私『代理』悪役令嬢になる?

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私『代理』悪役令嬢になる?

 私の名前はエリス。13歳。平民だ。  両親を流行り病で失った私は、病弱な弟と二人で生きていくことになった。 「おねえちゃん、ぼくも、ママやパパみたいに死んじゃうのかな……」  私とお揃いの麦穂色の髪を乱し、すみれ色の瞳を辛そうに潤ませた7歳の弟が、弱っていく。  ――助けたい。でも、どうしたらいいの。 「だれか。助けてください。弟が病気なんです」  街中を歩きまわり、日雇い仕事をする。稼いだお金は食材や薬で、あっという間になくなってしまう。 「やだ、乞食ですわね。ほら、恵んで差し上げますわ」 「ありがとうございます」 「プライドとかないのかしら。見ているこちらが恥ずかしくなりますわ」  恥ずかしい生き物だと笑われる。  でも、構わない。  私が頑張らないと、弟は死ぬから。  私が頑張ったら、弟は生きられるかもしれないから。  だから、私はどれだけ笑い者になっても、いい。 「薬を売ってください。お金は……ありません。あの、働いて帰しますから、どうか……」  もっと働かないといけない。  薬を飲ませて、栄養のある食事を作ってあげないと。  あたたかい毛布も、買ってあげたい。 「年頃の娘が、髪も服もボロボロで……みっともない」  頑張らなきゃ。 「薬がまた欲しい? でもあんた、前の薬代も払えてないだろう」  なんとかしなきゃ。 「お姉ちゃん。ぼく、お腹すいてないよ」  弱々しい声の弟に、こんな風に気を使わせて嘘を言わせちゃいけないんだ。 「……っ、ひっく……」  泣いちゃだめ。 「おかあさ……ん。おとうさ……っ」  助けを求めても、お母さんもお父さんも、いないんだ。  ……そんな必死な私に手を差し伸べてくれたのは、『悪役令嬢』だった。 「あなたたち、ずいぶん大変な境遇みたいね。公爵家で保護してあげる。養子にしましょう! 代わりに、エリスには悪役令嬢になってほしいの」    彼女の名前は、公爵令嬢アマンダ・エスカランタ様。  私と同じ年齢で、手入れの行き届いた黄金色の髪に澄んだサファイアの瞳をしている。  とびっきり高貴なお姫様だ。  アマンダ様は、私を気に入ったと仰った。 「エリスに教えてあげましょう。わたくしには、前世の記憶があるの。この世界は『君と僕がドルチェ』というタイトルの乙女ゲーム。主な舞台は、わたくしが春に入学する学園『ローズウッド・アカデミー』よ」  教えられる内容は非現実的で、「本当かな?」って首をかしげてしまう。  乙女ゲームってなんだろう、と思った私に、アマンダ様はその概念を教えてくれた。  異世界の貴族のお嬢様みたいな方々が嗜たしなむ遊戯ゲームらしい。  ふむふむ、と理解する私に「理解力が高くて、いい子ね」と微笑み、アマンダ様はお話を続けた。 「エスカランタ公爵家は、祖父の代に『孫娘を王室に嫁がせる』と約束をしています。そのため現在、わたくしには第一王子パーシヴァル様と婚約の話が出ているの」  平民の私にとっては、雲の上の世界のお話だ。  すごい方が、すごい方とご結婚するのだなあ……くらいの認識。 「でも、原作ではわたくしは悪役で、婚約者を聖女に奪われて、嫉妬に狂って嫌がらせをし、断罪されてしまう」  何を言われているのか、だんだんわからなくなってくる。  えぇと、この世界がゲームの世界。アマンダ様がゲームの悪役? 「そんなのは嫌。……わたくしは王子との婚約を回避したい! だから、エリスはわたくしの妹になって、第一王子と婚約してちょうだい」  ――待って?  なんだか、すごいことを言われていない?   他人事が、急に自分のことになったよ? 「わ、私が公爵家の養女になって、王子様と婚約……っ?」 「そうよ。エスカランタ公爵家の令嬢と王子が婚約しないといけない。でも、『公爵家の令嬢』ってわたくしじゃなくてもいいと思うの」  アマンダ様はそう仰り、大きな扇をぱらりと開いて、ちょっと私を見下すような眼をした。 「平民が公爵家の令嬢になれて、わたくしの役に立てるのよ? 弟だって助けてあげる。いい話でしょう? 感謝なさい」  この国は身分階級社会で、貴族のお嬢様は、とっても偉い。  貴族の中でも、「公爵」の爵位は最上位……。  高熱で真っ赤になった弟の顔を見て、私はすぐに決意した。 「……やります。