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「きっと記憶は戻る。俺もできる限り協力するから焦らずゆっくりと思い出していこう?」
「……うん、ありがとう、祈織さん」
一眞は祈織を見つめるとふわりと笑った。それにどきりとして少し動揺する。
「祈織さんは優しいね。俺や倫太朗が慕っていたの、分かる気がします」
「あはは、前からそう思ってくれていたのかな」
嬉しくて素直にそんな言葉が漏れた。
「きっとね。だって祈織さんのこと覚えてないのに今こんなに安心してるんです。不安で仕方なかったのに祈織さんがそばにいるだけで落ち着くんだ」
記憶がない中、そんな風に感じてくれたことに驚きと嬉しさが織り混ざる。過去の自分を覚えていない一眞は最初こそ警戒心を露にしていたが、やはり本質は変わらないのか徐々に落ち着きを取り戻してきた。ただやはりまだどこか不安げで、余計なお世話かもしれないがどうにかしてやりたいと思ってしまう。
「……じゃあ、ずっと傍にいるよ。だから大丈夫」
いつもは言えない、そんな甘やかな言葉がすらすらと自分の口から飛び出していく。
「ありがとう、祈織さん」
満面の笑みが祈織に向けられる。それをひとり占めできる事に祈織は浮足だった。
そしてやはり疲れたのか薬の影響か、一眞が眠ってしまうと祈織は病室を出ていったん家に帰ることにした。
ようやく安心したのか、電車でもうっかり寝てしまい降りそびれるところだったが。
夕方からバイトに行き、くたくたになって帰路に着く。
「ただいま……」
誰もいない真っ暗な家に入るとエアコンをつける。
父親が大阪に転勤になったために母もそちらへついて行ったことと、3つ上の兄は国家公務員で、数年おきに地方や海外へと赴く身のため現在祈織はこの家に一人で住んでいる。
時刻は22時、メッセージアプリにも返信のない瑞希を確認して電話をかけた。
「瑞希、今大丈夫?」
『祈織、久しぶりー。どした?』
どこかご機嫌な様子で瑞希が電話に出る。
「安達さんから聞いていると思うけど、一眞のことで」
『ああ、聞いた。命に別状はないって?』
やたら騒がしい場所で話しているのか、瑞希の声が遠くに聞こえる。
「うん。だけど記憶がね」
『え?……あ、うん、……祈織、悪い、ちょっと待ってろ』
電話の向こうは一層騒がしくなっている。
女性の甘えるような声が聞こえて祈織はぴくりと眉を動かした。瑞希がその女性に向かって何かを言っている。不満げな声が聞こえ、いくつか会話を交わすと瑞希はまた祈織との電話に戻ってきた。
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