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夢じゃない
祈織はとんびの声が届く庭先へ車を止めるとエンジンを切った。
つい今しがた祖母のいる病院へと行っていたのだ。一眞が先に東京へと戻り、そうして祈織も明日中に東京へ戻ると話した。
祖母の退院は来週だ。それまでには部屋を明け渡さなくてはならない。
『一眞くんの記憶は戻ったのね? ちゃんと話せたの?』
そう問いかけられ、笑って誤魔化そうとしたのに祖母の透明な瞳はそれを赦さない。そうしてまるで諭すように祈織へと告げたのだ。
『まだ好きなら行動しなさい』
背を押されたものの連絡をすることは躊躇われた。
一眞が東京へ戻って既に年を越してしまった。
ようやく祈織の事を忘れ、また日常を取り戻している頃合いではないかと思うのだ。それをまた乱すのはあまりにも非情な気がした。
玄関脇の夏蜜柑の前で立ち止まり、祈織は晴れた空を見上げる。
例の主役の件はどうなっただろう。年末に面接があったはずで、その結果だけでも教えてはもらえないだろうか、声だけでも聴けないだろうか。
あまりにも図々しいが衝動が抑えられず祈織はスマートフォンの中の一眞の番号を呼び出しじっとその数字の羅列を見つめた。
仕事で繋がらないかもしれない、いや繋がらなくていい。でも、もし繋がったのなら。
「いや、そんなことできるわけない」
ふっと息を吐いて苦笑いした時だった。 ビュッと強い風が山肌に沿うように吹き上げ、祈織の身体にも叩きつける。
「っ……!」
手にしていたスマートフォンを取り落としそうになって慌てて握り締める。
それと同時、電話がかかった時の画面になった。
「えっ!?」
ワンコール、そしてまたひとつ……一眞を呼び出すようにコール音が続く。
祈織は予想しなかったそれに慌てる。切らなくてはと焦った瞬間、コール音が途切れ懐かしい愛しい人の声は聞こえてきた。
『はい』
祈織は喉元からせり上がる何かを堪えるように唇を噛みしめた。 壊れそうに激しく打つ鼓動を感じながらそれを耳に押し当てた。
『……誰?』
電話の向こう、一眞の声が訝しげに問う。
一眞のスマートフォンに祈織の新しい番号は入っていないのだから当然だ。
なんと言っていいか分からず、声音を変えて間違いだと告げるべきかと思いつくも声がでない。このまま一眞の声を聴いていたかった。
もしもし?と再度一眞が問いかけ、そしてその声は黙った。
空を飛行するとんびのピーヒョロロという独特の鳴き声に祈織は顔を上げた。
もうきっと切られてしまうと覚悟を決めた時だった。
『……祈織さん?』
「っ…… !?」
一眞は密やかに伺うような声音で祈織の名を呼んだ。
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