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「ねぇ、俺って恋人とかいなかったんですかね?」
一眞の突然の言葉に思わずびくりと反応する。一眞の病院へと通うようになってから三日後の事だった。
「……藪から棒にどうしたの?」
「いや、普通こんな状態になったら真っ先に恋人は駆けつけてくれるんじゃないかなって思ったんですよね」
確かに一眞の言うとおりである。
一眞の事が心配で真っ先に駆けつけたのは記憶に新しい。祈織は恋人ではないが……
ブレイク中の瑞希にとって、今、仕事に専念することはとても大事なことだ。だからここに来れなくても仕方がない、そう分かっているのにそれでも瑞希を責める気持ちは消えない。
せめて一度だけでも瑞希が駆け付けたのならもしかしたら一眞の記憶は戻ったかもしれないし、祈織のこんな気持ちも払拭されていたかもしれない。
そう思うだけで胸の奥の黒いものがざわりと繁殖する。
「ねぇ、本当は祈織さんが俺の恋人なんじゃないんですか?」
「……え?」
想像もしていなかった一眞の言葉に祈織は持っていた花瓶を取り落としそうになった。
一眞が事故に遭ったという報道を見たファンから事務所に届いたものだというチューリップが揺れ、縁から少量の水が跳ねて祈織の手を濡らす。
「だって祈織さん毎日ちょっとでもこうして顔見に来てくれて俺の傍にいてくれるじゃないですか。献身的にお世話もしてくれるし? だからそうなのかなぁって」
一眞は伺う様に上目遣いでベッドサイドに立つ祈織を見つめた。
違う、という言葉が喉に張り付く。すぐに違うと言って一眞の恋人は桐谷瑞希だと教えなくてはいけないのに、 祈織はじっと一眞の黒目がちな瞳を見つめた。
そうして花瓶を傍らに置くと溜息をつくように小さな声で問うた。
「……そうだよ、って言ったら一眞はどうするの?」
「……そうなの?」
繰り返すように一眞が小首を傾げる。
「……俺が聞いているんだよ」
最初は一眞の質問だったことなど棚に上げて祈織は祈るような気持ちで一眞を見つめた。
「そっか……」
そんな祈織の言葉を受け、なぜか納得したようにふふと笑う一眞に眉を寄せた。
「どうして笑うの?」
「うん、その、ちょっと嬉しくて」
「え?」
一眞は嬉しそうに照れ笑いを返した。
「祈織さんが俺の恋人で嬉しいなって。だって俺、祈織さんといるとすごく気持ちが落ち着くんです」
それは一眞が祈織の事を恋愛対象以外だと思っているからではないか。冷静に考えれば分かるはずなのに一眞は嬉しそうに続けた。
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