夢じゃない

2/10
前へ
/111ページ
次へ
時が経てばこの胸は痛まなくなる、忘れられる。あれは夢だった、都合のいい夢だったとそう信じたかった。 だが今なら分かる。 勇気がなくていつも本当を曝け出せないままずっと過ごしていた。 答えはここに、この心の中にあるのだ。そう、いつだって答えは同じ。 「苦しくても辛くても、好きでいることをやめられない」 押し殺すようにそう告げた。 溢れ出して止められない。 震える手でスマートフォンを持ち直しながら祈織は言い募った。 白い吐息が空気を揺らす。目の前の夏蜜柑が滲んだ。 「俺は一眞が好きだよ」 初めて一眞に告げた時のように、震える声で告白をした。 『遅いよ、祈織さん』 一眞の言葉が胸に突き刺さる。 分かっている、今更なのに、それでも言わずにはいられない。 「ごめん、ねっ……でも、それでも、俺は一眞が好きだ」 掠れる声で幾度目かの告白をした。 『「なんでそれ、あの時言わないんですか」』 声がスマートフォンと背後から二重に聞こえ、祈織はびくりと身体を震わす。 「っ……!?」 信じられない思いで振り返ろうとした矢先、背後から伸びた腕に閉じ込められた。 ふとうなじを掠める温かい吐息と目の端に映る明るい色の髪。肩口に押し付けられたそれが祈織の肌を擽る。 背後から強く抱きしめるその腕が暖かい。 懐かしい匂い。首筋に触れる体温が夢のようで、祈織は瞬いた。 「……嘘……かず、ま…?」 祈織を抱きしめたその手の中のスマートフォンから自分の声が聞こえる。 「……あんなひどい事言わないでそれ言ってくれればよかったんですよ。…そうしたら俺だってっ……」 瑞希が一眞を迎えに来たあの日、祈織がその感情を譲らなければ傷つけずに済んだだろうか。 否、ちがう、そう思うのは卑怯だと祈織はふるりと頭を振った。その振動で涙がこぼれる。 きっと何をしても一眞を傷つけた。 一眞のためとはいえ最初から嘘をついた祈織は責められて当然だ。 「ごめんっ……」 「謝らないでください。……俺は祈織さんとここに来たことを後悔していない」 「一眞……」 「あの日祈織さんが攫ったのは俺の身体だけじゃなかったんだ」 『俺はこれから君を攫う』 そう告げてここまでやってきた。 一眞は祈織をそっと開放するとその身体をくるりと自分の方へと向かせた。 見上げる一眞の瞳が祈織だけを映す。 こんな時でさえ好きだと思うのだから仕方がない。 一眞は祈織の手を取ると自分の胸に押し当てた。早い鼓動が祈織の掌に伝わってくる。 「……東京に帰っても、ずっと祈織さんのことが頭から離れなかった。祈織さんのことは尊敬してて、憧れていて……大好きだけど恋愛感情で見たことはなかったのに」 そんなことは知っていた。 あの頃のまなざしにその感情は見たことがなかったから。だが、今の一眞のまなざしはあの頃とは違う。 昂り、堪え切れずに祈織の眦から幾筋も涙が落ちる。ぽたぽたといくつも温かい涙の雨が降る。 祈織は何も言えずにただ一眞を見つめた。
/111ページ

最初のコメントを投稿しよう!

646人が本棚に入れています
本棚に追加