悪役令嬢の恋

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悪役令嬢の恋

私は悪役令嬢だ。 名前はリリアナ・スコルツィオーネ。 富も名誉もある公爵家の長女として生まれた。 同い年のクラウディオ王太子と、幼い頃から婚約している。 そんな私がなぜ悪役令嬢なのかというと。 18歳の誕生日に階段から転落して頭を打ち、噂に聞く「未来の記憶」とでもいうべきものを思い出したから、である。 記憶の中の私は、王立学園に途中編入して私から王太子を奪った男爵令嬢フィオレをいじめ抜いた。 そして学園の卒業パーティーで王太子とフィオレに断罪され、辺境の修道院行きを宣告された。 だが、よしんばフィオレが殿下の心を一時的につかんだのだとしても、それと宮廷の政治情勢は無関係だ。 後ろ盾のない男爵令嬢であるフィオレが万が一王太子妃になったとしても、長くは続かないだろう。 たちまち面子をつぶされた私の父や、王太子に従順な態度を取りながらもひそかに第二王子派であるロセッティ公爵家などから無慈悲な集中砲火を浴び、すぐに失脚するのは間違いない。 フィオレが私を蹴落とそうとするのなら、どのみち後で激しいしっぺ返しを食らうのだ。 それなら、今ここで退場させてあげた方がいい。 ――そう考えて彼女をいじめた私は、やはり、間違っていたのだろう。 「……お嬢様? お嬢様っ! よかった、意識がお戻りになったのですね……!」 「…………私……ここは…………?」 「お嬢様はお誕生日パーティーで階段から転落されて、半日も意識を失ってらしたのですよ。ここはお嬢様のお部屋です。今、お母様をお呼びしますね」 侍女が涙をにじませながらそう言い、私の部屋を出ていった。 ずいぶんと心配をかけてしまったようだ。 頭の痛みに顔をしかめながら、ベッドの上で上体を起こした。 辺境の修道院への追放が、「未来の記憶」の中の出来事だったことに深く安堵する。 だけど。 「私が、悪役令嬢ですって……?」 自然、重いためいきが出た。 悪役令嬢ものは(ちまた)の演劇で人気のあるジャンルだが、まさか自分がそれになるとは。 意識を失っていた間の記憶は、夢とも思えないリアリティがあった。 悪役令嬢とはえてして、夢によってこれから先の不遇な未来――真のヒロインが現れ、婚約者を奪われ、断罪される――を予知するものである。 「悪役令嬢とは、ある日突然なってしまうものだ」という都市伝説もまことしやかに囁かれていたが、以前の私ならば一笑に付していた。 けれど、今は笑えない。 予知夢の先にある結末は、お話によってまちまちだ。 だが、悪役令嬢が婚約者とよりを戻す展開は、非常に少ない。 そして、王立学園にフィオレ男爵令嬢が編入してきたのはまさに先月のことであり、すでに殿下は彼女を気に入ってしまっている。 私の未来は不遇でしかなさそうだった。 「でも、私は……」 ぎゅっとシーツを握りしめる。 でも、悪役令嬢だろうと何だろうと、殿下をあきらめたくない。 クラウディオ王太子は、すらりとした長身に整った顔立ち、立ち居振る舞いも優美というほれぼれするような美男子であり。 幼い頃からずっと、私は彼に恋をしていた。 ◆     ◆     ◆ 念のために次の日も休んでから、私は王立学園に登校した。 たった2日休んだだけなのに、もう殿下の隣はフィオレの定位置となっていた。 少し前まで、あそこには私がいたのに。 昼休みの中庭。 ガゼボで仲睦まじくランチを食べいる殿下とフィオレを物陰から遠巻きに見て、私は悔しさに自分のハンカチを引き裂かんばかりだった。 殿下は今日もすてきだ。 フィオレの話を聞きながら、真っ白な歯を輝かせて笑っている。 「くっ……あんなに殿下とくっついて……!」 はらわたが煮えくり返りそうだったが、ずかずかと乗り込んでいくことはグッと耐えた。 自分が悪役令嬢である以上、フィオレに関わるのは愚策だ。 私は公爵家の長女であり、幼い頃から蝶よ花よと育てられた代わりに、家の繫栄のために尽くす義務を負っている。 むざむざと危うきに近寄り、辺境の修道院へ追放されることなど、あってはならないのだ。 