だから、どうか……弟を、助けてください」  私はアマンダ様の手を取り、『悪役令嬢』になった。  父と母が亡くなり、たったひとりの家族となった弟を守るために。 「拾ってきた孤児などをエスカランタ公爵家の娘にするだって? ありえない!」 「お父様とお母様は許してくださいました!」  アマンダ様は、兄君のレイヴン様と私の処遇について毎日のように大喧嘩している。  レイヴン様は17歳で、鉄色の髪をオールバックにしている。  瞳は私や弟と似ているヴァイオレット・ブルーで、銀縁の眼鏡をした、生真面目で冷たい印象のお兄様だ。 「兄に構っている時間はないわ。エリスは令嬢教育に集中なさい」  アマンダ様はそう言って家庭教師に私を囲ませ、私に貴族令嬢としての教養を叩きこんだ。 「いいことエリス。あなたが入学するのは、上流階級の令嬢や令息が6年間通う学園なの。エリスの言動ひとつで、我が家の名誉が地に落ちてしまうのよ」 「はい、アマンダ様」  貴族令嬢というと贅沢な暮らしや華やかなドレスといった優雅なイメージがあったけど、私を待っていたのは朝から深夜まで分刻みでお勉強をするハードすぎるスケジュールだった。  礼儀作法や歴史や文学、芸術……たくさん学ばないといけないことがある。  水面下で必死に足を動かす優雅な白鳥のよう。  貴族のお嬢様って大変なんだ……。 「おとうさん、おかあさん。私は、元気です……」  ポエムの授業では、心のままに言葉を書いてごらんなさいと言われた。  だから私は、お父さんとお母さんへの想いを書いた。 「このおうちは大きくて、夜もあたたかいです。毎日ごはんを食べられます。お薬ももらえます。ベッドはふかふかで、清潔なの」  公爵家は、居心地がいい。  お金の心配をしなくていい。明日の食事の心配もない。  ひとりでなんとかしなきゃって生きていた時より、楽だ。恵まれている。ありがたい。 「アマンダ様のおかげです。とても感謝しています。でも、お父さんとお母さんがいないから、本当は少しさびしいの……」  あっ、アマンダ様が泣いてる……。 「こ、これは、花粉症よ!」  その後、アマンダ様はちょっと優しくなった。  * * *  弟のノアは、清潔で暖かな部屋で、しっかりした食事と薬を与えられて、だいぶ体調が改善している。  上質な素材のブランケットを指先できゅっとつまみ、私を見上げる瞳は可愛らしい。 「お姉ちゃん、むり、してない?」  心配してくれる優しい心が感じられたから、私は泣きそうになった。 「ノア、お姉ちゃんは全然無理してないよ。ごはんは豪華だし、ベッドはふかふかで、ノアは心配しないで休んでね」  窓から差し込む日差しを浴びて、弟の麦穂色の髪が金色の艶を魅せる。綺麗だ。  頭を撫でると、さらさらとした手触りが心地いい。  公爵家のメイドのお姉さんたちが「ノア様は可愛いですわね」「磨いたらもっと可愛くなりますね、腕がなります」と母性全開で手入れしてくれたおかげだ。  弟の頬にキスをして、私は微笑んだ。 「……お姉ちゃん、ノアが元気な姿を見てるだけで元気が出る。いくらでも頑張れる。だから、いっぱい食べて、いっぱい寝て、元気でいてね」  部屋から出ると、レイヴン様が扉の前にいた。  唇を引き結んで、眉間に深い皺を寄せて、目を細くして――「ぐすっ」洟を鳴らしている。ちょっと目が赤い? 「……何を見ている? ここは俺の家なのだから廊下に俺がいてもおかしくないぞ。決して立ち聞きしていたわけでもない。この鼻水は……花粉症だ」 「さようでしたか……ハンカチをどうぞ」 「ふん。いらぬ。そうだ、婚約が決まったパーシヴァル王子殿下がお前に会いたいと仰せだが、まだまだ令嬢教育に不安があるゆえ、病気ということにしておくからな」  レイヴン様はむすりとして、背を向けた。 「かしこまりました。公爵家の令嬢として恥ずかしくないよう、もっと頑張ります……花粉症、お大事に……」 「……くていい」 「はい?」 「……無理は、しなくていい……!」  レイヴン様は絞り出すような声で言い捨てて、足早に去って行った。  ちなみに、その出来事以来、レイヴン様も優しくなった。  ……花粉症は人を優しくするのかもしれない。 学園に入学する一週間前、アマンダ様は私の部屋を訪れた。  ソファに座ってふんぞり返るアマンダ様は、「テストをするわよ!」と言って私の令嬢としての振る舞いをチェックして、及第点をくれた。  