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「うっまそう!」
「うん、今日は奢りだからいっぱい食べな」
目の前に並べられた料理に一眞の目がキラキラと輝く。祈織は一眞のためにカプレーゼや生ハムのサラダを取り分けてやった。
撮影後、その後の時間が空いているという一眞と食事に来たのだ。
ここは祈織が働いているバイト先のひとつで、人通りの少ない路地裏にある小さなイタリアンレストランだった。知る人ぞ知る店ということもあり、いつも常連で溢れている。
「祈織さん、こんなオシャレなところでバイトしてたんですね。あ、これすごくうまい」
「だろ? 賄いもおいしいし、急に仕事が入っても融通を利かせてくれたりしてほんとこんないい職場ないよ」
「あらあら、嬉しいこと言ってくれるわねぇ。うちはみんな祈織ちゃんのファンだからね。それくらいなんてことないのよ」
バーニャカウダを運んできてくれた60代のマンマがそう言って笑った。イタリア人の店主を夫に持つ女性で、イタリア語のお母さんを表すマンマと呼ばれている。
「あはは、マンマのおかげです」
これも食べなさい、とグリッシーニを置いて行ってくれる。
「いいですね、家庭的で」
他のテーブルにも声をかけていくマンマに目を細めて一眞はそう言った。
「うん。本当に素敵な人たちだよ」
この店に初めて面接に来た時、俳優であることを話した瞬間、「きみ、やっぱり朝ドラの子役だ!? あの話が大好きだったんだ!」と店主に熱烈に抱きしめられたことは今でも忘れない。
祈織が中三の時に朝ドラ主役の少年時代として出た代表作を覚えていてくれたらしく、熱烈に歓迎され、面接もそこそこに採用してくれたありがたい話だ。今では鳴かず飛ばずの祈織のことを心から応援してくれる大切な人たち。
そんなホームと言っていい場所にいつか一眞を連れてきたかったから今日は念願叶った日だった。
「本当は倫太朗も来れれば良かったんだけどね」
もう一人の後輩、羽田倫太朗は既にバイトが入っていてダメだったのだ。祈織と同様、バイト三昧の倫太朗のことも労ってやりたかったのに。
「あいつ、めちゃくちゃ残念がってました」
「あはは、今日だったら奢りだったからね」
「そんなんじゃなくても祈織さんに会いたがってましたよ。それに奢りじゃなくて割り勘にしてください」
「今日はいいんだよ。一眞、来期春のドラマ、準主役だって聞いたからそれのお祝いだよ」
「え、知ってたんですか? 俺の口から今日お知らせしようと思ってたのに」
どことなくしゅんとした一眞に祈織は慌てた。
「わ、ごめん、でも俺も自分のことのように嬉しいから。それにね、今日は自分のお祝いでもあるんだ」
「?」
「実は俺も1話限りだけど久しぶりに出番の多い、セリフもしっかりとある役をやらせてもらえることになったんだ」
「本当ですか! わ、やった! 祈織さんの演技楽しみです!」
一眞が自分のことのように喜んでくれるのに胸が一杯になる。
一度は諦めた想いが募って折り重なっていくような感覚に小さく震えるも、祈織はその想いを見なかったことにして笑った。
「だからさ、俺にお祝いさせてよ」
「えー、それじゃセルフお祝いじゃないですか」
「セルフお祝いって……」
一眞の変な日本語に祈織は噴き出した。
「いいんだって。俺は実家暮らしだし、バイトだっていっぱいしてるんだからたまには先輩らしい事させてよ」
「……そこまで言うならごちそうになります」
気持ちを切り替えたのか、ありがとうございます!と手を合わせて一眞は目の前の料理に手を付けた。
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