幸い、あの「未来の記憶」の中の断罪された私と違い、今の私はまだフィオレと会話を交わしたことすらない。 だからこのまま一切フィオレと関わらずに過ごそうと決めた。 それでも、せつない恋心は自分ではどうしようもなく。 こうして遠巻きに二人を眺め、ぐぬぬとハンカチを握りしめるしかできないのだった。 「……それにしても、フィオレは貧しい男爵令嬢のはずなのに……あの高価そうな耳飾りは何? あれ、本物のエメラルドじゃないかしら……まさか、殿下が……? 私は殿下から贈り物なんて、一度ももらったことないのに……!」 「あきらめた方がいいんじゃないかな」 「っ!?」 突然、背後から声をかけられた。 驚いてパッと振り向く。 そこには…………………ええと、誰だったかしら………………………そうだ、殿下の友人の公爵令息、ダリオが立っていた。 ダリオ・ロセッティは名門公爵家の次男で、クラウディオ殿下の親しい友人だ。 泣く子も黙るほど美麗な殿下とは違い、ダリオは中背でありふれた黒髪に茶色い瞳、顔立ちも特に印象に残らないようなタイプだった。 現に、私も彼の顔を見てから名前を思い出すまで、かなり時間がかかったくらいだ。 「な、なんですの、いきなり?」 ばつの悪さに、つい尖った声を出してしまう。 だが、ダリオは気にした様子もなく、私に言った。 「その……クラウディオはフィオレ嬢がすっかり気に入ったみたいだし、フィオレ嬢からは、なんていうか……やばい雰囲気を感じるから」 「や……」 やばい、ですって? 貴族令嬢が口にするのははばかられる俗語に、目が点になる。 ダリオがあわてる。 「あっ、いや、ごめん。ぼくが言いたかったのは、つまり……彼女には、近づかない方がいいと思う」 「そんなこと位、わかってますわ」 ムッとして言い返すと、ダリオはしゅんとなってしまった。 なんなの、この人。 男性同士ならともかく、親しくもないレディの前であんな言葉遣いをするなんて……女性慣れしていないのは一目瞭然にしても、無作法な人だ。 それに、私は仮にも王太子妃候補として幼い頃から英才教育を受けてきた身だ。 社交界のマナーは嫌と言うほど叩き込まれているし、それを破って殿下に近づくような常識のない女には関わらない方がいいなんて、言われなくとも承知している。 しかもフィオレは、私が悪役令嬢になる原因そのもので、私だって本来なら顔も見たくない。 私が少しでも見たいと願うのは、殿下のお姿だけで―― 「……私、たまたまここを通りかかっただけですの。これから友人とランチですので、失礼しますわ」 「あっ……」 ダリオはまだ何か言いたそうだったけれど、私はくるりと踵を返してその場を後にした。 それからしばらくして、王立学園で課外授業があった。 男女のペアを作り、学園の広大な森で魔物を狩るという授業だ。 とはいえ、対象はくらやみ蝶やお化け鼠などの、人間には大きな脅威のない小型の魔物ばかり。 ほとんどレクリエーションのようなものだが、ペアの氏名と成績は各家庭へ通達される。 もちろん、王宮へも。 ◆     ◆     ◆ だから暗黙の了解で、さすがに殿下も婚約者である私とペアを組むものと思っていたのに。 殿下とフィオレは、堂々と腕を組み、森の入口のスタート地点に現れた。 私は愕然としながら、ただ黙って二人を見ているしかなかった。 今日も金色の髪を颯爽となびかせ、殿下は美しい青い瞳を、隣のフィオレに向けている。 フィオレは女子生徒たちの羨望の眼差しを一身に浴び、得意顔だ。 エメラルドの耳飾りに加え、新たに彼女の指には、大粒の宝石が嵌められた指輪が光っている――え、あれはまさか、ダイヤモンドでは? 私の胸はキリキリと痛んだ。 開始の笛が鳴り、殿下とフィオレを皮切りに、男女ペアの生徒たちが次々と森へ入っていく。 相手のいない私には、一人で行くという選択肢しか残されていない。 「……リ、リリアナ嬢」 「えっ?」 名前を呼ばれて振り返ると、そこには………………そうそう、ダリオだ。ダリオが立っていた。 なんだか険しい顔つきをしている。 「なんですの?」 「あ……もし、よかったら……その…………一緒に行かない?」 「……同情しているおつもり? 