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「面白かったね!」と笑顔で彼女が言う。丁度映画館から出てきたところだった。予定通り昼間少しショッピングをした後、映画を見たのだ。うん、と僕は返事をしながら、うわの空。といっても、あの時のことを思い出したからではなく、これからのことが理由だった。この後、彼女は僕の家に泊まりに来る。彼女の手料理を食べる約束をしているのだ。
そろそろ空は暗くなり始めている。少し不安が押し寄せて来たけれど、彼女が隣にいるのだと思うと、それは耐えられそうだった。けれど。
ねぇ、と彼女が声を潜めて言う。「誰か、あとをつけてきていない?」
彼女に言われるまで全く気付かなかったけれど、気配に注意しながらそのまま歩き続けてみると、確かに、誰かがつけてきているような気がした。僕は立ち止まり、靴紐を治すふりをしながらしゃがむ。その気配は、少しずつ近づいてきた。耐えられなくなったのか彼女が振り返り、あっ!と叫ぶ。驚いて僕も振り返った。
暗くてよく見えないけれど、人にしてはやや大きすぎるような、黒い影が近づいてきていた。反射的に僕は立ち上がり、彼女の手を掴んでその影から離れる方向に走り始めた。何か分からないけれど、逃げなくてはならない。いや。僕は本当はそれが何なのか分かっている、ような気がした。けれど考えている余裕はない。彼女がいるのだ。逃げなくてはならない。
彼女も必死の様子で僕についてきてくれた。けれど、息が荒い。家に着くまで持ちそうにない。何とか走りながら振り返り、暗くて姿が見えないのを確認し、僕は彼女の手を引いて角を曲がった。すぐ目の前に駐車場がある。そこに入り、車の隙間に隠れた。はぁはぁ、と彼女が苦しそうに息を吐いている。僕も息は苦しかったけれど、気持ちは少し落ち着いてきた。そしてあの影が誰なのか、何なのか、考える。
実は、あの時のことで一つだけ気にかかっていることがある。それは、崖から落ちそうになった時に追いかけてきてくれた誰かのことだ。その人がどうなったのか、思い出せないのだ。もしかして、僕を助けようとして、崖から落ちてしまったのではないか。そんなふうに考えて、ずっと不安になっていた。もしそうだとしたら、僕は恨まれている。あの影は、あの時の人の親戚か何かで、僕を恨み復讐しようとしているのではないか。霊なんて信じていないけれど、あの時の人が霊になって襲ってきたのではないか。
だとしたら、隣でおびえている彼女には関係のない事だ。それに、寒くていつまでもここに隠れているわけにもいかない。もちろんあの時の人には無関係な可能性もあったけれど、何故か僕の中では、あの時の人に関係があるのだと決まりつつあり、僕は彼女に、ここにいて、と声をかけ、彼女の居場所がばれないようにしゃがみながら移動した。駐車場から出ると、周りを見回すまでもなく、その黒い影が数メートル先に立っているのが分かった。
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