そして、乙女ゲームの主要人物や展開について教えてくれた。  姿絵付きなのが親切だ。 「まず、第一王子パーシヴァル殿下は、御年17歳で、生徒会長様。博愛主義者で女性に優しい紳士……と見せかけて、女性嫌い。王子という立場もあって警戒心が強く、本音を誰にも見せないタイプの腹黒ニコニコマンよ!」 「は、腹黒ニコニコマン……」 「自分の美貌を自覚していて、幼少期から女性にちやほやされまくってきて襲われそうになったりもしたせいで、外見にうっとりする女性への嫌悪が強いの」  姿絵を見ると、白金の髪にアクアマリンの瞳をしていて、鼻筋がすっと通った顔立ちは優しげだ。  男性なのにどこか女性的な優美さのある、綺麗な王子様だ。 「美形の殿方も大変なのですね」 「そうね」  アマンダ様は、ヒロインの姿絵を見せてくれた。  ピンクの髪にオレンジの目をしたヒロインは、……可愛い! 「ヒロインのフローラ・マニュエス男爵令嬢は、平民出身。二年前に男爵家の養子になったの。わたくしたちと一緒に入学する新入生よ」  私とは養子という境遇が同じだ。ちょっと親近感が湧くかも? 「フローラさんは貴族令嬢らしくない自由な振る舞いをするので、品行方正な貴族たちに眉を顰められるわ。でも、一緒になって眉を顰めていると悪役になるから距離を取るのがいいわね」  アマンダ様は「一応、他の攻略キャラも紹介しておくわね」と追加で数人の男性の姿絵とプロフィールを教えてくれて、自分が身に着けていたクリスタルのペンダントを外し、私の首にさげてくれた。 「あなたはお兄様にも気に入られたし、短期間でぐっと令嬢らしくなったわ。お父様やお母様も、ノアとあなたを我が家の一員だと認めてくださってるし」 「そうなのですか?」 「考えてみれば、エリスは公爵家の名を背負っているのだから、悪役にならないのが一番よね。断罪されることになったら、家の名誉も落ちるもの」  アマンダ様はツンとした声で言った。  その眼差しに心配するような光があるので、私は眼を瞬かせた。 「もしかして、私が不幸にならない方がいいって思ってくださっているのですか?」 「そうよ……家族だもの?」  アマンダ様は照れたように目を伏せた。  頬を赤らめたその表情に、グッとくる。 「わ、私を家族だと思ってくださるのですか!」 「養子になって同じ屋敷で生活しているのだもの。思うとかではなくて、ただの事実でしかないわ」  アマンダ様はそう言って、話を変えるように問題を出した。 「ふん、この話はもういいでしょう。さあ、次は実戦に向けた予行練習。いくわよエリスっ! 第一問。パンをくわえて走っているフローラを見たとき、あなたはどうするの?」 「関わらないように距離を取ります」 「第二問! パーシヴァル殿下が格好つけポーズをしてるわよ!」 「急いで目を逸らして、その場を離れます」  アマンダ様が私を家族扱いしてくれて、不幸にならない方がいいと仰ってくださったので、私は嬉しくなって令嬢教育を頑張った。  ――そして、入学の日がやってきた。 乙女ゲームの舞台である学園、『ローズウッド・アカデミー』の入学の日。  私はエスカランタ公爵家の馬車に乗り、学園に通学した。  外に出る前に、一緒に入学するアマンダ様が全身の身だしなみチェックをしてくれる。 「エリス。リボンタイが曲がっていてよ」 「失礼しました、アマンダ様」  制服のリボンタイを直してもらってお礼を言うと、アマンダ様はちょっと考えてから「お姉様とお呼びなさい」と言って、先に馬車から降りて行った。 「……はい、お姉様!」  * * * 「わあ、可憐なお嬢様方だな。片方はエスカランタ公爵家のアマンダ様だが、一緒にいるのは……?」 「エスカランタ公爵家のご姉妹ね」 「ご姉妹? エスカランタ公爵家は、ご令嬢がおひとりしかおられないはずですわよ」 「あら、ご存じありませんの? アマンダ様には血のつながらない妹様ができたのですわ」  馬車から降りた私とアマンダお姉様が噂されている。 「ごきげんよう! わたくしの可愛い妹に、何か?」  アマンダお姉様が扇をパシンと閉じて笑顔を向けると、噂していた学生たちが頭を下げて散っていく。すごい。 「我が家はここにいる大多数の家より格上なの。おどおどする必要はなくってよ、エリス」 「はい、お姉様」 「無礼者がいたら扇を投げておやり」 「それは下品ではないでしょうか、お姉様?」  私はドキドキしながら、お姉様についていった。 「すみません、急いでいたものですから。