殿下のご友人だからと言って、私にそんな風に気を遣っていただかなくても結構ですが」 「……そういうわけじゃ……」 また、しゅんとした顔をされる。 これでは私がいじめているみたいだ。 見れば、森の入口には、もう私たち二人だけしかいない。 私は小さく息を吐いた。 「……あなたもペアの相手がいないんですのね……それでは、ご一緒しましょうか?」 「本当に? ありがとう、リリアナ嬢」 顔を上げ、ダリオはうれしそうに笑った。 笑うと無邪気な子犬のようで、ちょっとかわいい。 もちろん、殿下の麗しさの足元にも及ばないのだが。 しばらく森の中を歩く。 出遅れたせいか、どこにも魔物の姿は見当たらない。 森の奥へと進むと、小道の先で倒れている男子生徒を見つけた。 「えっ、ちょっと……大丈夫ですのっ!?」 ダリオと二人で、急いで駆け寄る。 男子生徒は、呼吸はしているが、意識は朦朧としていた。 一応森の入口に救護所は設置されているが、この課外授業に危険はないはずだったのに―― その男子生徒は成績のためか、くらやみ蝶を30頭以上も捕まえ、粗悪なカゴに入れて持ち歩いていたようだった。 近くにペアの女子生徒の姿は見当たらないが、逃げたのだろうか。 くらやみ蝶の鱗粉には毒があり、1頭ならたいして問題はないが、多数を捕獲する場合は運搬に細心の注意を要する。 彼が倒れているそばには、中でくらやみ蝶がぎゅうぎゅう詰めになって飛び回っているカゴが転がっていて、辺りにはたくさんの黒い鱗粉が飛び散っている。 彼自身の体にも、かなりの鱗粉が付着していた。 これでは近寄るだけで毒を吸い込んでしまうだろう。 「私、先生を呼んできますわ!」 「……いや。一刻も早く彼をここから連れ出して、治療を受けさせた方がいい」 ダリオの言葉に、私は耳を疑った。 「な、何を言ってるんですの? 彼に近寄ったら、あなたまで……」 「ごめん、リリアナ嬢。いい成績を取れなくて」 ダリオはいつものおどおどした態度ではなく、毅然とした口調で言った。 そして、男子生徒のそばへ行くと、迷わずその体を持ち上げて自分の肩に彼の片腕をのせ、引きずるようにして森の出口へ向かいだした。 「ダ、ダリオ……! 毒は大丈夫ですの!?」 「……大丈夫」 ダリオの顔はどんどん青ざめていき、見るからに大丈夫そうではない。 私はためらいながらも近づいた。 「あの……私も手伝いますわ」 「駄目だ。女性はくらやみ蝶の毒の影響を受けやすいと言われてるから……離れてて」 意外なほどきっぱりと言われ、途方に暮れる。 このままでは、森の出口に着く前に、ダリオまで倒れてしまうかもしれない。 そのとき、背後から話し声が近づいてきた。 振り向くと、殿下とフィオレだった。 殿下の持つ小さな金ピカのカゴには、お化け鼠が一匹だけ入っている。 フィオレは私たちに気づくと、殿下に向けていた笑顔をたちまち引っ込め、おそろしいほどの無表情になった。 私はごくりと唾をのみ込んだ。 フィオレのいるときに関わりたくないが、今は非常事態だ。 私はできるだけ事務的に言った。 「で、殿下……おそれながら、くらやみ蝶の毒で体調を崩した生徒がおりまして……ダリオが森の出口まで運ぼうとしているのですが、殿下も手伝っていただけませんか?」 殿下は、こんなときでも見とれてしまいそうなほど美しい青の瞳を私に向け、それからダリオと男子生徒に向けた。 だが、殿下が何か言う前に、フィオレが口を挟んだ。 「殿下ぁ~。フィオレ、疲れちゃった。早く帰りましょうよ~」 「ああ、そうだな」 クラウディオ殿下は笑ってフィオレの肩を抱くと、私とダリオと体調不良の男子生徒などこの場に存在しないかのように、悠々と立ち去った。 「えええ……??」 私は呆然とした。 ……今のは、夢か何かかしら……? まさか、国民の手本たる王族が、弱っている生徒を見捨てるなんて……ノブレス・オブリージュはどこへ……? だがダリオが大きくよろめき、これが夢ではないことを思い出す。 「ダリオ!」 「ち、近づいちゃ駄目だ……」 「だって、あなたも真っ青ではありませんか!」 私は大判のハンカチを持っていたことを思い出し、急いで自分の口の周りに巻くと、男子生徒のもう片方の腕の下に体を入れて彼を支えた。 