬼は既に擬態していて見つからなかった」
「ぎたい…」
「そう。小鬼は、自分の姿を望むままに替えられるんだ。すでにあるものに限るけどね」
奔放な妹で鍛えられた、私の嫌な予感は限界まで高まっていた。
なんなら先を聞きたくない。
だが、エルフは容赦なかった。
「さっき、君と君の妹は双子だと言っていたが、僕が見た所、君と同じ存在はこの世界にない」
突っ込みどころ満載な、超越者のお言葉だが、とりあえず抵抗する。
「それは、双子と言っても、体は別ですし…」
「僕らの世界じゃ、例え顔や性別が違っても双子は同一の星を持つ存在だ」
城の蔵書室にあった文献で、『精霊は星を読む』と記載があったのを思い出した。
具体的な意味は分からないが。
(いや、この人が精霊なのか、どうかも知らんが…)
「私と妹は双子ではないと…?」
「君に同じ星の下に生まれた姉妹はいないし、この地に残った同胞…『リンドン家』の血を引いた者は5人だ」
(えーっと、王様、第一王子、第二王子、お父様、私…)
私は心で指を折る。
片手は簡単に埋まってしまった。
「少ないですね…」
「人の世にしては、よく残ってると思うが」
多分、お互い見ている対象が違うが、それは大した問題ではないだろう。
問題は…
「小鬼の性質は、邪悪。周囲をかき乱し、他者を貶める事を生きるゆえの術すべと考え、手段を選ばない」
まるで、誰かの評価を聞いているようだと思う。
「巻き込まれる人間が、多ければ多いほど、アレは愉悦を感じる。20年近くも大人しく、貴族令嬢の仮面なんぞを被ってる理由はその辺だな」
(あまり大人しくもありませんでしたけどねー…)
確かに王家に入れれば、巻き込まれる範囲は国中だ。
そんな『小鬼』であれば、笑いが止まらないだろう。
似たような質の私の『妹』も…
「妹…オデットは」
「小鬼だね」
18年、私に憑りついていたらしい『災厄』は、こんな風に終わった。
そこからは早かった。
次の日に、エルフは王都に行き、元『妹』を連れて来た。
とりあえず高価なドレスを纏ってはいたが、あまり妹の面影はなく、目は血走り、裂けた口からは牙、乱れた髪の間からは2つの角が見えていた。
「いちいち説明するのが面倒なんで、王に関係者を呼び出してもらった」
集まった私の両親、元婚約者らの前で、エルフは魔物の嫌うお香を焚いた。
そのお香を焚くと、魔物は生きてるだけで手一杯で、その他が…子鬼の場合は、擬態がおざなりになるらしい。
「擬態の解けた姿を見て、若い男が吐いて叫んで倒れた」
エルフが城で王相手にあれこれ話した後、オデット――小鬼は、王太子の部屋で見つかった。
卒業パーティの後から、ずっーーと、二人でこもっていたらしい。
いきなり引きずり出された事に憤慨していた王太子も、オデットの擬態の解けた姿を見て、己が『何』とよろしくやっていたかを把握できたらしい。
想像するのも怖い阿鼻叫喚の中で、管理者として説明責任は果たして来たとのことだ。
「一応、君の家には責任はないと言った」
「…有難うございます」
18年間、知らずに『小鬼』を娘として育てて来た責任……ないわな。
むしろ被害者だ。
それでも、何だかんだ言う人はいると思うので、遠い御先祖様(多分)の言葉は有り難い。
「あと、君が無事だと教えた」
「そうですか…」
「帰るかい?」
あの家に戻っても、もう生活をかき乱す存在はいない。
多分、皆歓迎してくれる。
公爵家の跡取りとして。
私の事を慮って、吟味して、家柄と性格の良い、ふさわしい男性が縁組されるだろう…
「くだらない…」
思わず、そんな言葉が口を出た。
「うん、どこにでもくだらない事はあるね」
面白がる声が、返される。
形の良い、口元の笑みにつられ、尋ねてみる。
「どこにいても同じなら…、ここにいてもいいですか?」
「いいよ」
あまりにもあっさりとした答えに、私はこの家に来て初めて笑った。
別にすることはないと言われたが、結局人は何もせずにはいられないのである。
私はメイドの真似事や、前世の料理の再現なんかも始めた。
前世の話をすると、エルフが面白がって、似たような食材を揃えてくれた。
出来た料理を食べる、こちらのエルフも嬉しそうだが、料理やレシピを見た、鏡の向こうの誰かが大歓喜している。
そのうち、こっちにやって来るかもしれない。
この場所でエルフと暮らしていると、つられて私の中のエルフの血が蘇り、私の寿命も多少伸びるらしい。
「50年も過ぎれば、知っている『人間』は誰もいなくなるよ」
そんなもんだろうな、と思う。
だけど、その時でも、このエルフは側にいるだろう。
そんな想いを見透かすように、エルフは提案する。
「此処に飽きたら、旅にでも出ようか」
「いいですね」
干したシーツの側で、二人で寝転がる。
下草が少しうっとおしいが、それくらいどうでも良く思えるくらいに、気持ちが良かった。
私の怠惰はエルフの血かも知れない、なんて思いながら、私はしばしの夢の中に旅立った。
最初のコメントを投稿しよう!