大丈夫ですか?」   可愛い声が聞こえる。ヒロインのフローラさんがパーシヴァル様と初対面でぶつかってしまうイベントの最中だ。  乙女ゲームだと、パーシヴァル様に恋をしている悪役令嬢がフローラさんに「わたくしの殿下にぶつかるなんて! あなたは入学する資格なしよ!」と怒るらしい。  お姉様は「始まったわね!」とちょっと興奮気味にしつつ、私の袖を引いて「関わらないように、行くわよ」と促した。  そんな私たちに、パーシヴァル様から声がかけられた。 「やあ。エスカランタ公爵家の姉妹ではないか。エリス嬢は初めましてだね。レイヴンがなかなか会わせてくれないから」  ……王子の側から声をかけられるとはっ?  私とお姉様は困惑の視線を交わしつつ、パーシヴァル様に挨拶をした。 「ごきげんよう、パーシヴァル様」 「お初にお目にかかります、パーシヴァル王子殿下」  息ぴったりに二人でカーテシーをすると、「学園の中では『王子殿下』は無しでいいよ」と微笑まれる。 「きゃーっ」  その笑顔がきらっきらで、近くにいた女子生徒が何人か、ふらふらとへたりこんだ。  美形スマイル、強い!   でも私は予行練習をしてきたから、練習通りに急いで目を逸らすよ!  「サッ」 「おや? なぜ目を逸らすんだい」  あとはその場を離れるのみ……! 「急いでおりますので、失礼いたします!」  私はお姉様と一緒に、パーシヴァル様に礼をして背を向けた。すると。 「式の会場まで送るよ」  なんとパーシヴァル様がついてこようとするではないか。 「結構ですわ」 「結構です」  私とアマンダお姉様は二人で声を揃えて、手をつないで足早にその場を離れた。 「……なんで?」  ぽつんと残されたパーシヴァル様は、びっくりしていたらしい。すみません!  * * *  入学式は、つつがなく行われた。  トラブルがあったとすれば、生徒会長のパーシヴァル様が壇上できらっきらのスマイルを浮かべて「歓迎の言葉」を述べた時に何人かの女子生徒が鼻血を出したくらいだ。  私とお姉様は「見ちゃだめ」と声を掛け合い、一緒になって視線を逸らして「美貌トラップ」を回避した。  それにしても美形の破壊力ってすごい。  隣にいた女子生徒がひとり倒れた……。  この人、実は生徒会長に向いてないんじゃないかな? 入学式で倒れる人続出なんだけど。  先生方は慣れている様子で、淡々と救護班に女子生徒を運ばせて式を進めていく。 「それではこれより、飲水の儀を始める」  飲水の儀は、全員で一斉に『聖なる水』を飲む儀式のことだ。  ひとりずつに渡される黄金のゴブレットに入れられた『聖なる水』は、神殿の神官が清めた水らしい。  何かの効果を約束するようなものではなく、「これを飲んでがんばろうね」と前向きな気分にさせるための形式的な儀式だ。  でも、アマンダお姉様が仰るには、ヒロインのフローラさんはこの『聖なる水』を飲んでひとりだけスキルを授かり、「聖女」と呼ばれるようになるのだとか。  乙女ゲームでは、スキルは何を獲得できるのかがランダムで、「強いスキルを獲得するまでオープニングをやり直すプレイヤーもいた」らしい。 「私たちの現実はやり直しができないから、フローラがどんなスキルを授かるのか気になるわね」 「そうですね。スキルというのがどんなものか、よくわかりませんが……あっ……?」  お姉様に相槌を打った時、私の全身がパァッと眩く光り輝いた。  近くにいた学生たちがびっくりして声をあげ、会場中が注目してくる。 「どうした!?」  光は一瞬で収まった。  大丈夫か、どうした、と先生や警備員が寄ってくる中、私はぽかんと目の前を凝視していた。  目の前に、文字が見える。 『スキル獲得!』 『スキル名:恋コスメ召喚』 『魔力を消費し、異世界に存在するコスメを召喚できる』 「なに……これ……? 恋コスメ召喚?」 「これは……スキルを授かったのだ」 「……奇跡だ!」と周囲が騒然となっていく。  私と周囲がびっくりしていると、私の目の前に、今度は羽の生えた小さな妖精が現れる。 「魔力をいただきます、ご主人様!」  妖精はそう言って空中でくるりと一回転した。 「わ、あ……!」  妖精がちょうど一回転し終えたタイミングで、何もなかった空中に小瓶が現れた。  新しい文字が、空中に浮かび上がっている。 『保湿化粧水……肌にうるおいを与えてやわらかくし、キメを整えます。また、美容液や乳液の浸透を助けます』 「何か出たぞ!」 