そしてダリオと二人で、男子生徒を森の入口で待っている先生のところまで連れて行った。 ◆     ◆     ◆ 男子生徒はそれから2日間寝込んだが、すっかり回復したそうだ。 ダリオもその後、学園の保健室に運び込まれたが、数時間後には毒が抜けたとのことだった。 ちなみに私はずっとピンピンしている。 女性はくらやみ蝶の毒の影響を受けやすいというが、個人差があるようだ。 課外授業の翌日からは週末だったので、私は彼らの容態を週明けの学園で、養護の先生から聞いた。 週末はずっとダリオの体調を心配して過ごしていたので、心からほっとした。 午前中の授業が終わると、教室の入口からダリオがひょこっと顔を出した。 彼は隣のクラスに在籍している。 ちなみに殿下とフィオレも隣のクラスだ。 「リリアナ嬢」 「ダリオ。どうなさったの?」 「いや、体調は大丈夫かなって……週末、ずっと心配で」 「まあ、私も同じですわ。あなたが元気そうで、本当によかった」 私はにっこり笑った。 ダリオと同じ気持ちでいたのがうれしかった。 ペアとして協力してあの男子生徒を助けたので、仲間意識のようなものが芽生えたのかもしれない。 ダリオが照れたように頬を赤く染めている。 わかるわ。こういうの、ちょっと照れくさいわよね。 ダリオは何か言いたそうにしていたが、やがて決然とした表情で口を開いた。 「リリアナ嬢……あのさ、もしよかったら、お礼に今日のラン……」 「リリアナ様、そろそろカフェテリアへ参りませんか?」 ダリオが何か言いかけると同時に、友人たちが誘いに来てくれた。 午前の授業が終わってすぐに行かなければ、カフェテリアは満席になってしまう。 「ええ、行きましょう。でもちょっとお待ちになって」 私は友人にそう言ってから、ダリオに尋ねた。 「ごめんなさい、ダリオ。よく聞こえなくて。もう一度言ってくださいません?」 「…………いや、いいんだ」 「そうですの? それでは、ごきげんよう」 ダリオと別れて友人たちと廊下を歩きながら、ちらりと殿下のクラスに目をやる。 殿下は今日もフィオレと二人、中庭のガゼボにいるのだろうか。 そういえば、殿下は私の体調を心配してくれたことなど一度もなかったということに、私は歩きながら気がついた。 それからは、学園内でよくダリオと遭遇するようになった。 私を見るとパッと笑みをひらめかせるダリオに、私も笑顔を返す。 彼と話をする機会も増えた。 あまり目立たないけれど成績優秀で頭のいいダリオは、どんなことでも聞けば答えてくれた。 だが普段の彼は、やっぱりどことなく冴えなくて不器用だ。 難しい魔法物理学の話をしつつ、制服の袖にケチャップがついていたりするので、そのギャップに思わず笑みがこぼれてしまう。 思えば、私がこんな風に笑うなど、フィオレが編入してきて以来のことかもしれない。 幼い頃から恋してやまなかった殿下を奪われてからは、ずっと塞ぎがちだったから。 ……恋してやまなか・っ・た・? いつの間にか、自分が過去形を使っていることに驚いた。 ◆     ◆     ◆ ある日の昼休み。 中庭のガゼボでランチをする殿下とフィオレの姿を、私は再び物陰から眺めていた。 眩しい日差しに、殿下のさらさらの金髪が輝いている。 相変わらず、小憎らしいほど美形だ。 だけど……この胸の空虚さは何だろう? フィオナといる殿下を見ても、以前ほど私は、激しい感情を覚えなくなっているようだった。 「リリアナ嬢」 「きゃっ! ……ダリオ。驚かさないでください」 「ごめん」 突然背後に現れたダリオは、どこかいつもとは違う、思いつめたような顔をしていた。 「……どうかしたのですか?」 ダリオは言いにくそうに視線をさまよわせていたが、思い切ったように口を開いた。 「きみはまだ、殿下のことを好きなの?」 「えっ? ……あ、当たり前でしょう? 私は、婚約者ですし……殿下はあんなに……すてきな方ですもの」 そう言いながらも、心の中では本当に「すてきな方」なのか、疑問に思っていた。 殿下はたしかに美形だけど、実はそれだけなんじゃないかという不敬な思いが、最近ずっと私の胸の中に渦巻いている。 