再生への一歩

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再生への一歩

本格的に冬へと向かう季節、(みや) 祈織(いのり)は賑わう繁華街の一角にある大型書店の前にいた。 コートのポケットに入れたスマートフォンが震えていることに気付きそれを取り出す。 目的の本が買えた事もあり少しだけ浮き足だったまま、相手の名を確かめて通話をタップした。 「安達さん、どうかしましたか?」 のんびりと歩き出しながら問いかければ、電話の向こうの人物はどこか呆れたように溜め息をついた。 『どうかしましたかってどうなんですか。まずは仕事ですか、でしょう』 「あ……そうですよね、すみません」 電話の向こう、心底呆れているのではないかと思うような冷たい声に祈織は背筋を正して謝った。今日は真冬並みの寒さということもあり、空っ風に煽られ首を竦めながら意識を仕事モードに切り替える。 「えっと、なんかのエキストラの話でしょうか」 『……あなたの良くないところはその控えめなところです』 安達佳臣(あだちよしおみ)は祈織が所属している芸能プロダクションの社員で、ちゃんとマネージャーがいる俳優以外、その他の俳優のマネジメントをしてくれている。 いつもピシッとしたスーツ姿に細縁のメガネ、表情には乏しいがスラッと背が高く整った顔をしている。昔は俳優を目指していたと噂では聞いたことがあるが、本当かどうかは定かでない。怜悧な印象ではあるが面倒見のいい人だ。 「すみません……」 また謝る祈織に電話の向こうで溜息をつかれた気がした。だが、安達は気を取り直したように話を始める。 『朗報です。1月から始まる瑞希の出る水曜10時のドラマに出演が決定しました』 「え! 本当ですか!?」 祈織は声を弾ませその歩みを止める。 暖冬のせいかまだこの季節でも街路樹の葉の落ちる歩道は人で溢れ返っており、突然足を止めた祈織に人波は乱れた。チッと舌打ちをして後ろのサラリーマンが祈織を睨んでいくのに会釈で謝る。流れを止めないように祈織はショーウィンドウに沿うように移動した。 『はい、セリフもきちんとある役です』 「……一言だけとかではなくて?」 祈織は鼓動を弾ませながらスマホを持ち直すと、もう一度冷静な声を装って聞き返した。己が落ち着く為でもある。 『ええ、10話あるうちの1話、水上麗子がゲスト出演する回で水上麗子の息子役です』 安達は長年の付き合いで祈織の冷静な声の中に期待の声色を見つけたのか、最初よりも幾分柔らかな声で内容を伝えてくれる。 詳しいことはメールで送りますと安達は電話を切った。 仕事ができる安達らしく、そのすぐ後に添付ファイルとともにメールが送られてくる。
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