「アイテムを召喚した……!」  もうすっかり、注目の的だ。  先生方が「聖女様だ」とか言ってる。  えぇと……アマンダお姉様のお話だと、こういうのはフローラさんがなるはずだったのでは? 「そのアイテムは、ポーションなのかい?」  すぐそばで美声がして、びくっとする。パーシヴァル様だ。  私はご尊顔を見ないように顔をそむけた。 「ええと……恋コスメ召喚という名前なので、恋コスメというアイテムかもしれません」 「……コスメ?」  あっ、困惑されている。 「エリス~~‼ これ、異世界の化粧品コスメよ! すごい……」  あっ、アマンダお姉様が嬉しそう。 「エリス。これは何個も召喚できるの? わたくし、欲しいものがいっぱいあるわ……! 召喚できる?」  こうして、入学式の日、私は『恋コスメ召喚』ができるようになって、聖女の称号を手に入れた。  * * * アマンダお姉様は異世界のコスメに詳しい。  そのお話によると、「恋コスメ」というのは「恋に関する良いことをもたらすコスメ」らしい。  エスカランタ公爵家に帰ると、アマンダお姉様は大はしゃぎで私にスキルの使用をおねだりした。 「エリス、スキンケアグッズは出せる? 化粧は落とさないといけないし、保湿したいわ」  アマンダお姉様が「こういうのを出して欲しい」と紙にリストアップする表情は真剣だった。 「はい、お姉様」 「出せるのね! すごいわエリス……‼︎」  キャアキャアと騒いでいると、お義母様(かあさま)が「お母様もまぜて!」とやってくる。 「汚れが落ちてスッキリした気分ね」 「この白い皮をつけるの? 冷たーい……」  三人で洗顔してフェイスマスクを付けていると、お義父様とうさまとレイヴンお兄様が「何をやってるんだ……?」とコソコソ覗き見してくる。 「その白い皮はなんだ⁉︎」 「あら、あなた。娘と一緒に肌を労っているのですわ」 「アマンダ。お前はまつ毛に何を塗っているんだ?」 「お兄様、わたくしは今まつ毛を育てているのよ。じろじろ見ないでくださる?」 「待て。その液体は育毛剤なのか? お父様の頭にもなってくれ」  ――賑やか!  フェイスマスクを外したお義母様は「肌がもっちり、ぷるぷるしてるわ」と幸せそうだ。 「娘たちよ……お父様の育毛剤はあるかい?」  このスキルは、あまり魔力をたくさん使わない。  たくさん召喚できるので、私はどんどん召喚してアイテムの説明文を読み上げた。 「こちらは入浴剤と洗髪料シャンプーです」 「入浴するわよー!」 「きゃー!」  あっ、盛り上がりっぷりにお義父様とお義兄様が引いてる。 「ハンドクリームはメイドたちにも配ってあげましょう」 「娘たち……お父様の育毛剤は……ないのかい……?」  召喚するアイテムは、どれも乙女心をくすぐるパッケージだ。  宝石みたいにカッティングされた瓶や、可愛らしい模様の描かれた壺、見たことのない素材のチューブなど、「見た目でも楽しませよう」という雰囲気の容器ばかり!  容器を並べるだけで楽しい。 「パーティを開きましょう。お友達みんなにアイテムをおすすめしたいわ」 「お、お父様の育毛剤は……」  育毛剤は出なかったので、お義父様はしょんぼりしていた。ごめんなさい!  * * *  後日、お義母様は交流のある貴族夫人や令嬢を招いてパーティを開いた。  パーティ会場の一部には、『化粧品お試しエリア』と『販売場』が設けられている。  主催一家であるエスカランタ公爵家のメンバーは、両親とレイヴンお兄様が招待客に挨拶をして、弟ノアは侍女と一緒に壁際にちょこんと座って見学。アマンダお姉様と私は『化粧品お試しエリア』担当だ。 「妹のエリスに化粧してみせますね。どうぞ皆様、近くでご覧ください。このようにトーンアップ下地をつけます。えすぴーえふゴジュープラスぴーえーフォープラスです。潤い感がありますよ。ねえ、エリス?」 「潤い……そうですね。潤っている感じがします」  アマンダお姉様は異世界用語らしき謎の単語を唱えているが、貴族夫人や令嬢たちは細かい単語を気にすることなく実演に見入っている。とても真剣な眼差しだ。 「日焼けして赤みを帯びている部分にちょっと暗めのコンシーラーを塗ってなじませて、境目をブラシでぼかします。指でやると体温で溶けてしまうので、ブラシを使いましょう」  鏡を前に置かれているので、自分の顔がどうなっているのかがわかる。どきどきだ。  