ダリオはなぜか悲しそうな表情を浮かべた。 同情されているようで、少しいらだつ。 ……なんなの、ダリオったら。 殿下の友人だから、殿下の婚約者である私に気を遣っているの? 真面目な性格だから、感じなくてもいい責任を感じて、それで私をかまってくるのかしら? もしそうだとしたら、そういうのはやめてほしい。 私は悪役令嬢で、不遇な未来しか訪れないのだから。 私のそばに来たら、ダリオまで巻き込んでしまうかもしれないから。 もう私に近づかないでほしい、と喉まで出かかったが、なぜかどうしても言えない。 そのときに気がついた。 ダリオが離れていってしまったら、きっと私は悲しい。 私が何も言えずにいると、ダリオは足を踏み出し、こちらに近づいて。 不器用に私の手を握った。 ごつごつした、温かい手だった。 驚いてダリオを見上げると、彼の顔は真っ赤だった。 「あ、あの…………ぼくじゃ、駄目かな……」 「え? 何がですの?」 「……ぼくは、クラウディオみたいにかっこよくないけど……クラウディオに傷つけられても、いつも気丈に振る舞うきみを守りたいと、ずっと思ってた」 「………………」 「きみが好きだ」 あまりの衝撃に、しばらくの間、私は何も言えなかった。 こんなにストレートな言葉、以前の殿下だって言ってくれたことはなかった。 なのに、まさかダリオから告げられるなんて。 私が固まっていると、ダリオはたちまちしゅんとしてしまった。 「……ごめん。やっぱり迷惑かな」 「えっ、いえ、あの…………」 迷惑、ではない気がする。 それどころか――ふわふわと宙に舞い上がってしまいそうなほど、すごくうれしい。 ダリオは不安と期待の入り混じった顔で、私をじっと見つめている。 そのまなざしに、胸がドキドキと早鐘を打つ。 まっすぐに私と向き合うダリオは。 とてもすてきで、かっこよく見えた。 クラウディオ殿下よりも、ずっと。 ◆     ◆     ◆ それから半年後。 王立学園に、卒業式の日が訪れた。 「リリアナ・スコルツィオーネ! 本日、この卒業パーティーをもって、お前との婚約を破棄する!」 晴れやかな卒業パーティーの真っ最中。 フィオレを隣に侍らせたクラウディオ殿下は、私を指さしてそう叫んだ。 会場の空気が凍りつく。 夢で見た場面とまったく同じだ。 私は思わず、小声でポロリと言った。 「ありがとうございます」 「……は?」 「あ、いえ、何でも…………そんな、ひどいですわ、殿下!」 急いで言い直す。 殿下は気を取り直したように続けた。 「ひどいのはお前だろう! 私の恋人であるフィオレを何度もいじめ……」 「お言葉ですが殿下、私はフィオレ嬢とは、言葉を交わしたことすらございませんが」 「……何?」 殿下が美しい顔を歪め、「どういうことだ」という風にフィオレの方を見る。 このときのために、私は常に細心の注意を払って彼女に近づかないように、視線すら合わせないようにしてきた。 友人たちに頼み、私自身が一人きりになる時間さえも作らないように気をつけていたのだ。 彼女は私に、でっちあげの罪をかぶせることさえできないだろう。 着飾った生徒たちの中でも、フィオレはとびきり派手なドレスを着ていた。 その頭には、まるで国宝級といった宝石だらけのティアラが載っている。 レプリカにしても高価そうな代物だ。 女王様然とした彼女は、やや気まずそうに殿下から目をそらした。 「だって~、あのひと、フィオレたちが近くにいるときはいつも怖い顔してるんだもの~」 「怖い顔って……」 さすがに呆れたように殿下が呟く。 会場にいる生徒たちは、同情するような目で私を見ている。 その中には、心配そうに私を見守るダリオの姿もあった。 私はダリオに小さくうなずき、仕上げにかかった。 「……殿下。本当に、私との婚約を破棄なさるおつもりですか?」 「ああ、無論だ。私はフィオレと結婚する」 「神に誓って?」 「神に誓って」 完璧だ。 この国では神への誓いは絶対だ。 王太子でさえ、一度誓ったことは何があろうと(くつがえ)せない。 証人はこの会場にいる生徒や先生方、全員である。 私は内心で快哉を上げながら、傷心の演技をした。 「……わかりましたわ。