日焼けしている部分が目立たなくなると、貴族夫人から「素晴らしいわ」と声があがった。  その間も、お姉様はファンデーションのふわふわのパフをはたいてくれる。気持ちいい。 「このあたりにチークを重ねると血色感のある美肌になります。リキッドチークを頬骨のあたりに置いていきますね」  お姉様は馴染みのない単語を口にしながら、ぬるっと濡れたピンクの液体を私の頬骨のあたりに置いていく。  そして、クッションファンデのパフで外側に向けてトントンとなじませた。  わあっ、自然なピンクに頬が色づいて、かわいい……! 「これを内側に向けて伸ばすと幼い感じになります。妹はちょっと幼い顔立ちなので、大人っぽく外に向けてみました……可愛いでしょう?」  可愛い、と言われて、嬉しくなる。  自分が可愛くなるのって、楽しい。 「続いて、パール感のあるシャンパンブラウンのアイシャドウを塗ります。アイシャドウで目を垂れる感じに作ってアイラインは引き上げましょう……こういうのを『令嬢メイク』と言います」  アマンダお姉様が言うと、周囲は「令嬢がするから令嬢メイクね」「やだ、そのままじゃない」と笑った。 「超極細マスカラで短い毛も上向きに……お義父様(とうさま)の毛は上向きにする余地がなかったけど……」 「おいたわしや……」  アマンダお姉様の呟きに、周囲がチラチラとお義父様とうさまの頭を見る。  お義父様はいそいそと従者からカツラを受け取り、「気にしてませんが?」という顔でカツラを装着した。  あっ、隣でレイヴンお兄様が目頭をおさえてる……。 「お前たち、もっと父上に気を使いなさい」 「ごめんなさい、お兄様」 「ごめんなさい」  気を取り直して、化粧の続きだ。 「さあ、口紅です。コーラル味がある粘膜カラーの輪郭を綿棒でちょっとぼかしましょう。唇の山をつぶしてぼかすと少し甘い感じになりますよ」  お姉様に塗ってもらった唇は濡れたようになって、ぷるぷるだ。  艶があって、瑞々しい。すごい。綺麗な色!  最後にお姉様は、決めセリフを言った。 「貴婦人が美しく装うのは、社交のため、家の権勢を示すため。ですがなにより、自分が自分を誇れるように。楽しく前向きな気分になるように……!」  おおっ、貴婦人たちが頷いてる! 「恋コスメとは殿方にモテるアイテムですが、わたくしは皆様に、殿方関係なく、ご自分の喜びのためにおしゃれを楽しんで頂きたいと思います」  貴婦人や令嬢たちはワッと拍手をして商品を買っていった。  在庫がみるみるうちになくなって、追加で召喚するのも間に合わないくらい。 「聖なる化粧品ですわ! ご利益がありますわ!」 「わたくし、あちらのアイシャドウが欲しいですわ。(まぶた)に宝石をまとった気分ですの」 「チークが驚くほどの透明感ですわ。赤ちゃんの頬みたい!」  よかった。パーティは大成功ね! お姉様と一緒に頷きを交わし、私は気づいた。  ……会場の隅で、ヒロインのフローラさんがいじめられてる!? 「平民が図々しいわね」 「なあに、あなたも化粧をしたいの? お金が払えますの?」  貴族の令嬢が数人、フローラさんを囲んでいる。 「わたくしたちで化粧してあげましょうか?」 「くすくす、いいわね。かわいくしてあげてよ」 「まずはその平民くさい匂いをなんとかしなくては」  高圧的な顔をした令嬢が手に商品の香水を持って、蓋をあけて――うわ、全部かけるつもりっ? 「待ってください!」  私は慌てて令嬢たちの輪に走り寄った。 「フローラさんは皆様と同じく、エスカランタ公爵家のお客様です。ですから、私がお化粧いたします。さあ、こちらへ」  フローラさんの手を引いてアマンダお姉様のところに行くと、アマンダお姉様は扇をパラリと開いて口元を隠し、聞えよがしに笑った。 「あちらのご令嬢は香水の使い方をご存じないみたいね。毎回全部をかけていては臭くて周りの人が迷惑ですし、香水がいくらあっても足りませんわね? もう1品ご購入されては、いかが?」 「……!」  フローラさんに香水をかけようとしていた令嬢が顔を赤くして、「し、失礼しました……」と謝っている。商品ももう一個買ってくれて、意外と素直。お買い上げありがとうございます。  アマンダお姉様は「これで解決」と笑ってから、私に耳を寄せた。 「あなたの婚約者がお兄様と一緒にあちらにいるわよ、エリス」 「パーシヴァル様ですね。見ないようにします、お姉様!」  一瞬見てしまって、ぱちりと目が合う。  今日も眩い後光がさしているような、きらきら美形っぷりだ。 「け、化粧を始めますね。フローラさん」 「お願いします!」  そーっと目を逸らし、フローラさんに化粧を施していく。  フローラさんと目が合うと、すごく嬉しそうに微笑まれた。 「エリス様、ありがとうございました」  うーん、可愛いっ。  すっぴんでも可愛いけど、この可愛いフローラさんを私の手でさらに可愛くする……と考えると、わくわくが止まらなくなる。 「フローラさん、パーティに来てくださってありがとうございます。次はアイシャドウを塗るので目を閉じてくださいますか?」 「はいっ」  無防備に両目を閉じてじっとしているフローラさんは、従順だ。  自分に身を任せてくれている、と思うとなんだか庇護欲をそそられる。  こんな女の子だから、パーシヴァル様も好きになるんだろうな……。  ちょうど、離れたところにいるパーシヴァル様とレイヴンお兄様の会話が聞こえてくる。 「女性は私を見ていつもうっとりするのに、どうして彼女は私を見ないのだろう」 「妹はパーシヴァル様に興味がないのかもしれませんね。婚約は白紙にしてもいいのでは」 「レイヴンはなぜそんなことを言うんだい? 私はまともに彼女と話したこともまだないのだけど……そうだ。挨拶をしよう」 「パーシヴァル様。あちらは令嬢たちの神聖な化粧エリアですので、立ち入りはご遠慮ください」  レイヴンお兄様が「妹」と言ってくれるのが、嬉しい。  フローラさんの化粧も完成して、私は大満足だ。 「フローラさん、できましたよ! とっても可愛いです」 「わあっ、ありがとうございます!」  ――喜んでもらえて、よかった!  それに、仲良くなれそうな感じがする。嬉しい。  * * *  パーティの終盤、お父様とお兄様は「婚約は辞退でいいのでは?」「何を言う。おじいさまの代からの約束なのだぞ」と語り合っていた。 「父上。こちらは他国の商人から購入した育毛剤です」 「何っ」 「父上……この育毛剤がほしければエリスの婚約辞退を検討してください」 「レイヴン。王家に娘を嫁がせるのは家門の名誉なのだ。譲れぬ」  見学席にいたノアはプレゼントをいっぱいもらったようで、「パーティ楽しいね」とご機嫌だ。 「お姉ちゃん、今日、人がいっぱいいたね。ぼく、今日は咳を一回もしなかったよ。いっぱいチョコレートをもらったよ」  ノアの手には、四葉のクローバーをモチーフにしたブレスレットがつけられている。パーティ開始時にはなかったものだ。 「ノア。そのブレスレットはどうしたの?」 「うん。そのお兄様がね、健康になるお守りだよって」 「そのお兄様?」 「こほん、こほん」  ……んっ?  咳払いの音がして、振り返った私はぎくりとした。 「うぇっ、パーシヴァル様……‼」  なんと、そこにはパーシヴァル様がいた。兄が追い払ったとばかり思っていた。  白金の髪、アクアマリンの瞳をしたパーシヴァル様は、春風のような微笑をきらきらさせている。 「私たちは婚約者になったけど、初対面の挨拶もゆっくりできていなかったね。よかったらあちらで話さないかい」  あっ、笑顔が! 眩しいです! 「レイヴンは婚約に反対みたいだね。いつも君に話しかけるのを邪魔してくるんだ。彼はブラコンなのかな……? 邪魔される前に、さあ行こう」  パーシヴァル様は物腰柔らかだと思っていたら、意外と強引だった。 昼とも夜の狭間。  沈みかけの太陽が西の空を燃えるように染めていて、東には夜の青が漂い始めている。  二人で歩く庭園は、満開に咲く花々の香りが甘くさわやかだ。  地面に映る影は、長くゆったりと伸びている。  ところで、私たちの後ろがちょっとカオスだ。  パーシヴァル様の騎士らしき人たちが距離を開けて「邪魔はさせません」と両腕を広げてガードしていて、アマンダお姉様やレイヴンお兄様が文句を言っている。  しかも、フローラさんまでいるような……? 「エリス嬢は、私の顔は嫌いかい? 君はいつも私を見ないね」 「ふぇっ」  そういえば、隣にはパーシヴァル様がいたのだった。  視線を向けると、ちょっと寂しそうな笑顔が……あぅっ、美しくて困るーーっ! 「パーシヴァル様のことは、嫌いではありません」 「それならよかった」  思えば、パーシヴァル様は王子様で、年齢も上だ。  なのに、とても失礼な態度をしてきたと思う。  けれど、パーシヴァル様には私を責めるような気配はなかった。 「エリス嬢はとても努力家だと聞いているよ。