末永くお幸せに……」 片手で顔を覆いながら、その場を去ろうとしたら。 「待ってください」 ダリオの声が響いた。 彼が、つかつかと殿下の前へ歩み寄る。 驚いた顔の殿下に、ダリオが尋ねた。 「たった今、殿下はリリアナ嬢との婚約を破棄されました。ということは、彼女は自由の身ということですね?」 「……そうだが……」 殿下が戸惑いながら答える。 ダリオはにっこり笑うと、くるりと私の方へ向き直った。 そして、片膝をつき、恭しく私の手を取って、きれいな茶色い瞳を私に向けた。 「ぼくと結婚してください、リリアナ嬢」 会場がワッとどよめく。 私は頬をほころばせ、ダリオに答えた。 「ええ、喜んで。ダリオ」 会場は、さらなるどよめきと口笛、それから拍手に包まれた。 殿下とフィオレは、まるで筋書きのよくわからない演劇でも観ているかのように、ぽかんとした顔で立っていた。 卒業式から一年後。 私は、スコルツィオーネ家へ婿入りしたダリオと、新婚生活を楽しんでいた。 朝の弱い私が小さくあくびをしながら食堂へ行くと、ダリオはすでに朝食を終え、仕事の書類に目を通しているところだった。 私は彼の椅子の隣に立った。 「おはよう、ダリオ。お父様から手紙で、南の領地の件はどうなったのか、ですって」 「おはよう、リリアナ。その件ならもう解決済みで、義父上に報告の手紙も出してあるよ」 ダリオの実務能力はきわめて高い。 ダリオに告白されたあと、私は迷った末に、自分がどうやら悪役令嬢であるらしいことを打ち明け、断ろうとした。 私と一緒にいたら、彼までひどい目に遭うかもしれないからだ。 だがダリオは即座に打開策を考え、提案し、私がそれを呑んだので実行に移した。 それが、あの「卒業パーティーであえて断罪される計画」だ。 結果的に計画は大成功し、私は自由の身となり、ダリオと結婚することができた。 あらかじめ計画を知らせていた双方の両親も、全力で協力してくれた。 私の父などはクラウディオ王太子の不実に激怒し、元々第二王子派であるダリオの父上と一緒になって、殿下とフィオレをつぶす相談を夜な夜な交わしていた。 それはつつがなく遂行されたようだ。 二つの公爵家が内々に調査したところによると、殿下はフィオレに請われるまま国庫から勝手にお金を持ち出して、とんでもなく高価な宝石類を買い与えていたらしい。 卒業パーティーでフィオレが身につけていたティアラは、なんと殿下が王宮の宝物庫から拝借した、本物の国宝だったそうだ。 フィオレは卒業パーティー後、そのティアラを自宅である男爵家の私室に保管していた。 金に困っていた男爵家は、殿下に買い与えられた宝石類を次々に売却し、あろうことか、国宝のティアラまで質草にしようとしたところを取り押さえられた。 普通なら隠蔽されるようなこの一連の不祥事は、なぜか露見して大スキャンダルとなり、国民から非難の嵐が巻き起こった。 卒業パーティーからほどなくして、王太子は廃嫡され、第二王子が立太子した。 気がつけばフィオレは、辺境の修道院へ送られていた。 名門公爵家を二家も敵に回すと、王太子といえど「末永くお幸せに」とはいかないようだ。 「そういえば、今朝の朝食のデザートは、きみの好きないちごのジェラートだよ」 回想していたら、ダリオが教えてくれた。 私が喜ぶと思って言ってくれたのだろうけど、ダリオの口の端にそのいちごのジェラートが付いているから、もう知っている。 ダリオの有能なところも、こんな風にちょっと間の抜けたところも、どちらも大好きだ。 私はダリオの口に付いたジェラートを、自分の指で拭った。 そして、それをぺろりと舐めた。 「ええ、とってもおいしいわ」 ダリオはたちまち赤くなった。 私がにっこり笑って自分の席に行こうとすると、くいっと手が引っ張られた。 見ると、彼が私の手を両手で握っている。 ダリオは大事そうにその手に口づけを落とし、そのまま私を見つめ、優しくほほえんだ。 今度は私がどぎまぎした。 私は悪役令嬢だった。 だけど今は、すてきな夫に恋をする、ただの幸せな新妻である。
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