それに、人柄がいいのだろうね。公爵家の養女になって日が浅いのに、ずっと前から家族の一員だったみたいに溶け込んでいてすごいな」 「家庭教師の先生が優秀ですし、お姉様もお勉強をみてくださるのです。公爵家の皆様は良い方ばかりで、私も弟も優しくしていただいています。奇跡のような毎日です……」 「あっ、そうそう、弟さん。引き取られる前から、とてもよく世話をしていたのだってね。ご病気はよくなったかい? 先ほど話した様子だと、元気そうだったな」 「はい。おかげさまで、弟はすっかり健康を取り戻しました」 「それは良かった。ああ、それに、フローラ嬢を助けたところ、見ていたよ」 「招待したパーティで嫌な気持ちにさせてしまって、フローラさんには、申し訳ないと思っています」 「君はちゃんと助けたじゃないか。フローラ嬢も、すっかり君に心を奪われているよ。見てごらん、騎士と揉めてる……」 「フローラさんが心奪われているのは……パーシヴァル様では……」  言いかけて、私はちょっと迷った。  アマンダお姉様の説明だと、乙女ゲームは「どの殿方と恋仲になるかがフローラさんしだい」らしい。 「そういえば、悪役令嬢との友情や百合ルートというのもあるとアマンダお姉様が仰っていたような……」  「悪役令嬢? 百合の花がどうしたんだい?」 「あっ、いいえ。なんでもありません」 「ふうん。君って、ふしぎな子だね。つかみどころがなくて、他の子と違ってて、面白いな」  パーシヴァル様はそう言って、私の前に膝をついた。 「これは、君が私の婚約者だという証だよ。なかなか初対面を済ませられなかったから、今日まで渡せなかったけど」  そう言って私の左手の薬指に填めてくれるのは、ピンクダイヤモンドの婚約指輪だった。  とても綺麗で、可愛くて、特別って感じがする。私の胸がきゅんっとなった。 「どうして、ちょっと悲しそうなんだい」 「私、悲しそうな顔なんて……」 「してる」  指摘されて、私は自分の心を探った。  そして、思い至った。  ……私、きっと、フローラさんの存在が気になっているんだ。 「フローラさんが……」 「エリス嬢って、もしかして女性愛好者なのかい……?」 「え、いえ、そうではなく、パーシヴァル様とフローラさんが恋仲になるかなと思っていまして」 「なぜ? 私は彼女と話したこともないのだけど?」 「えっ」  息を呑んだ時、騎士のガードを突破してフローラさんが駆けてきた。 「婚約者だからって独占はいけないと思いますーーーっ、私、お友だちになろうとしてたのにーーっ」  ほら、フローラさんは嫉妬してる。  パーシヴァル様を独占するなと言っているじゃない?  と、私が思った時。フローラさんはなぜか、私に抱き着いてきた。  あれっ、何事っ? 「ああっ、やだー! エリスさんの指に指輪が! ふえええん!」  えっ、泣いてる。なぜ? 「ほらね。フローラ嬢は君が好きなんだよ」  パーシヴァル様は言い聞かせるような口調になった。 「フローラ嬢。エリス嬢は私の婚約者なので、わきまえていただきたいな。そちらのブラコンとシスコンも」  ……ブラコンとシスコンとは?  私が首をかしげていると、遠くでお兄様とお姉様が文句を言うのが聞こえた。  さてはお二人を指す悪口だったに違いない。  騎士が追い付いてきてフローラさんを私から引っぺがすので、パーシヴァル様は「あっちの噴水を見に行こう」と言って、私の手を引いた。 「レイヴンは君のことが結構好きみたいだけど、兄と言う身分だから対象外だよね?」 「対象外とは、なんですか?」 「うん。わからないならいいんだ」  透明な水が綺麗な飛沫をあげている、噴水の前で。  噴水の音をききながら、パーシヴァル様は私に「君に興味がある」と囁いた。  意味ありげな甘い声に、どきりとする。  この王子様は、魅力的だ。いけないと思っても、惹かれずにいられない。  ……頬が熱い。 「君も私に興味を持ってもらえたら、嬉しいな。そうだ。エリス嬢、もしよろしければ、生徒会への入会を検討してくれないか?」 「生徒会ですか?」 「君がいれば生徒会も活気づくだろうし、君と一緒に過ごせる時間が増えるから」  こうして、その日。  たぶん、破滅からは遠い状態で、私とパーシヴァル様の新たな学園生活は始まったのだった。  End!!
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